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小谷元彦の作品(加筆3) [日本アーティスト序論]

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はじめに

 厳密な意味で作家であるので、私は評論家になりたいと思って来たのではないのです。したがって日本の美術批評が滅びてしまった事をなげく事も無いのであります。

 しかし、にもかかわらず私は、膨大に文章を書いて来たのですが、その本当の理由はさておいて、他人のせいにするとすれば、私の時代と世代の美術評論家がだらしなかったからです。一番は峯村敏明、谷新、千葉茂夫諸氏であって、彼らは、私の望む《厳密な学問としての美術批評》を書いてくれなかったのです。

 その中で、唯一の例外は藤枝晃雄氏でした。私の文章は、藤枝批評の作品論を学び、そして継承しつつ展開したものです。

 拙著『彦坂尚嘉のエクリチュール』の椹木野衣批判の文章は、古い美術評論家には書く事も、そしてある意味で読む事も出来ない、新しい地平を切り開いていると自負しています。ぜひ、興味のある方は読んでいただければと思います。決定的な新しさがあるのです。そして読みやすいものであります。

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 とにかく新しい美術が始まって20年も過ぎようとしている今日、新しい批評は必要であると思っています。

 時代は大きく変わって、昔の工業化社会の物質文明は終わり、今日の情報化社会の情報文明になりました。芸術も物質性を持ったシニフィアンを重視した時代がおわって、脳内リアリティであるシニフィエを重視した作品に代わって来ています。

 こうした変化を明快に切り分けて行く批評理論は、私のもの以外に、あるのでしょうか?

 さらに芸術とエンターテイメントの関係も複雑になって来ているのですから、これも明晰に指摘して行く必要があるのです。

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 私は、新しい作品測定の技術として、「アートの格付け」をはじめとする批評技術を開拓して来たのです。

 それは主観批評の、技術革新であると、自負しています。

 比喩で言えば、昔は体重計も簡単で1キロ単位で目盛りがふってある程度ものでしたが、今は100グラムくらいに細かくなり、さらに体脂肪率、基礎代謝量、体水分量、筋肉量、測定骨量等々を測定できすようになっています。

 美術批評もまた、詳細な分析技術を開拓する必要があったのです。そこでラカン理論を背景とした精神分析ならぬ、芸術分析を展開して来ているのです。

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 さて、今日のブログというのは、2004年に始まって、従来のマスコミとは違ったメディアとして、批評活動をなしうる媒体であると言えます。

 何よりも独りで、お金もかけずに、フリーメディアとして発信する事が出来ます。私のブログでヒットした記事は3000人もの人が読んでくれていますし、毎日延べで、多い時には1800に達するヒット数を得ているのです。合計のヒット数は25万件を超えているのです。

 読んでくださっている方々に深く感謝をするとともに、美術批評の革新の地平を切り開く、小さな試みを、新たにしておきたいと思います。

 すでに、鴻池朋子、加藤泉と開始しているのですが、『美術手帖』の2008年7月号の特集『日本のアーティスト序論』で取り上げられている30人の作家を、格付けしようとする試みです。今日は小谷元彦です。

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小谷元彦の作品/特集『日本のアーティスト序論』3

 東京芸術大学の彫刻家出身でありながら、写真、映像、インスタレーションなどメディアを選ばない作品を約10年発表してきた小谷元彦は、2006年、東京藝術大学先端芸術表現科の准教授になって、気のせいか、憂鬱な顔をしている。もっとも今の若い人は、こういうふてくされた様な暗い顔で写真を撮られるのが流行りという事なので、そういう流行顔なのだろうが。



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小谷元彦
1972年京都生まれ。

《想像界》の眼で《1流》
《象徴界》の眼で《8流》
《現実界》の眼で《超1流》

人格的には《現実界》と《想像界》の人。


《現実界》が《超1流》であると言う事は、
尋常なことではなくて、
実は単なる才能ですまされるものではないのです。
そこには原因となる何かがあるのです。

京都生まれというのも、その一つの原因ではあります。
京都は圧倒的に文化水準が高いのです。
しかし、それだけでは《1流》止まりの話であって、
《現実界》で《超1流》にはなり得ません。


