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山口百恵の顔(1/4)真性の芸術 [新・美人論]

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この画像は中国サイトからの転載の転載です。
出典・苦しみのバラ Photoの広場
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さて、山口百恵の顔は、なぜに、魅力があったのでしょうか?

山口百恵の瞳に、見入ってください。悲しみに沈んだ眼をしているようではないですか。大スターになったのに、なぜ、こんな暗い顔をしているのでしょう。しかも21歳で引退したのですから、この写真は20歳か、19歳か、若い写真のはずなのに、成熟した大人の女になっていますね。

国民的アイドルとされる山口百恵なのに、何故に、彼女は21歳で引退したのでしょうか?

21歳ですよ!

そして、この悲しみに満ちた彼女は、美人なのでしょうか?

黒木メイサと比較してみましょう。

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黒木メイサは若々しくて、明るいですね。
山口百恵も20歳前後のはずなのに老けていて、すごく暗いですね。

次にある彦坂尚嘉の言語判定法による分析は、あくまでも私の主観による芸術分析なのです。ムーディーズの格付けも同様の内容の留保を付けています。格付けというのは、そういうものなのです。異論のある方が多いとは思いますが、それは私の責任でしている個人の分析なので、お許し願いたいと思います。


黒木メイサの顔

《想像界》の眼で、《8流》。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《7流》の重層美人。
《現実界》の眼で、《超1流》美人。

黒木メイサは、《超1流》の美人なのですが、
3界のどこでも合法的で、実体的で、芸術ではありません。
デザイン的エンターテイメント美人なのです。

もう1人代表的な美人・仲間由紀恵と比較して見ると、少し分かってきます。

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仲間由紀恵はきれいで、さわやかで、正しい感じですね。
それに対して山口百恵は怖い顔で、鬱病的で、悪い感じですね。

仲間由紀恵の顔
《想像界》の眼で《1流》
《象徴界》の眼で《1流》
《現実界》の眼で《1流》

仲間由紀恵は、典型的な《1流》美人ですが、
3界のどこでも合法的で、実体的で、芸術ではありません。
デザイン的エンターテイメント美人なのです。

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この画像はレコード専門店・ディスクオオツカからの転載です。
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さて、山口百恵の顔ですね。彼女の顔を、一枚の名画のように鑑賞してみようと思います。

まず、私の書こうとする事は、芸能批評ではないのです。芸能批評家ではなくて、「美人は、芸術なのである」という、とんでもない、馬鹿馬鹿しく聞こえる主張を、私はしているのです。

私は現代美術家ですので、だから私が,芸能界の美人を、芸術であるとして主張して、芸術分析するのです! 私が主張したからと言って、私の主張が入れられて、国立近代美術館に山口百恵が住むようになるという訳ではないのです。

しかし、美人の「美」と、美術館の「美」は同じ《美》なのですから、美人に美術館に住んでもらうと、観客が沢山来るでしょね。観客の来なくなった美術館のテコ入れ対策として有効かもしれません。そして一ヶ月に1回、美術館ツアーをしてもらう。松井冬子さんは、美貌と幽霊でブレイクしているのですから、美術館に美人という組み合わせもブレイクして、がらっと美術館人気が出るだろうと思います。

つまり《美》というものを、美術の中にあるようにしていく必要があると思うのです。美しさの無い美術館には、人は行かないのです。

つまり「美人は、芸術である」=「《美》が芸術である」という主張が、作品なのです。「意見広告」というのがありますが、「意見アート」というものです。「《美》が芸術である」と言うと、ものすごく古い価値を言っている事になります。しかしそれが今様の情報化社会の《情報アート》というスタイルをとっているのです。その新旧の取り合わせの妙が新しいのです。

《情報アート》というものが、あるのです。日々流れてくるテレビコマーシャルのような芸術です。もしかかすると、テレビコマーシャルの中にも芸術は、あるのかもしれません。とりとめもない万華鏡のような玉石混合の情報の洪水。

実は私の1971年のデビュー作であるフロアイヴェンという作品があります。これは天然ゴム液を、東京世田谷の自宅の八畳間に大量に流すと言う作品でした。それをやった写真を発表するという《情報アート》として構想された作品でした。実際にハガキで出して,これで成立するものなのです。

