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デザインと芸術のあいだ(前編/訂正の追加) [アート論]

愛のアレゴリー.jpg
ブロンズィーノ『愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)』( 1540-1545年頃) 
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 この絵画は、ロンドンのナショナルギャラリーにあって、
私は、じっくりと見たことがあります。
 この絵画は、美しく、官能的で、人を引きつける謎を持っていますが、
しかし合法的で、実体的です。言い換えると、絵を描いた画家の個人的私的な揺らぎといったものが表出されていなくて、公私混同するなという社会ルールに忠実に、実に社会的には巧く見える様に描かれているのです。
そして花の様に美しく、こうした分かりやすい、
手応えのある美しさは、芸術というものではないのです。
 
そしてフロイトの言う《退化性》をもっていませんので、芸術ではありません。
《退化性》というのは、説明が複雑になって難しいのですが、
一番重要な事だけを言えば、
作家の幼児体験にまで戻る様な質を、絵画の中に内包していないという事です。
 
高度に社会的な、エンターテイメント的デザイン画なのです。
 芸術に於けるデザインの問題として重要なサンプルと言えます。
 
つまり彦坂流に言えば、これは真性の芸術ではなくて、
《6流》の原始平面の絵画であり、
エンターテイメント的デザイン画なのです。
 
しかし社会的には、これは芸術なのです。
 
いやそれどころか、社会的に80パーセントは、
こうした《6流》のエンターテイメント的デザイン画こそが、すぐれた芸術なのです。
 こうした《6流》のエンターテイメント的デザイン画としてのシュミラクルな芸術と、
真性な《超1流》の芸術の亀裂と、
その克服について考察します。
 
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 アートとデザインの遺伝子.jpg
東京都現代美術館で開かれた美術展、
「アートとデザインの遺伝子を組み替える」(20071027日〜2008120日)というのは、
問題意識としては、今日を捕らえるものであったと思います。
私も見に行っています。
 
しかし芸術社会学、あるいは同時代芸術史(考現学的芸術史)と言う面からは、
デザインとアートの本質的な関係構造と、その時代的変容を、
シリアスに、学問的には論じて、展開されていなかったのです。
 
この企画をした長谷川裕子氏は優れたジャーナリスティックな学芸員だとは思うのですが、しがし、彼女の名声を高めた世田谷美術館の『ジェンダー展』も見に行っていますが、そのカタログでもそうだったのですが、その執筆は、批評としても学問的にもまったく不十分であって、学芸員と言う学問者のテキストとしては、私は大きく失望したのでした。
 
つまり長谷川裕子氏は、すぐれてジャーなりスティクなキュレターではありますが、
すぐれた学者では、まったくないようなのです。
 
しかたがないので、
私が、欠点だらけではありますが、
自分自身の為に
問題を、我流と私見に満ちてではあるが、
しかし少なくとも真面目に、
今日のデザインとアートの問題を、
美術家の視点から、考えておきたいと思います。
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
現在に直接つながる芸術状況のデザイン化の歴史は、
キーイベントとしては、
1988年のダミアンハーストのフリーズ展の成功から始まる。
 
これにイギリスの広告代理店サッチ・アンド・サッチの社長で、
コレクターのチャールズ・サッチに見出されたてジョイントする事で、
1991年の最初のダミアンハーストの個展に結実する。
 ダミアン・ハースト1.jpg
ここで悪名高い動物のホルマリン浸けの作品が登場する。
 
この作品が今、日本に来ている。
森美術館で開催されているターナー賞の展覧会である。
 
17年たって、ようやくに日本に来るという所に、
日本の芸術シーンの遅れの距離が明確化されているのだ。
コンテンポラリーと言いながら、ちっとも同時代ではないのだ。
17年遅れの同時代アートになってしまっているのである。
 
日本の現代美術が、後進国のそれであったことは、
事実なのだが、しかし
距離的な問題は、今日でも大きいのである。
地政学というのは、不滅であると言える。
 
ちっとも、国際的な同時代美術というシステムが、
機能していないのである。
 
しかし、せっかく17年たって来ても、すでに、実はダミアンハーストは終わっているのであって、
ある意味では、終わったからこそ、極東という世界のはての日本にまで、
やって来たのである。
 
いつに、終わったのかは、
私は、ウオッチャーとしては不十分であって、細部を見た確定を厳密には出来ないが、
早ければ1995年頃、遅ければ2000年頃で、創造性の喪失が見られるはずである。
 
ウイキペディアによれば、
ハースト自身が認めているのだが、
1995年以降は深刻な薬物中毒とアルコール依存症に冒されている。
その時期の作品は初期の繰り返しや自己模倣との指摘もされている。
 