《現実界》が《超1流》のキャラクターであるから、
それぞれの作品の完成度が高かったのですが、
実態のつかみづらいアーティストとしてあり続けてきました。

このつかみづらい小谷元彦の闇にこそ、
実は、本質が横たわっているのです。
その本質がシニフィエです。
脳内リアリティの露呈化が、表現として出現しています。
それもエンターテイメントとして、
見せ物化しているのです。

欠陥は、小谷元彦の《象徴界》性が弱い事です。
たぶん、難しい本を読まない子供であったのでしょう。

そのことが、小谷元彦の闇をさらに深くしています。

同時に、それは、芸術とエンターテイメントの区別が、
つかないで来た、悲劇と不毛性に結果しているのです。

そのために、この10年間の活動の意味が見えず、
憂鬱になっているのではないでしょうか?

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私が、初めて見た作品は、
1999年11月20日(土)~2000年1月23日(日)に
水戸芸術館で、椹木野衣が開いた『日本ゼロ年』に出品された作品でありました。

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女性の彫刻(エア・ガスト、1999年の後ろに立っている木彫は、
記憶では、水が落ちている滝を彫ったものであったと思います
(エア・フォール、1999年)。
緻密な彫刻技術が、目立っている木彫であって、
私の記憶に残りました。

《想像界》の眼で《1流》
《象徴界》の眼で《8流》
《現実界》の眼で《超1流》

この作品は《シリアス・アート》で、
そして《ハイアート》でありました。

何故に裸婦彫刻と、水の落ちる滝の彫刻なのでしょうか?

滝の彫刻とは、何なのでしょうか?
年号的には前後してしまいますが、
1997年の東京恵比寿にあったP-HOUSEでの
第1回個展《Phantom-Limb》で展示されていた
白鳥の作品に対応しているのではないでしょうか?

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壁に激突した瞬間の白鳥の姿です。
白鳥の両眼は見開かれたままで、
白鳥は、この衝突によって出現した、
ジャック・ラカンが言うところの《現実界》を知覚していないことを表しています。

つまり滝=白鳥とは、【流れ/衝突/死】であり、
《現実界》の出現を意味しているのです。

滝という水の流れは、
これも時間の順序が逆になってしまいますが、
他には、オオカミの毛皮(『ヒューマン・レッスン(ドレス1)』1996年)になったり、
いろいろな形に姿を変えて現れてくるのです。

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水の流れる滝的作品は、その後の作品まで一貫した構造となっているのですが、
木彫では《シリアス・アート》《ハイアート》であったのに、
オオカミの毛皮や、白鳥に変貌した時には、
その作品は《気晴らしアート》そして《ローアート》に、堕落したのです。

この堕落にこそ、小谷元彦が、人気をはくした理由があります。2000年 - リヨン・ビエンナーレ、2001年 - イスタンブール・ビエンナーレ、2002年 - 光州ビエンナーレ、2003年 - ヴェネツィア・ビエンナーレでは日本代表として日本館で展示しているのです。

ひとびとは、エンターテイメントが好きですから、
《気晴らしアート》そして《ローアート》に、
熱狂したのです。

最近の骨の彫刻も、
それはこの滝の木彫が見せたものの、
《気晴らしアート》《ローアート》的なる展開に他ならないのです。

もっとも最近の骨の彫刻は、
1997年の東京恵比寿にあったP-HOUSEでの
第1回個展《Phantom-Limb》で展示されていた
『Circlet』(1997)という作品。
これはアンモナイトの螺旋形とサメの歯による混成体であったようですが、
この作品への、先祖返りの仕事であると見なすべきでしょうが、
この骨もまた、【生命の流れ/衝突/死】を象徴するものであり、
したがって《現実界》の出現のメタファーであると考えられます。

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彦坂尚嘉の私見からは、

瀧という水の流れのフォルムのバリエーションであるのです。

この部分の意味が、

実は《8流》の闇の中に封じ込められているのですが・・・。

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この女と、滝という水の流れ(《現実界》の出現)の対比の構造にこそ、

小谷元彦の闇が存在するのです。

それは、例えば、
次の写真作品の対比の構造にかいま見られるものです。

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ここにあるのは、死んだ者たちの体積としての瀧と、
生き残った者の優越性=権力としての女です。

エリアス・カネッティは、その名著『群衆と権力』の中で、
「生き残った瞬間が、権力の瞬間である」と書いています。

『…生き残る瞬間は権力の瞬間である…生き残った者が一人の死者に向かいあっていようと多数の死者に向かいあっていようと、この状況の重要な点は、かれが自分を唯一の人間だと感じていることにある…いかなる死者もすべて他者に生き残られた者である』(『群衆と権力』上巻p.333-p.388.)

