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リストカッター(改題加筆5) [新・美人論]

I am という岡田敦写真集があります。


リストカットをしている女性を撮った写真集なのですが、
その女性たちの顔が、
私の視線からは、興味深いのです。

画像にはガードがかかっているのですが、
それを超えて採取する事は出来ます。
だから、このブログに写真を掲載できない訳ではないのですが、
モラル的に、止めておきたいと思います。
被写体の女性たちの受苦への敬意と、
それと正面から取り組んで
他者として立ち現れ得た写真家の岡田敦氏への敬意であります。
見たい方は、上のサイトで見てください。

彼女たちの顔が、

《想像界》の眼で、《8流》美人。
《象徴界》の眼で、《41流》美人。
《現実界》の眼で、《41流》美人。

そして、彦坂の《言語判定法》では《象徴界》だけの人格に
見える女性たちであります。
もう一つの特徴は、みんな、気体人間であることです。

ラカン理論では、
人間の精神は《想像界》《象徴界》《現実界》の
3界があるはずなのですが、
彦坂の《言語判定法》で観察していると、
実際には、《想像界》だけの人は多いのです。
そして少数ですが、《現実界》だけの人もいます。
さらに、少数ですが、《象徴界》だけの人もいます。

《象徴界》だけの女性で、固体人間(=前近代人という古いタイプ)は、
まとまっているのを見つけていますが、
これもモラル的に、今は書けません。
性的事象なので、
好奇の眼だけで読まれたくないのです。

(液体人間の《象徴界》だけの人々は、まだ見つかっていません。この後、2例を見つけました。
やはり性的事象ですので、いつかチャンスを見て書ければとは思います。

推測としてですが、リストカッターの少なくとも半数が性的虐待の被害者であるともいわれています。《象徴界》だけの人格が、いかなるプロセスで生じるのかが、まだ分かっていませんが、性的虐待の被害者に、生じる人格変容の可能性はあると考えられます。しかし、スリットカッターの場合、彦坂流の視点では、《象徴界》だけの人格と、気体人間の相互作用に見えます。どうにもならない感情の救済(緊張、怒り、空虚感、生気のなさ)を超える為に、リストカットするのではないか。それは気体人間の不安定さを良く表している症状であります。カットそのものは、身体的にはあまり強くないことが多く、致死率はあまり高くない方法を好む傾向から、自殺とは区別されています。非常に反復的で、2つ以上の種類の方法を繰り返し行うということです。

私の《言語判定法》は、あくまでも美術家の方法なので、
その限界を承知で言うのですが、
リストカットの苦しみから脱する為には、
《現実界》を、
なんとか精神の内側に作り出す事ではないでしょうか?
つまり《現実界》を獲得する事で、ブレーキシステムを、
精神の内側に獲得する事です。

《現実界》の精神を持ったからといって、
人生の苦しみから脱しえる訳ではないですが、
しかしコントロールのレベルは変わるのです。

具体的にどうするのか?

私の娘は、《想像界》しかなくて、
私は何度か、注意したのですが、
当時の私は、どうしたら《象徴界》の精神を生み出しえるのか、
有効な方法を知りませんでした。
彼女は高校の修学旅行で、ローマに行って、
マリア・テレサの聖地にいって、この聖人を尊敬する様になったら、
《象徴界》の眼が生まれました。
そうすると、いろいろな事が、がらっと変わったのです。
聖人の功徳は大きなものであって、
こうして若い女性の精神を成長させてくれたのです。

聖人とか、偉大な人の人生を学んで、個人崇拝するのは、
ラカンの鏡像理論から言っても、有効なのです。

根本的に、他人は明確に見えますが、自分自身は、
鏡や写真を通してから見えないのです。
つまり自分自身は見えないのですから、
いわゆる「自分探し」というのは徒労な事です。
自分は把握が出来ないという事が、
人格と人生の要諦であります。

I am の女性たちの顔は、自己省察性が強すぎるのです。
彼女たちの眼は、自分の内部だけを見ていて、外部を見ていません。

同じ事は、現在の現代美術家や現代アートのアーティストに沢山います。
彼らもまた、自分の内部しか、見ていません。
作家だけでなくて、批評家も画廊も、外部を見ないで、
自分の内部だけを見ている人ばかりがいます。

しかし、自己の内部を凝視する事は、
何もみえませんから、意味が無い事であるのです。
自分は、決して見えないのです。
自分の内部には空洞しか無いのです。
それが誰にもある普遍的な事なのです。

