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ダンプが首都高事故とドナルド・ジャッド(最終部加筆) [アート論]

首都高事故 ダンプが側壁衝突・横転、通行止めに 東京

10月8日11時35分配信 毎日新聞


首都高5号線北池袋ランプ付近の下り線で大型トラックが横転。散乱した積荷の土砂を片付ける作業員ら=東京都豊島区で2008年10月8日午前9時37分、本社ヘリから小林努撮影

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上の写真としての評価です。

《想像界》の眼で《16流》

《象徴界》の眼で《6流》

《現実界》の眼で《41流》


これから分かる事は、

《想像界》と《現実界》が写真の自動車事故という主題と関わっています。


そして《象徴界》の部分が、

写真というメディウムの部分です。

つまりここでは《6流》ですから、

写真としては芸術的にレベルが高いというものではなくて、

自然であるというか、

写真というものの固定概念の内側での写真作品である事になります。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

以下、アンディ・ウォーホルのところで、

コメントを何人かの人が書いてくれたのに連動して、

グリンバーグ理論に関する私の整理です。


モダンアートというのは、

グリンバーグ理論に代表される論点は、

この《象徴界》の領域だけを過大に重視して、

ここだけで、純粋にシニフィアン(記号表現)としての芸術を成立させ得ると、

したものです。


私見では、その極点が、

《象徴界》だけの芸術作品と化したドナルド・ジャッドの作品でありました。

《象徴界》が《超1流》であるだけの作品が成立します。

ここまできて、《象徴界》へと、

まるで蒸留水のように純粋に還元して行くモダンアートの運動が停止するのです。

そのことは、ジャッドが同じ作品をリピートして制作する事に終始したところに現れています。


ジャッド以降の現代アートが、

今度は逆に、

《象徴界》を事実上ゼロにする、

つまりは自然領域である《6流》にしていくことで、

《想像界》と《現実界》のアートに展開してきているのは、

その意味で、歴史的に、

後づけではありますが、

こうした説明がなし得るということになります。


繰り返すと、

グリンバーグ理論というのは、

人類のつくりだした様々な芸術の中で、

《象徴界》の領域だけで芸術を成立させようとした方法の理論であったのです。


グリンバーグを否定すると言う事は、

今度は反転して、

《想像界》と《現実界》の両面でだけ、

つまりは《象徴界》を抜いて、アートを成立させようとする方法なのです。


つまりは、芸術/アートを成立させる方法が、

こうして相反する2つの方法があると整理できます。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


この整理を極限化すると、

次の様な作品が、可能である事になります。


旧現代美術型の純粋抽象作品


《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。

《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》

《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。


新現代アート型の具象物語作品


《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》

《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。

《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

普及版


《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で《5流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。

《想像界》の眼で《5流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《5流》の《真性の芸術》

註/《6流》は自然領域、《5流》は優良品領域





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