それは戦場で死者たちの大地の上で、生き残った者に、
権力が発生する事を指摘したものでありました。

小谷元彦の瀧という水の流れと、女の対比の中には、
死の堆積と、生き残った者の権力の確立と言う、
残酷な闇が沈んでいるのではないでしょうか?

【下をクリックしてください】

小谷元彦の作品の、
この瀧という水の流れと、女の、
間の闇に存在する作品として、
私は、次の様な作品を位置づけたいのです。
それは補助器具です。

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子鹿の足の付けられた、補助器具の痛みは、

何なのでしょうか?

それは女の足にも付いています。

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そして、女の手は、

キリストの様に、

痛みの血に染まっているのです。

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この女の痛みにこそ、

小谷元彦の闇があるのではないか?

血への執着は、1997年のP-HOUSEでの
第1回個展《Phantom-Limb》で展示されていた
『Fair Complexion(cell01)』(1997)という作品にもあります。
クリル板で作られた光箱の上部から、
作家の血液を含んだシャボン玉が吹き出すという作品です。

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飴屋法水のAIDS感染の血液の作品を、思い出させます。

さて、とりとめもない、私の私的解釈を書いて来ましたが、
それでは、この小谷元彦の作品は、
芸術であるのでしょうか?

彦坂尚嘉の《言語判定法》による判定です。

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《想像界》の眼で《1流》でありますが、
デザイン的エンターテイメントです。

《象徴界》の眼で《8流》で、
デザイン的エンターテイメントです。

《現実界》の眼で《超1流》であるが、
デザイン的エンターテイメントであるのです。

すでに述べた様に《気晴らしアート》で、
《ローアート》であります。

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作品のどこにも、作家自身の《退化性》や、《非-合法性》《非-実体性》が無いのです。

彦坂尚嘉の芸術理論では、芸術とエンターテイメントは、
銅貨の裏表の関係にあります。

その関係は実は複雑なのですが、
小谷元彦の作品は、
すべてをエンターテイメントに還元してしまって、
成立しているのです。

それは《現実界》で《超1流》性を示す、
突出したものでありながら、
デザイン的エンターテイメントに還元されてしまっている表現です。

残念!

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なぜ、そんな事になってしまったのであろうか?

一つは、制作が、私的になされていないからです。
制作が職人的になされている。
そのために、巧いのですが、巧さが職人の一般性に止まっているのです。

その原因は、
制作が、シニフィエに止まっていて、
脳内リアリティが、そのまま外部に出てしまっているからです。

そこには、作品が物質性を帯びながらも、
にもかかわらず、
作品が非物質的に、
脳内リアリティとして成立してしまっている無意味性があるのです。

脳内リアリティは、本質ではありますが、
無意味なのです。

小谷元彦の作品は、本質ではありますが、
芸術ではないし、
そして意味ない、無意味なものなのです。

ただの《気晴らし》なのであります。

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小谷元彦の系譜を思い浮かべます。

一つは、すでに触れた飴屋法水の仕事です。

もう一人は、合田佐和子です。

この二人は両方とも唐十朗の状況劇場から出現したアーティストでありました。

二人とも面白いのですが、
デザイン的エンターテイメントに止まった作品でありました。

そのことは唐十朗の芝居そのものに言えて、
唐十朗は、ベケットと比較すれば、
話にならないほど、脆弱な、ただの《気晴らし芝居》でしか、
ありませんでした。


小谷元彦は、この状況劇場の系譜の《面白アート》なのでしょうか?

《面白アート》を痛烈に批判したのが、藤枝晃雄氏でありました。
藤枝批評の再評価が、必要なのではないでしょうか。


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笹岡 24歳

ベケット、「モロイ」がいいと思います。しんどい小説ですが。
by 笹岡 24歳 (2009-01-15 15:29) 

ヒコ

笹岡様
コメントありがとうございます。
唐の駄目さを理解した時に、ベケットの凄さを、遅まきながら知りました。モロイは読んでいないので、読んでみます。ありがとうございました。
by ヒコ (2009-05-12 11:02) 

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