むしろ優れた他者を尊敬し個人崇拝する事で、
他者に開いて行く事が、
人格を完成させるのです。
伝統的な言い方になりますが、自己を捨てる事が重要なのです。

人類は、文明段階に達した時から、
精神の苦しみを背負う存在になったのです。
決してリストカッターたちが、
特別に今日的事象ではないのす。

人生の苦しみが、
仏教やキリスト教などの世界宗教を生み出しているのです。
これらの世界宗教の特徴は、
言語に基盤を置いている事です。
言語に基盤を置く事で、《想像界》を否定し、
《象徴界》に超出することで、
解脱しようとしたのです。

仏教は、誕生して500年間は仏像を造っていませんし、
キリスト教も、教義的には偶像崇拝を禁止しており、
プロテスタント教会は、今日も偶像を持っていないのです。

しかし《象徴界》の過剰さが、
学問僧の中に問題を生む様になります。

そこで、言語を否定する宗教と言う、
異物が出現するのが、中国の禅宗でありました。

【続きは、下記をクリックしてください】

禅宗は、不立文字を原則として、中心的経典を立てません。
それは《象徴界》を否定して、
《現実界》を切り開く事を意味していたのです。

スリットカッターに禅宗的なものが有効だと思うのは、
スリットカッターたちは《象徴界》の人格しかないから、
ブレーキ・システムを持たない自動車のようなものだからです。
この《象徴界》を否定するブレーキのメカニズムを、
禅宗が開拓しているから、
これを活用する事が考えられます。

禅宗では、師資相承(ししそうしょう)といって、
子弟関係の個人崇拝を教育修行の基本においています。

悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐものであり、
それが法脈となって後世の人々を救うというのです。

直接に接する教育によって、
生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となるのです。

そのため固定の戒律を持たず、
固定の修行方法を持たず、
特別な本尊を定めることもなく、
必ず出家しなければならないというような決まった形もないのです。

禅宗の師資相承というと、
何か特別な事の様に思いますが、
わかりやすい言葉で言えば徒弟制度であります。

たとえば建築界では、現在も徒弟制度です。
建築界では、有名な建築家の事務所に入る事で、
建築を設計する多くの事柄の機微を、
師から弟子へと受け継ぐのです。
つまり建築界というのは禅宗のようなものなのです。

こうした徒弟制度の良さは、
優れた他者を通して、良り高い人生の目標を
獲得できる事です。

スリットカッターのための、
ケア施設も大切とは思いますが、
人生の目標を、自己の外部に獲得する事が重要なのです。
その過程で、他者に眼を開く事です。

アルコール中毒の人々が、
アルコールを飲む原因が、
時間管理の不適切であると言われます。
自分が何をしたら良いか分からないから、
酒を飲むのです。

確かに、人生というのは、
不確かなものなのです。

同じ様に、
自分が不確かで、何者か分からないから、
スリットカットするのではないか?

だから、禅宗に帰依してみるというのは、
有効な方法と考えられます。

それが古くさく感じるのならば、
宮本武蔵の五輪書を読んで、
熊本市近郊の金峰山にある岩戸の霊巌洞に行ってみるいうのも
一つの方法ではあります。

あるいは、偉大な科学者、
たとえばキューリー夫人を崇拝してみるとか、
効く様に思います。
科学というのは、《現実界》であります。

とにかく《象徴界》だけの人格というのは、
現在の情報化社会では、生きにくいのです。
今を、生き抜く為には、
《現実界》の精神は、ぜひとも獲得しておく必要があります。

《現実界》の精神を獲得すれば、
リストカッターたちの《象徴界》だけの人格は、
とりあえずブレーキを獲得できるはずなのです。


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コメント 2

丈

熊本市近郊の金峰山にある岩戸の霊厳堂(れいがんどう)は
宮本武蔵が五輪の書を書くために籠ったわけですが
武蔵の心境を追体験するために行った事があります。

執筆に利用しただけあって、内部は広く、天井もかなり高いですね。
奥の深い洞窟ではなく、岩山の開口部のような構造ですので
明るく、板敷きなので長時間過ごす事も可能です。
 http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kumamoto/kanko/reigando/reigando.html

by (2008-08-19 12:08) 

ヒコ

写真は意見しました。いつも、ありがとうございます。
by ヒコ (2008-08-19 21:37) 

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