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(この作品はオフセット印刷で刷られたハガキに、彦坂の手刷りのシルク印刷で作られています。ニューヨークのクイーンズ美術館で開催された『グローバルコンセプチュアリズム』展の表紙になっています。さらにロスアンジェルスのゲッティ・インスティチュートでコレクションされています。まだ数枚ありますので、コレクションしてくださる方は、ご連絡ください。担当・坂上しのぶ shinobu@flamenco.plala.or.jp

こういう《情報アート》的考え方は,現代美術では、すでにあったものなのです。ギルバート&ジョージという、イギリスのホモセクシュアルの現代アーティストたちは、「生きている彫刻」ということを主張しました。

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石やブロンズという耐久性のある《もの》ではなくて、生きている人間を彫刻であると言い出したのです。それは一面で見ると、固い石やブロンズという《もの》をつかわない直接的な生肉のパフォーマンス芸術の主張ですが、私の理解は、少し違います。

物質文明の物質芸術を乗り越えようとする、情報化社会の《情報アート》の主張であると思います。

芸術は、《もの》ではありません。《もの》は《もの》なのです。芸術は《もの》ではなくて、《情報》なのです。ソシュールの言語論で言えば、情報というものは、シニフィエなのです。つまり脳内リアリティです。頭の中だけにある本質です。

ギルバート&ジョージの場合には、ホモセクシュアルな2人が自分たちを「生きている彫刻」であると思い込むというファンタジーが生み出す《情報》=思い込みが、作品なのです。それはファンタジーですから、万華鏡の様に、華麗でとりとめもないものになります。

「《情報》が芸術である」という考え方は、ですからシニフィエの万華鏡であり、それは脳内リアリティの本質がもつ空虚なものです。頭の中だけで、何があっても、意味はなく、空虚なのです。パフォーマンスの写真や、記録が作品になって行きますが、多くの人には物足りないのかもしれません。
同じ様に、山口百恵のスター存在とパフォーマンスが残した写真や記録ビデオが、彼女の《情報アート》なのです。これもまた膨大な量のカレッドスコープです。シニフィエの虚無性を抱えています。それらは芸術なのでしょうか?
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この画像は中国サイトからの転載の転載です。
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この画像は中国サイトからの転載の転載です。
出典・苦しみのバラ Photoの広場
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日本にも来て、青山にあったアートエイジェンシ東京という大きな画廊でパフォーマンスもやって、私は一番前に座って見ていました。彼らの歌もパフォーマンスそのものも、エンターテイメントの芸としては下手なものでした。エンターテイメントととしてのポジティブな価値はなかったのです。退屈で凡庸で下手で、良いものではありませんでした。しかしネガティブに、芸術として面白かったのです。なぜに面白いのか? 馬鹿げていて、ネガティブに、悪い冗談としてのナンセンスさが、ニヒリズムとしての面白を持っていたのです。

今日では、人間が生きる事の意味自体が、無意味になってしまったことは、事実ではあるのです。それで良いと私が主張しているのではありませんが、そうしたニヒリズムを背景とした《想像界》の芸術が多く作られる様になります。

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ギルバート&ジョージ 
《想像界》の眼で、《8流》
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の多層重層表現。
《現実界》の眼で、《1流》

《想像界》で、非実体、非合法、《退化性》があって真性の芸術。
《象徴界》で、《退化性》は無い不完全な芸術。
《現実界》では、たんなるデザイン的エンターテイメント

ギルバート&ジョージの「生きている彫刻」という作品は《想像界》の芸術でありました。芸術というものは、いろいろあって、ファンタジーのアートである《想像界》の芸術、そして哲学的アートである《象徴界》の芸術というのもあるのですが、《現実界》の芸術というものもあります。それは禅と同じ様なものなのですが、《空》とか《無》の芸術です。

《象徴界》の芸術には意味はありますが、《現実界》や《想像界》の芸術には、意味はありません。そこに、意味はなにも無いのです。馬鹿しいホモセクシュアルの二人組の肉体が、下手な歌をうたっているという、素人芸でしかないネガティブな事実だけの《とりとめもなさ》が出現するのです。新宿の2丁目のおカマバーのショーの方が、エンターテイメントととしては、面白いです。しかし新宿の2丁目のおカマバーのショーは、芸術ではなくて、エンターテイメントです。それにたいしてギルバート&ジョージの《情報アート》、特に初期の作品は、完全ではありませんが芸術として美しいものなのです。

