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やなぎみわ の作品 [アート論]

やなぎみわ の作品

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20_1.jpg
やなぎみわ の顔である。

《想像界》の眼で《8流》
《象徴界》の眼で《8流》
《現実界》の眼で《8流》

きれいな人だと思うので、
なぜか《1流》とか《2流》、《3流》という格付けがでないで、
《8流》と出るのだが、なぜなのだろうか?

純粋に美貌だけで見て見る。

《想像界》の眼で、《8流》美人。
《象徴界》の眼で、《8流》美人。
《現実界》の眼で、《8流》美人。

《現実界》の人格。
固体人間。
《ローアート》の人。
《シリアス・アート》の人。


非常に何かを信じているという宗教的信仰性が強い性格と、
固体人間、つまり前近代の人であるという所、
そしてさらに《現実界》の人格という3つの性格が
非常に大きいでしょうね。

《8流》、固体人間、《現実界》という組み合わせは、
ある意味で、とんでもない三位一体なのです。

こういう三位一体の人を、見つけていないので、
比較が出来ません。

そこで、固体人間と《現実界》の人格という2つに絞って、
他の例を探してみます。
一つはヤクザの人々です。
彼らの多くは《41流》/《8流》で、固体人間、そして《現実界》の人格です。

uyoku5-1.jpg
《想像界》の眼で、《41流》
《象徴界》の眼で、《8流》
《現実界》の眼で、《41流》

固体人間。
《現実界》の人格。

こうしたヤクザと、やなぎみわ を比較するのは、
ですから、あくまでも固体人間と《現実界》、そして《8流》の
共通性であります。
そこだけで、比較してみると言うことです。

やなぎヤクザ.jpg

とんでもない比較ではありますが、
両方とも《現実界》の人格で、固体人間なのです。
前近代人であって、古いタイプなのです。

この固体人間という、前近代性だけで見ると、
新興宗教に入っている人は、固体人間です。
たとえば創価学会の人々の多くは、固体人間です。
そう言うと怒る人がいるとは思いますが、
固体、液体、気体というのはH2Oの比喩で考えています。

水は
固体、液体は水、気体水蒸気と呼ばれます。

水の分子は、水素結合で結びついているのですが、
温度が高くなって、
この水素結合の分子間力に打ち勝つだけのエネルギーになると、
水は気体化して、
自由に原子または分子が自由に動ける状態になります。
気相である物質の状態になったと、言います。

この比喩で言うと、
一人の人間が、人間と人間の人間間力に打ち勝って、
自由に動ける状態になった社会が、
気体社会です。

それに対して、水が凍って固体になった状態というのは、
固体を構成する原子または分子は、
熱振動よりも強い力で結合し、
密に詰まっているのです。
原子や分子は相対的な位置関係が空間的に固定されています。
これが固い性質の原因となります。

この比喩で言うと、一人の人間が、
強い力で結合し、
密につまっている状態の社会が、
固体社会です。
伝統的には、近代以前の封建社会のことです。

こうした固体、液体、気体の変化を作り出す、
熱振動というのは、
社会への比喩で言えば、
市場性です。

市場化というのが熱であって、
市場化されて自由に動ける状態が、
現在の高度消費社会です。

ですから気体人間の人は、
心の動きも、人間関係も、
市場化されていて、可動性が高いのです。

それに対して、新興宗教に入るようなタイプの人は、
人間の関係や、心の状態を固定的に強く結びつける事が
好きなタイプなのです。





作品も、現代アートのように見えながら、実は前近代美術を作っておられる。

表情の中にある硬い感じというのが、
この固体人間の性格を表していたのです。

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固体で、
ある意味で、吉本ばななに似ています。
現代文学のように見えて、吉本ばばなの文学は固体文学です。
つまり前近代の物語なのです。
こうした古さが、骨董的な安心感を人に呼び起こして、
多くの人を、魅了するのです。
しかし吉本ばななは、《想像界》の人です。
その意味では固体といっても、《想像界》と やなぎみわ の《現実界》では違うと言えます。


タグ:やなぎみわ
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