榎忠の作品 [日本アーティスト序論]
《想像界》の眼で、《8流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
物質性を持ったシニフィアンの芸術です。
液体美術ですっから、つまり近代美術というものです。
そういう意味で、ひと昔前の、古い芸術であると言うべきでは、
あります。
《想像界》の眼で、《8流》、デザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で、《8流》、デザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で、《8流》、デザイン的エンターテイメント。
この作品は、面白いですが、芸術ではありません。
液体美術です。
シニフィアンの表現です。
榎忠の顔です。
《想像界》の眼で、《1流》
《象徴界》の眼で、《1流》
《現実界》の眼で、《1流》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ人格。
なかなか、たいした人物であります。
液体人間、つまり近代人であられる。
榎忠
1944年香川県生まれ。
60年代後半から関西を中心に活動。
70年代にグループZERO(後にJAPAN KOBE ZEROと改名)を結成し、
集団でパフォ-マンスを行う。
76年脱退後、ボディアートや大砲、銃、ダイオキシンなどを
テーマにした鋼鉄のオブジェの制作で話題を呼ぶ。
おもな展覧会は2006年「その男、榎忠」(KPOキリンプラザ大阪、大阪)など多数。
神戸市在住。
70年代にグループZERO(後にJAPAN KOBE ZEROと改名)を結成し、
集団でパフォ-マンスを行う。
76年脱退後、ボディアートや大砲、銃、ダイオキシンなどを
テーマにした鋼鉄のオブジェの制作で話題を呼ぶ。
おもな展覧会は2006年「その男、榎忠」(KPOキリンプラザ大阪、大阪)など多数。
神戸市在住。
大砲や、銃の作品です。
銃を作品にしたのは、アルテポーベラに誰かいたという記憶があって、
探したのですが、確認できませんでした。
榎忠さんの作品や、パフォーマンスは、面白い事は、面白いです。
《想像界》の眼で《8流》、デザイン的エンターテイメント作品。
《象徴界》の眼で《8流》、デザイン的エンターテイメント作品。
《現実界》の眼で《8流》、デザイン的エンターテイメント作品。
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芸術というのは、私性が刻印されていて、
そして《非-実体性》《非-合法性》《退化性》などのあるものと、
彦坂尚嘉は考えます。
デザイン的エンターテイメントと、芸術は、
ちょうど裏表の様な関係にあります。
どちらも他者を魅了する技術という意味では、
同じです。
岡崎乾二郎は、
「芸術は人間に魂を自覚させる方法なんだょ」と定義していますが、
このような定義では、宗教や哲学も、芸術と化してしまいます。
しかし創価学会やエホバの証人といった新興宗教は、
芸術ではありません。
そうではなくて、
芸術とエンターテイメントは、
他人を魅了し、引きつける銅貨の両面です。
正確に言えば、両者とも、
パスカルの言う「きばらし」にすぎません。
それでも芸術は、消費されずに時を超える力があります。
その理由を分かりやすく言えば、
デザイン的エンターテイメントを抑制したものが、
芸術だからです。
榎忠の銃や大砲の作品には、
芸術固有の抑制性がありません。
拍手。
by 笹岡 24歳 (2009-01-15 15:21)
俺は全然アリだと思うけどな!+.(・∀・).+※ http://gffz.biz/
by 見ちゃだめ (2011-11-07 11:50)