何故に1995年にジャンキーになったのか?
お金が入って麻薬を買えるようになったこともあるだろうが、
何よりも作品の行き詰まりであり、創造性の喪失である。
 
さて、評価そのものの遅れというか、
遅延の問題例はいくつもあって、
たとえば、セザンヌの回顧展にも言える。
モダンアートの代表的な規範をつくったセザンヌの回顧展が開催されたのは、実はモダンアートが終わってしまってからであった。
もっともこのセザンヌの回顧展は、日本には来もしなかったのだが。
 
さて、ハーストの作品が来たからと言って、だからこそ終わっているのだから、
ダミアン・ハーストの作品に感動されては困るのである。
ホルマリン漬けの実物そのものの面白さなのか、
それともこれが芸術作品として面白いのかを、きちんと区分して見分けてもらいたいのである。
 
ニューヨーク近代美術館はモダンアートの牙城であって、
優れた作品コレクションを誇る。
けれども、ここと、アメリカの自然博物館の良く出来た展示物を比較して、
自然博物館の方が面白いと言ったのは前本彰子であった。
こうした感想をもつ前本の感性は、
実は芸術を認識できない自然的な感性をもっているから、起きるのである。
 
前本彰子は、芸術が分からないから、アメリカの自然博物館の方が、ニューヨーク近代美術館よりも、面白いのである。
 
ダミアン・ハーストのホルマリン漬けの作品の面白さは、あくまでも自然博物館の延長の面白さであって、芸術作品のそれではないのである。
その作品を見て、面白いと言う感性は、前本彰子同様に、芸術が分からないから、起きるのである。
 
そして芸術が分からないから、前本彰子の作品は、
どうしようもないマンネリに停滞していくのである。
 
辰野登恵子とか、
石内都とか、
前本彰子とか、
最近私の個人攻撃はひどくて、
読者も不快かもしれないが、
しかし彼らはそれなりの理由が、
私との関わりから、あるのである。
弱れば、昔の関わりから、攻撃されるのは、
致し方ない。
昔の関わりは、記憶として生きているのである。
作家としては創造性を失って、弱るのが悪いのである。
悔しければ、創造性を発揮すれば良いのである。
弱肉強食をいうのは創造力にも言えて、
作家として創造力を失えば、弱者であり、
その弱点を、私は昔の記憶から攻撃するのである。
私は歴史家であるから、記憶を生きているのである。
みんな、私の言葉に刺激を受けて、
がんばって、晩年も、偉大な創造性を発揮して欲しいと思う。
芸術家の醍醐味は、晩年における創造性の高みへの到達性である。
 
閑話休題
 
ダミアン・ハーストは、テイトモダンでの回顧展を望んだにもかかわらず、実現しないばかりか、
テイトモダンもこのホルマリン浸けの作品を購入していない事。
 
さらにサッチ・アンド・サッチもすでにダミアン・ハーストの作品はすべて売ってしまって撤退していること。
これをダミアン・ハースト自身が買い戻している事。
 
事実まず、このホルマリン漬けは腐って再制作を必要としたこと。
 
欧米の美術概念では、再制作されたものは、オリジナルの芸術とは認められない。
 
これはデュシャンの泉のレプリカを購入展示している事とは矛盾するのだが、しかしコンテクストが違うようであって、ダミアン・ハーストのホルマリン漬けは、作品としての、公式には認知されて行かない可能性が、かなり強い。
 
こうして、これだけの話題性あったのだから、ゼロには決してならないと思うが、真性の芸術として、モナリザの様に、名作として美術史的に高く評価されるという事は、かなり難しいのである。
 
他の例をあげると、キーファーの登場した時の、藁を厚くキャンバスに貼付けた作品を、ニューヨークでの最初の個展のオープニングに私は行っていて、その藁のぶ厚い作品を見ているが、この作品は、ドイツの美術館にも展示されていない。落ちたのである。これらの作品は美術史的には消えるのであり、それはキファーという作家の低さでもあるのである。キファーを信奉する人が日本に沢山いるのは知っている。例えば名古屋覚氏。彼の戦闘性は高く評価するが、しかしキファーは《6流》のBクラスアーティストであって、偉大な芸術家ではないのである。むしろ詐欺師とも言うべき作家である。
 