芸術というものが、「生きている彫刻」、さらには「生きている絵画」としてありうるという視点は、馬鹿馬鹿しくても正当なものであったと,私は考えます。

芸術とは、実は単に、ネガティブ性によって人を引きつけて行くものだからです。

人を魅了する方法には2つあって、ポジティブ性で引きつけるものと。ネガティブ性で引きつけるものがあります。本当は、この2つが、繰り返し折り返されて複雑なのですが、結局、どちらかが優勢になって、ポジテッィブな魅力をエンターテイメントと呼びます。そしてネガティブな魅了性を、芸術というのです。

つまり芸術とエンターテイメントとは、自動車のアクセルと、ブレーキのような関係にあって、両方がないと、実は動かないものなのです。この場合、ブレーキが芸術で、アクセルがエンターテイメントです。エンターテイメントなき芸術はつまらないし、そして芸術性の無いエンターテイメントもつまらないのです。両方があって、人を魅了できるのです。

いや、実はもっと複雑で、人間の男女の性の様なものです。ポジティブとネガティブの性器の形状のように、明快でありながらホモセクシュアルや、レスビアンがあったり、ハイヒールの好きなフェティシズムがあったり、痛みや拘束が好きであったり、極めて多形倒錯しています。多形倒錯(たけいとうさく)とは精神分析の言葉ですが、性的嗜好が一定していない状態を言います。芸術とエンターテイメントの関係も、こうした性差の多形倒錯と同じ様な複雑なものなのです。この場合は、どちらが芸術で、どちらがエンターテイメントであるかも、分からなくなる倒錯性を持っています。


芸術の基本は、他人を魅了するということの中にあります。これについては、イギリスBBCがつくって、NHKでも放送した、優れたアート番組How Art Made the World(邦題「芸術のわな」)が指摘している視点なのです。必見のアート番組です。
http://www.bbcjapan.co.jp/tv/music_art/02_how_art_made.html

つまり芸術は、絵画とか、彫刻といった《形式》の中にあるのではありません。膨大な絵画作品の多くは、エンターテイメントであるかもしれませんが、芸術ではありません。彫刻も同様で、大半の彫刻作品はエンターテイメントであって、芸術ではありません。
こういう言い方が過激すぎるのなら、若干の留保をつければ、
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界すべてで、真性の芸術たりえて
いる絵画や、彫刻はわずかしかないのです
《形式》は重要なものですが、《形式》だけではエンターテイメントではあり得ても、芸術になり得ないのです。


続きは下をクリックしてください。
正確に言えば、芸術というエッセンスそのものは気体状態のものであって、形式から蒸発してしまって、自由に越境して行くものなのです。東洋、正確には中国ですが、中国では「気韻生動」という言葉で、芸術を指し示しました。面白いのは李 禹煥氏と話した時に、この「気韻生動」という話をすると、嫌がった事です。まったく受け付けませんでした。何故なのでしょうか?

芸術は気体分子ですから、香水の匂いの様に、揮発し逃げて行くのです。それが情報化社会の《情報アート》の姿なのです。もやもやとして、どこに行くのかも分からないし、とらえられないような不確かさと、意味の喪失。

それは私たち自身の人間関係が頼りのないものになり、核家族も解体し、親友も無く、人生の意味が分からなくなる事と対応しています。神も無く、希望もなく、未来の当ても無く、それでも活力に満ちて、生きて行かなければならない。

そうした時に、むしろ「生きている絵画」としての美人の方に、真性の芸術が存在しているのです。美人というのは、実は「人体」と言う《形式》を有しているのであって、人体とか肖像とかいうものは、《スター崇拝のアート》=《偶像崇拝の芸術》という太古からの形式をもっているのです。(ただし《抽象芸術》ではありません)
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美人というものは、鑑賞しうるのであり、事実、私たちは鑑賞して来ているのです。キャンバスの描かれた絵画や彫刻は、善し悪しを理解するのが学習し訓練しないとむずかしいのですが、美人は分かりやすいのです。すべての美人がエンターテイメントを抑制した芸術であるのではありませんが、しかし美人の中には、ネガティブ性をもった芸術である者がいるのです。つまり《芸術》は、本当はむずかしいものではなくて、《スター崇拝のアート》=《偶像崇拝の芸術》は、私たちが普段に眼にして、引きつけられているスター性の中に、あるものなのです。

先ほど、ギルバート&ジョージの歌やパフォーマンスは、下手だと言いましたが、山口百恵が、歌手として傑出しているとは、私は思いません。そして音楽として大芸術であるというように優れているものでもありません。山口百恵の歌は《2流》で、美空ひばりの《超1流》性と比べて落ちます。単あるデザイン的エンターテイメントでしかありません。たわいもないものだと、私は思います。異論は多くあるとは思いますが、それが私の考えです。私の論じるのはあくまでも、美人論として、山口百恵を評価するのです。そのことを、お断りしておきます。

さて、山口百恵の顔は、芸術であったのでしょうか?

