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スーパースタジオと帝国美術館(訂正と加筆) [アート論]

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SUPERSTUDIOは、イタリアを拠点とする、デザイン批評

団です。1966年フィレンツェ大学建築学科を卒業した

築家たちを中心に結成されました。

私が知ったのは、同じ1960年代の後半に『美術手帖』に

連載されていた磯崎新の『建築の解体』の連載ででした。

スーパースタジオはラディカル・アーキテクチュアの創始

者の一つであり、建築人類学的な再構築の試みを一貫して

行ってきたと言われます。


私が再び出会ったのは、『帝国美術館』という構想をつくっ

て、五十嵐太郎さんに相談した時でした。相談といっても、

電車の中で話しながら、ノートパソコンで、彼らの

《コンティニュアス・モニュメント》を見せられたのです。


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こうした作品は、ドナルド・ジャッドテキサス州にある過疎の町
マーファ(Marfa)の陸軍基地跡の廃屋を含む砂漠の土地で、実現し
ていますね。
スーパースタジオには、ミニマリズムの性格があり、
こうしたグリッドの使用は、良い作家ではありませんがフランスの
レイーノのグリッドの作品に引き継がれますね。
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 彦坂尚嘉の『帝国美術館』というのは、全人類の美術の中から、

《超1流》の美術作品と建築を集めた美術館を建設すると

いう《空想の美術館》の第2弾で、

『皇居美術館空想』のバリエーションであります。


《空想の美術館》というのは、もちろんアンドレ・マルローの

「空想の美術館」を下敷きにしたプランです。マルローの

考え自体が、複製時代の芸術を問題にしていたのであり、

ベンヤミンの『複製時代の芸術』の展開であると言えます。

そして私の『皇居美術館』『帝国美術館』も、情報化社会での

芸術の測定の基準のひとつの提案なのです。それは芸術思考が生

み出すコンセプチュアルな作品なのです。


『皇居美術館』が日本美術全集の《超1流》版であるのに

対して、

『帝国美術館』は、世界美術全集の《超1流》版であります。

これをマンハッタン島に建設するというものです。

そこで、スーパースタジオの《コンティニュアス・モニュメント》

を、参照することになったのです。


《コンティニュアス・モニュメント》というのは、ニューヨ

ークを覆い尽くすという壮大な空想であります。

これは私の『帝国美術館』のイメージにぴったりで、

私のも、マンハッタン島を覆いつくす巨大建築を考えていた

のです。


私が荒唐無稽な巨大建築にひかれて行くのは、地球環境の悪

化の中で、鎌倉の大仏や、超一流の建築を守る為には、巨大

建築の中に収容する事を考えた方が良いからです。

さらには、巨大なシェルターで覆われた都市国家を建設する

必要があると考えるからです。ノアの箱船としての巨大都市

です。これをリノベーションという視点で考察してみるという

事です。


もう一つ五十嵐さんに教えられたのはバックミンスター・フラ

ーのマンハッタン島をフラードームで包むというものです。

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バックミンスター・フラー1895年 - 1983年 は、有名で

はありますが、然るべき評価を受けることはなく、彼の発

明のほとんどは生産されませんでした。また関わった建築

の分野では厳しい批評に晒され、ユートピア主義者とされ

無視されたのです。


スーパースタジオにも、同じ事は言えます。スーパースタ

ジオについては松田逹さんが書いておいますが、それによ

ると1970年前後のラディカルな建築家集団という評価があ

るくらいで、実際の建築は一切建たず、実現された彼らの

作品は家具やインテリアのいくつかの作品くらいだという

のです。


その理由は、私見ですが、彼らの建築プランが、頭の中

だけで考えられたものであって、空想科学小説のような荒

唐無稽なものだったからです。

言語学の言葉で言えば、本来の建築は物質性を持ったシニ

フィアンなのですが、スーパースタジオは、脳内リアリテ

ィとも言うべきシニフィエだけだったからです。

【続きは下をクリックしてください】


この1960年代後半のイタリアには、アルテ・ポーヴェ

が出現していたのであり、彼らが物質性に固執して行っ

たのに対して、スーパースタジオは物質性を削除したので

す。実はイタリアだけではなくて、この時期には、情報

革命が叫ばれ、日本では大阪万国博へと向かうこともあっ

たのですが、未来主義的なものが台頭していた。その中

で実はシニフィアンと、シニフィエが分離したのです。


名前は思い出せませんがアメリカの女性美術評論家が、

芸術の物質化と、非物質化の分離を書いていたのです。

そうしたシニフィエとしてのスーパースタジオのプラン

が、この電脳社会の進展の中で、再度意味を帯び始めた

のです。


スーパースタジオの評価がここになって変わって来たのは、

レム・コールハース(1944年〜 )が、最初の作品《エクソ

ダス、あるいは自発的な建築の囚人》というプロジェクト

作品を、1972年に発表していて、コールハースが大建築家

になってきて、この初期作品も注目される様になって来た

からです。これについても松田逹さんが書いておられます。

 

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上の画像はコールハースですが、スーパースタジオそっくりであ

ります。

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さて、下のドローイングは、ダニエル・リベスキンドの1979年の建築ドローイング集「マイクロメガス」(図1

実は、これは、コールハースの作品と混在して、このブログにアップしていて、ツイッターで間違いを指摘されたものです。

 

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 この建築ドローイングというのは、実際の建築を建てるために描かれたものではありません。

こうしたタイプのドローイングとしては、ザハ・ハディッドも同じような過激なドローイングを描いています。1983年に香港・ビクトリア・ピーク山上の「ピーク・クラブ」設計案といして、爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような過激な設計案を出品して、審査委員の一人だった磯崎新によって一等賞に推されている。このドローイング案を初めてみたのは建築家の南泰裕さんのパワーポイントでのレクチャーでしたが、その後、ベネチア建築ビエンナーレの会場で、ザハのたくさんのデッサンを見ました。正直言うと、たくさん見ると、最初の衝撃性は消えてしましました。

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さて、少し、はしょりますが、

五十嵐太郎さんが、私の皇居美術館や帝国美術館のプランを

おもしろがってくださるのは、今の日本の中で、こうした

誇大妄想的な架空空想巨大プランが出てこなくなっているか

らです。


皇居美術館は、建築家の新堀学さんと、芸大大学院生の鈴木

隆史さんが賛同してコラボレーションしてくれました。


帝国美術館の方は、若手の建築家・松田逹さんが賛同してく

ださったので、コラボレーションを進めたいと思っています。


電脳化の進む社会状況の中で、文化の情報化とシニフィエ化

が進んでいます。


今日では、シニフィエと、シニフィアンが分離してしまった

状況が拡大しています。


情報化での、反動での物質化と《現実界》化も進みます。


さらに私のように、同時に両方の変化を測定しつつ、多様な

可能性を成立させようとするマルプチルなアーティストも

ある得る時代なのだと思っているのです。



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by 巨乳バイブオナニー (2011-10-07 06:02) 

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