SSブログ

アンディ・ウォーホルの宗教性or信仰性(改題) [アート論]

ウォーホルリキテン.jpg
ロイ・リキテンスタイン                アンディ・ウォーホル
《想像界》の眼で《1流》の《真性の芸術》。      《想像界》の眼で《8流》のデザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で《1〜7流》の《真性の芸術》     《象徴界》の眼で《8流》のデザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で《1流》の《真性の芸術》。      《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》。

もしもし さんから
次の様なコメントをもらった。

でも、アンディのモンローには宗教性を感じますが、ロイには感じません。
「物質はアメリカの神だからアンディ・ウオーホルは宗教画だ」といった人がいます。ポストモダンが中世への先祖がえりだとすれば、ヒコさんは、「宗教絵画」「キリスト教絵画」をどのようにとらえますか?
グリンバーグは神なき時代のロジックだったのですが、ダビンチもキリスト教絵画を数多く描き、基本的には宗教画家ですよね。 
by もしもし (2008-10-07 08:13)  

アンディ・ウォーホルに宗教性を見て、
ロイ・リキテンスタインに、神無き時代のポップアートを見るという視点は、
新鮮です。

このこととコアさんが、
コメントしてくれたことが、
重なります。

売れる作品を求める画商やゲルツァーラーというエリートキュレーターが「ポップアート」を組織したのであって、「大衆」がポップアート運動?を創始したのではないですね。

「大衆」的人気という点では「タイム」で特集されたポロックがすでに知られていたわけですし、最近までほとんど日本で出版されていなかったグリーンバーグの評論も、読んでみれば明快至極で難解というものではないですね。美術愛好家はグリーンバーグの時評は親しんでいたのではないでしょうか。(小説以外の本は読まないという人は別にして。)

ウォーホルの主題には「死」や「ニヒリズム」があって、娯楽的にだけ制作していたのではないわけですが、彦坂さんの言われる「シリアスアート」「気晴らしアート」という区分概念はそうした「深刻な主題」の有無とは無関係の所で判定されているようなので、よく考えてみたいと思います。 
by コア (2008-10-06 20:15)  

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

コア、さんが指摘している様に、
私が《シリアス・アート》と言っている場合には、
グリンバーグ的なフォーマリズムの視点であって、美術というメディウムをきちんと構造化していることを意味します。

ですから主題としての「死」や「ニヒリズム」というのは、
グリンバーグ的に言えば文学的な要素でしか無く、
美術作品でなくても良いことになります。

つまり「死」や「ニヒリズム」を主題にするのは、
芝居でも、映画でも、文学でも、工芸でも、漫画でも、官能小説でも、
そして地下の殺人ショーでも、可能なのです。
だから問題は、それが美術となった時に、どれだけ美術品として、シリアスに作られているのか?
それは美術というメディウムの構造理解と深く関わっている事なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

宗教というのは、実は2つの面があります。

一つは神学のです。
この神学と、哲学は、実は深く関わっています。
神の名を言わない神学が、哲学だからです。

宗教の問題のもう一つの面は、
信仰です。
信仰というのは、信じる事です。
吉本隆明的に言えば、「信の構造」ということです。
これが《8流》領域です。

《8流》というのは、
固定概念とか、先入観に、深く関わっています。
つまり信仰というのは、
ある固定概念や先入観を信じる事なのです。
この信じる事は、非常に強固であって、
どれほどの権力による武力弾圧にも耐え続ける事ができるのです。

島原の乱以降の、隠れキリシタンが、
幕末まで潜伏し続けた事が、よく、証明しています。

何故に《8流》という固定概念の領域は、
それほどに強固なのでしょうか。
それは《6流》という自然領域の倒錯したものだからです。

つまり自然領域が、文明的に倒錯すると、
《8流》という信仰領域が現れる。
つまり、信じる人々にとって、それは自然であって、
変えようもない自明性を持ったものなのです。
文明的な自然と言えます。

アンディ・ウォーホルのモンローの作品には、
《想像界》《象徴界》に《8流》があります。
ここに信仰性が宿っているのです。
それはマリリンモンローというセックス・シンボルの女優の、
個人崇拝化と、
その《死》による神格化としての作品であるゆえなのです。

こうした偶像崇拝性で、作品を成立させているので、
アンディ・ウォーホルのマリリンモンローは、
原始的アニミズム作品なのです。
だからこそ、魅惑的で、
多くの大衆を魅了し、に理解されるものなのです。








nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 3

もしもし

長文ありがとうございまいた。ナルホド明快に理解できました。
構造的にはおっしゃる通りだと思います。
グリンバーグ理論の根底にユダヤ教的本質を見る解釈もありますね。
すると、フォーマリズム>アニミズムは今日でも有効なのでしょうか?
最も問題な部分ですね。
多文化主義=マルチカルチャリズムをいかにお考えでしょうか?
フォーマリズムや近代主義が単一的なグローバリズムを孕むのは正しいのでしょうか?
私には単一性は限界のような気がします。
スミマセン。
by もしもし (2008-10-08 14:29) 

ヒコ

 ユダヤ主義はあると思います。もともと抽象美術運動は、偶像崇拝を禁止しているユダヤ教の面を強く持っていました。
 今日でもフォーマリズムが有効か? と聞かれれば有効ではないと答えるしかないとは思います。近代という時代が持っていた、ある教条主義と深く関連していますから、もはや今日のインターネットが普及した新しい交通形態の中に、機械的に有効性を発揮できるものでは、まったく無いと思います。
 近代主義が単一主義であったことは破綻しています。私も、もしもしさんと同意見で、単一性への還元主義は、無理だと思います。
 
by ヒコ (2008-10-09 00:20) 

レス

アルバイトはじめました(人・ω・)☆ http://s.64n.co/
by レス (2012-04-28 13:14) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。