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この画像は中国サイトからの転載の転載です。
出典・苦しみのバラ Photoの広場
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彼女の悲しみが、人々を引きつけたのです。他人の不幸は《蜜の味》なのです。そして人間の《不幸》や《苦しみ》こそが本物の芸術を作り出すのです。21歳で引退するしか選択できなかった女の悲しみが、人々を引きつけた。

もう少し厳密に分析してみましょう。


山口百恵の顔

まず、驚くべきは、この写真で見ると、彼女は、《想像界》
《象徴界》《現実界》の3界すべてで、非合法性があり、
非実体性があり、しかも《退化性》があって、
真性の芸術なのです。

山口百恵は、美人として、真性の芸術であったのです。

しかし、《ハイアート》ではありません。《ローアート》です。
日本語で言えば、高級芸術ではなくて、大衆芸術です。

《偶像崇拝アート》であって、抽象芸術ではありません。

だがしかし、《きばらしアート》ではなくて、
《シリアス・アート》であったのです。
彼女は真面目な芸術的美人でったのです。
このことは、重要なことであります。


そして《現実界の芸術》でありました。これを説明するのは、難しいのですが、つまりデュシャンの便器を使った『泉』という作品の様な《現実界》の芸術作品であったのです。言い換えると、無意味な、芸術です。斬新で面白いのですが、無意味性が強いのです。ニヒリズムです。このことは、山口百恵自身が、一番無意味=ニヒルに感じる事であったと思います。


《想像界》の眼で、《1流》美人。
《象徴界》の眼で、《8流》
《現実界》の眼で、《8流》

《想像界》の眼で見れば《1流》美人ですが,しかし、《象徴界》《現実界》でみれば《8流》美人であるのです。《8流》美人というのは信仰領域で、新興宗教のように、信じるものには、素晴らしく見える領域です。山口百恵を信じれば、彼女は美しく見える。日本中が、山口百恵教を信じたのです。平岡 正明が主張した「山口百恵は菩薩である」であると言う意味は、実は、山口百恵が、《8流》美人領域に、深く根ざしている事であったのです。これは新興宗教の領域に、山口百恵が立っていたことを意味します。《8流》というのは、迷信の領域でもあるのですが、それは私たちの生活世界を浸しているのです。 スチュアート・A. ヴァイスという人の人はなぜ迷信を信じるのか―思いこみの心理学』という本が、朝日新聞社から出ていますが、なかなかの名著です。観客は迷信を信じたのですが、山口百恵には、こうした観客の熱狂も無意味に見えていたのです。回りは熱狂して彼女を崇拝しても、山口百恵自身には、それもまた、無意味でニヒルに見るしかなかったのです。だから、21歳で引退を選んだと思います。

しかし《8流》美人性が強いとはいえ、山口百恵が、《シリアス・アート》の美人あり、《現実界の真性の芸術》美人であったというのは、驚きであります。芸術分析をして、私も初めて知った事柄なのです。

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佐藤 大輔

古い記事でしたが、まだ未読だったので拝読いたしました。

芸術という問題意識の、微妙な性質について透徹して書かれた、彦坂さんの多くの記事の中でもとても傑出したブログであったように思いました。

こういった古い記事を再掲載するという事も、情報発信の技術としては考えられるのではないでしょうか。
もっとも、彦坂さん自身は現在の同時性とその限界において、様々な思索を更新されていく事にプライオリティを置いておられる事とは察しいたしますが。

by 佐藤 大輔 (2010-10-22 18:38) 

佐藤 大輔

P.S 現在進行中の栃原さんとの「耳で覚える藝術!百次元」と繋げるなどしたら面白いかと思います。
by 佐藤 大輔 (2010-10-22 18:42) 

無題

三流芸術家の三流ブログとはまさにこのこと
読むだけ時間の無駄でした

893バックに好き勝手してた阿婆擦れ婆さんが歌手として一流とか
もうお笑い
by 無題 (2012-02-16 10:05) 

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