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金沢21世紀美術館とCAAK(加筆3) [アート論]

先日の金沢建築ツアーというのは、
建築家の新堀学さんの建てられたM氏邸を見に行く事がメインでした。

それに連動して建築ツアーがつくられたのです。
さらにCAAKという、金沢の建築家たちの拠点での、
シンポジウムが開催されました。

CAAKというのは、Center for Art & Architecture, Kanazawa の略称です。
都市/建築/美術を横断する開かれた場を目指して、
2007年秋に金沢にて活動を開始しました。
美術・建築書のアーカイブを備えたレジデンス「いきいき荘」をベースに、
レクチャー、パーティ、ワークショップ、展覧会などをゲリラ的に行って来ています。

CAAKは、すばらしいと思いました。
金沢21世紀美術館の成功を軸にして、
若手建築家の仕事が、活性化して来ているのです。
そしてその拠点の存在が、なんとも良かったです。

拠点の「いきいき荘」に泊めてもらったのですが、
拠点のあることによる交流の現実化の威力は、
手応えのあるものでした。

シンポジウムでは、私に一番面白かったのは、
新堀さんの皇居美術館の発表でした。

新堀学さんと、彦坂尚嘉という異質な頭脳が、
二つの正反対の皇居美術館の建築イメージしています。

2つの正反対の皇居美術館の建築空想が、どれにも焦点を持たないで、
さまようことが出来て、良かったと思います。

なにしろ空想ですから、
そういう、さまよいが大切なのです。

黒沢伸さんが駆けつけて参加くださったのも、
大変に良かったです。

◇黒沢伸
彦坂さん、楽しかったですね。駆けつけて良かったです。
お話を聞きながら、自分でも話をしながら、何か空気中に塊というのかそんなものを感じていました。
皇居美術館は別な文明が立ちのぼる作品ですね。
凄く面白いのに(ので)、会場にとっては時間不足だったかもしれません。
彦坂さんの「書かれた」言葉では聞いていましたが、彫刻の作品の写真見せていただいて尚良かった。
明快ではあるがあまりに唐突で、しかも具体的なので現実との落差にたじろぎますが、
それを乗り越えるとイメージが爆発する感覚があります。実物で拝見したいものです。
彫刻は後で思い出して、木で作るとどうなるのかなど勝手な想像をしたり・・・。

で、朝、目を覚ましてみるとまだ会場にいました。
こんなことも自分では久しぶりの出来事でした(笑)。 
by 黒沢です (2008-06-23 13:27)  

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黒沢伸/KUROSAWA SHIN

[2004/10/08]
元・金沢21世紀美術館・学芸員(エデュケーター)

金沢21世紀美術館の元学芸員。1959年12月19日東京生まれ。

血液型B型。洋画家で絵画教室を開く父のもとで、子どもの絵画コンクールなどで数多くの賞

を受賞する。東京造形大学絵画科卒業後、東京芸術大学大学院美術研究科に進学。高校生の頃

から続けていたバンド活動に夢中になり、同大学院修了後もさまざまなアルバイトで生計を立てる。
バンド解散を機に89年「水戸芸術館現代美術センター(茨城県水戸市)」の立ち上げに参画。

学芸員として美術館の新しい在り方を提示し、日本の現代美術界に新風を吹き込む。
97年同美術館を退館。東京に戻り約1年間フリーランスのキュレーターとしていくつもの展覧会の企画を手がけた後、

99年、「金沢21世紀美術館(石川県金沢市)」の学芸員として就任。約5年間の準備期間を経て、

同館は04年10月9日午後1時に開館。同建物の一部として設置される作品群の解説やコミッションワークなどを担当する。

現在は金沢湯桶創作の森所長。


このシンポジウムは、たしかに、唐突で、
観客の誰にも、理解できなかったのかもしれません。

そのせいか、
21世紀美術館で仕事をしている一人の女性に執拗にからまれて、
私はかなり不愉快な思いをしました。

この女性の根底には、21世紀美術館の興奮が熱くあって、
礼儀とか、他人に対する距離のようなものが消えていたのです。

金沢21世紀美術館は、確かに成功したのです。
これに対して熱くなる関係者の気持ちも、
町の気持ちも、私にも良く分かります。

そのことと、東京で、様々なものを見て来て、
そして欧米の美術館をいくつも見て来て比較する眼を持っている人間とは、
ある、距離が存在するのです。

東京から見ると、
指定管理者制度ができて、衰退して行く多くの美術館の問題と、
金沢21世紀美術館のディズニーランドのような空虚さは、
この時代の硬貨の両面に見えるのです。