同様のことは、李 禹煥の東京画廊での最初のキャンバスの個展での、ぶ厚い青い顔料の作品は、私がオープニングの日に見た時に、落ちると思ったが、落ちたのである。初期の作品は、油彩のキャンバスの上に、ドーサを引いているが、油性の下地に水性のドーサを引くのは、油に水で、この手法も非合理で、黄変している。李禹煥の学問的に正確な回顧展は、日本でも、開催されていない。多くの作品が、残っていないのである。最初の美術館での回顧展である岐阜美術館の回顧展も、神奈川近代美術館での回顧展も、学問的な正式の回顧展になっていなかった。神奈川近代美術館でのものは、再制作作品を、明示しないで、年号をいつわってカタログを制作していた。私は初日に、学芸員室で指摘しているが、『いい加減なんだよな』と、学芸員室が大笑いで満たされて、終わりであった。日本では、こうして笑ってすむのだが、李禹煥の回顧展が、モンローのいるグケンハイム美術館で企画されながら、流産したのだが、この理由を私なりに推察すれば、それはアメリカの厳しい基準での学問的な回顧展に、李禹煥の作品制作の杜撰さが、耐えられなかったからである。【訂正を含めて、違う情報を書いておきます。グケンハイム美術館での李 禹煥の展示企画は、メイン会場ではなくて、脇の部屋でやる、小規模のものであったらしい、という情報です。それと、美術館の側が企画を中止したのではなくて、李が断ったという話も聞こえてきます。】そもそもで言うと、李の絵画の代表作は、実はもの派の絵画ではなくて、1960年前半にすでに描かれた絵画の再制作であったのである。このことは美術出版社から出ている最初の画集でも確認できる。それ以上に良いのは、椎名節が編集した『みずえ』の李特集号で、そこには重要な記録がいくつも入っている。最初の東京画廊での個展の絵画を、キュレーションしたのが東京画廊初代社長の山本孝で、かれが古い絵画の再制作を命じたのである。どうしてそういう事を私が知っているかと言えば、その時のオープニングに入る為にドアを開けると、李が飛んで来て、私に「ここにあるのは古い絵画だ」と言ったからである。李は正直な作家であって、その意味では芸術家である。平気で嘘をつく、多くの作家とは違うのである。それで私は故・山本孝氏に取材して、確認を取ったのである。このことは息子の山本豊津氏にも確認している。今、彼の立場で言えるかとどうかは知らないが・・・。さらに言えば、その1960年代初頭の李のアンフォルメルを背景にした絵画自身が、実は韓国の伝統運動の中からでてきたというか、その模倣とも言うべき絵画であって、その指摘は目黒美術館で行われた日韓美術展のカタログで、李に対する名指しこそされていないが行われている。李の模倣の問題は、藤枝晃雄氏も、最近刊行された『日本近現代美術史事典』(東京書籍、20079月刊)の李の項目で、模倣を指摘されているが、実は他にもかなりの実例を上げられるのである。つまり学問的に李の作品を研究すると、俗世間で見られているのとは、違う李の姿が現れるのである。もの派の初期作品として李が主張している鉄をL字に切った様なものと石のある作品は、峯村敏明氏も以前に疑いを表明しているが、発表場所も、年代も確定できないろものである。問題はこうした杜撰さや、その模倣性よりも、そのことによって、どれほど高い芸術が作り出されているかである。私見によればそれは《6流》に過ぎないのである。それも真性の芸術ではなくて、エンターテイメント的デザインともいうべき書道作品である。正確には南画である。ロスアンジェルスでの李の回顧展の企画も流産しているが、この2つの美術展の不正立は、流言飛語ではなくて李禹煥本人が認めている。【この噂のロスアンジェルスの美術館が、どこなのかは不明です。情報通の人に聞くと、MOCAではなくて、ロスアンジェルス・カウンティ・ミュージアムではないかったのか?という話もありますが、これもしかし、かってな憶測と噂話です。】このニュースソースは、ここでは書けない。が、確実な情報である。私自身は、裏情報のパイプは大切にして、持っているのであって、それがなければ、美術界の事実や真実は、推測すらができない。美術雑誌も、業界新聞も、何も本当の事を書かなくなってしまっているのである。李のインスタレーションの石と鉄板を使った作品は、石は庭屋から借りて来て、展覧会が終わると庭屋に返しているのである。こうした制作態度での作品は、アメリカの芸術基準では、むずかしい。スミソンの回顧展を私は見ているが、石を使った作品は、そのまま実物で保存されているのである。スミソンの代表作の水辺の渦巻きの作品も、現在も残っていると聞いたが、私は実見していない。ともあれ、絵画に於いても、彫刻に於いても、美術史の学問性を基準に見ると、李の作品は脆弱であり、多くの問題を持っているのである。【しかし、こういう欠点があるからこそ、李 禹煥の作品は社会的に強いと言える。これについては、このシリーズの中編で書きます/】
 
