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ライカR8/R9、iMac G3、深沢直人(改題改稿1) [アート論]

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1996年の発表されたライカR8は、
ライカRシリーズとしては完全にドイツ製、すなわち初めてライカ社が自ら一から開発し、35 億円とも言われる開発費をかけた完全自社設計の一眼レフカメラ。シャッター最高速1/8000秒。

カブトガニなどの甲殻類を連想させる特異なボディーデザインが話題となったが、
一般的には不評で売れなかった。
そのカタチから受け入れてくれる人が少なかったのである。

ライカR9は、2002年発売。ライカR8の後継機。
これも、ライカR8同様に、大変に美しい。

これらは《41流》の素晴らしい芸術であった。

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工業デザインでありながら、3界で《退化性》があり、《非合法性》《非-実体性》がある。

《想像界》の眼で《41流》の真性の芸術。
《象徴界》の眼で《41流》から《超1流》の重層表現で真性の芸術。
《現実界》の眼で《41流》の真性の芸術。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ偉大な芸術。
固体/液体/気体の3様態を持つ総合的な芸術。


このカメラの形が不評であったというのは、
このカメラが、デザイン的エンターテイメントではなくて、
真性の芸術であったからである。

裏側もきれいである。

しかし、このライカR8/R9の美しさを、多くの人は理解できなかった。
芸術であるということは、理解されずらいのである。


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インダアストリアル・デザインでしかないと思われた工業製品が、
真性の芸術になる時代になったのである。

どこから、芸術になったのか?

学問的に系統的に調査探求はしていないが、
経験的に驚きがあったのは、
1998年に登場したiMac G3の、
ボンダイブルー半透明スケルトンボディーであった。

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《想像界》の眼で《41流》の真性の芸術。
《象徴界》の眼で《41流》〜《超1流》の多重性表現を持つ真性の芸術。
《現実界》の眼で《41流》。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ偉大な芸術。
固体/液体/気体の3様態をもつ総合的な芸術。

とにかく工業製品でありながら、
3界で《退化性》があり、《非合法性》《非-実体性》があるというのは、
驚きであって、
その《41流》性とともに、
工業製品が真性の芸術になってしまったと、
強いインパクトを私に与えた。

アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが中心となって開発されたiMacは、
事実、パソコンの歴史においてエポックメイキングとなった製品であった。

15インチCRTを装備した一体型のケース、
キーボード、マウス、果ては電源ケーブル、付属のモジュラーケーブルにいたるまで
半透明(トランスルーセント)という革新的な製品デザイン。
そしてボンダイブルー(アップルの造語、ボンダイはシドニーにあるボンダイビーチから)と呼ばれた印象的なカラー、
178,000円(当時)という低価格が若年層や女性に広く受け入れられ、
大ヒット商品となったのである。

◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2004年に開催された第1回六本木クロッシングに出品された57人のアーティストのなかで、もっとも印象深かったのは、インダストリアル・デザイナーの深沢直人の作品であった。
《超1流》の美しさに輝いていたからである。
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《想像界》の眼で《超1流》のデザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で《超1流》〜《7流》のデザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で《超1流》のデザイン的エンターテイメント。

深澤直人の作品は、《超1流》で美しいが、
しかし実体的で、合法的で、デザイン的エンターテイメントでしかなく、
その意味では、従来のインダストリアル・デザインの高級版である。

この比較からも分かる様に、iMac G3や、

LeicaR8/R9が、完全に《41流》の真性の芸術になっている水準とは、
ちがうのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

LeicaR8/R9iMac G3のように
高額の開発費と制作費をかけた高度な工業デザインが、
真性の芸術になっていくとき、個人のつくるアートは、
対抗できるのであろうか?

その時の一つの答えが、
奈良美智を代表とするような、
現在のレベルの低い、現代アートのデザイン化した作品であろう。
アートがレベルの低いデザインアートになって行くと言う、
つまりアートデザイン遺伝子を組み換える」ということになる。

しかし、それ以外の方法はないものであろうか?

芸術が高度の芸術のままに、戦い続ける事もまた、
困難であるにしろ、試みられる必要はあるのではないのか。








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