私はオープン点に来ているので2回目でしたが、
繰り返し見ると感動が深まると言う美術館ではありません。
目先の成功を取る視点はありましたが、
100年後の金沢の文化を考える長期的視点が無いのです。

むしろ白々とした感覚は深まります。
芸術的な感動を呼ぶ優れた作品が無いのです。
タレルにしろ、カプーアしろ、芸術的にはたいした作家ではありません。
素人や子供が、よろこぶものに過ぎません。

アミューズメントパークとしては、千葉の東京ディズニーランドと比較すると、
金沢よりも東京ディズニーランドの方が優れているし、
集客能力も東京ディズニーランドの方が多いのです。
金沢にディズニーランドがあれば、
21世紀美術館は成立しなかったでしょう。

金沢21世紀美術館と、ニューヨーク近代美術館を比較すれば、
比べ物にならないほど落ちます。
日本の東京国立近代美術館と比較しても、落ちます。
ニューヨークの、ニューミュジアムと比較しても、落ちるのです。
金沢の人々の興奮は分かりますが、
世界の美術館を見て来た人間は、興奮はできません。
下級のCクラス美術館に過ぎないのです。

こう言うと、一方的に批判している様に見えますが、
そうではありません。
金沢21世紀美術館の成功は、やはり大きな歴史のモニュメントと
言うべきものであります。

欧米の美術館は、膨大な無知無能の観光客と、
それと少数の専門家の見識の高い眼を持つ人々の、
2種類の観客を集める事で成立して来たのです。

それが日本の美術館には、膨大な無知無能の観光客を集客する意思が、
最初から存在しなかったのです。

ですから金沢21世紀美術館というのは、
この欧米の美術館の半身を実現した事において、
評価するべきものがあります。
たくさんの無知無能な観客の、拍手喝采を集める事に成功したからです。

しかしもう半身の優れた歴史的芸術作品が無いのです。
そして少数の専門家の見識の高い眼を持つ人々の支持を得ていません。

今後のコレクション活動で、21世紀の新しい芸術を積極的にコレクション
していけるのでしょうか?
おそらく、そうしたまともなコレクション活動をすることは出来ないでしょう。
目先の成功を取る視点はありましたが、
100年後の金沢の文化を考える長期的視点が無いのです。

金沢には、長期にわたって現代アートを広範にコレクションしていくだけの、
それだけの見識も予算も、
まったくと言っていいほどに無いはずです。

金沢21世紀美術館が、砂上の楼閣である危惧が見えるのです。
50年後、ベルリンのリベスキンドのユダヤ美術館は残っているでしょうが、
金沢21世紀美術館は残っていないでしょう。

建築のプレハブ性が、時間を区切っていて、
バラック建築に過ぎず、
永遠性を喪失して建てられているのです。

そして50年後のコレクションも、
21世紀美術の半世紀のコレクションとして、
世界に先駆けたすごいコレクションというふには、
なっていないでしょう。
なぜなら、100年後の金沢と日本の文化を考える
長期的視点が無いのです。

50年後、
そこにあるのは、半世紀前の遊園地の遊具なのです。

美術館の閉館というものも、いくつも見てきました。
代表的なのは西武美術館/セゾン美術館の開館から閉館までを見ている経験です。
オープン前から学芸の中心とも飲んでいましたから、
そうした夢が破れて、
廃館にいたった。
閉館の後のむなしさを、私は覚えているのです。
今も付き合っている武田友孝さんは、
やはり西武美術館の立ち上げから関わっていた人です。

開館して成功を喜んでいる美術館の、
数十年後の閉館を幻視しなくても良いのですが、
しかし、オープン展でも、今回でも、
見えるのは、その幻視する《金沢21世紀美術館の廃墟》なのです。

私の性格はよほど悪いのだと思いますが、
日本の美術行政の力のなさを見て来ている経験が、
こうした《金沢21世紀美術館の廃墟》を幻視させるのです。

私は年齢的にも《金沢21世紀美術館の廃墟》の上に立つ事はできませんが、
その廃墟を乗り越える事を、今から考える必要はあるのです。

100年後の日本文明を考える長期的視点が必要なのです。
《国家百年の計》です。

それ故に、《芸術憲法の確立》を夢に描き、

そして《皇居巨大美術館の空想》に生きるのです。

空想の上にしか、「理想の美術行政」を見ることが出来ないからです。
私の作品は、《国家百年の計》を、日本の現代美術家が思考すると言う空想作品なのです。



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