作品制作は、難しいものであって、レオナルドダヴィンチに見られる様に、作品は事故を起こすし、喪失するものもあるが、それは現実の中での不可避の事実であって、私の制作にも、ある事である。作家は、苦闘して行くのであって、それは楽な事ではない。このことと、芸術的正当性の追求を意図的に詐術的に、省略や、ごまかして、社会的に成功する手段化したものは、本質的に違うのである。ごまかした作家は、ビュッフェやロスコーのように、晩年に自殺に至っている例すらもあるのである。私はロスコーは、世評のように優れている作家とは思わない。あの自殺は本質的な敗北ゆえである。
 
重要なのは、あくまでも真性の芸術を追求しえたかどうかの、作家の姿勢である。多くの作家は、芸術そのものを追求していない。李も、真面目に芸術を追求はして来なかったと、私は考えている。もっとひどいのは、たとえば河原温は、芸術の追求をしていないのであって、1970年頃以降は、芸術的探求も追求もないのである。
 
ここで本題のデザインと美術のあいだの関係に戻るのだが、
李の絵画も、そして河原温のデイトペインティングも、
彦坂流の《言語判定法》で見ると、デザインであって、
芸術作品ではないのである。
こうしたものが社会的には高額で取引されていても、
これらは真性の芸術ではない。
 
ダミアン・ハーストの登場は、しかしこうしたデザインと芸術の亀裂を十分に利用して登場したのである。
つまりフリーズ展が評価された大きな要素は、
デザイン的な完成度の高さであり、
そして作られたハーストの作品集の、
デザイン的完成度の高さが、大きな歴史性を体現したのである。
 
(この分厚い作品集はずいぶん前に、4万円くらいで買っていたのだが、
つい最近、ギャラリー手に売ってしまった。)
 
言い換えると、芸術の名に於いて、美術が社会的に高名で、高額に流通して行くのは、
実は芸術性ではなくて、デザイン性なのである。
 
芸術とは、社会的にはデザインである。
これが事実であり、真実である。
 
このことを、ダミアン・ハーストは、証明して見せたのである。
 
この状況に日本で、
同時代的に対応したのが、村上隆であって、
1989年に最初の個展をやり、しかし
話題になるのは1991年のシュミレーショニズムの個展からである。
ここから始まる彼の作品の特徴は、
デザインとしての完成度、そして画工をつかった美術工芸品としての、
完成度の高さである。
 
社会的に芸術の名で、高名になり、高額になるのはデザインであって、
真性の芸術作品では無いという事を、
村上隆の『芸術起業論』は実証し、
成立させたのです。
 
つい最近も、村上隆と直に付き合っていた、
ある人物と飲んでいたのだが、
村上は眠らないで作品を作り続けるので、
心配して忠告すると、
「自分には才能が無いから、勤勉さで補う」という様な事を言っていたと言う。
 
村上隆の著書『芸術起業論』にも、
自分には才能がないという様な
同様の言い方はあったのであって、
そういう意味では才能の無いという自覚を持つ美術家が、
あれほどまでに努力をして世界の美術市場に展開して行くと言うのも、
不思議な気がするのである。
そして才能の無い作家が、大成功をする所に、
美術や芸術がもつ、本質的な構造が存在するのである。
 
市場に乗るものは、実は芸術的才能も、芸術的達成もいらない。
それが、美術とは、社会的には、デザインであると言う事です。
 
1986年頃から登場して成功したアーティストを上げてみると、
森村泰昌をはじめとして多くのアーティストが、
デザインワークなのである。
 
そのことは中国人の現代美術にも言えて、
全部と言って良いほどが、デザインに過ぎないものである。
 
最近の松井冬子の日本画にしても、
ネガティブ性を持ったエンターテイメント的デザイン画である。
 
しかしこうしたエンターテイメント的デザイン画の隆盛というのは、
今始まった事ではなくて、歴史的には、
古くからそういう実例はあるのであって、
実は美術作品の8割はこうしたものであったのではないかと、
私は考えるに至った。
 
つまりデザインこそが、芸術の大地であり、
海であるのである。
 
つまり社会的には、芸術というのは、デザインなのである。
正確には、たぶん80パーセントはデザインなのである。
20パーセントだけが真性の芸術であるのだが、
この真性の芸術なくしては、芸術の成立ないのだが、しかしそれは社会的には成立できないものなのではないのか?
つまり真性の芸術というのは、芸術の、なんらかの高度な専門家だけに分かるものなのであって、一般的な社会性を持ち得ないのではないか?
 
(つづく)
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