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東京国立近代美術館(加筆3画像追加) [アート論]

昨日というか、
もう、一昨日ですが、
東京国立近代美術館に、
アートスタディーズの事務局をお願いしている
伊東直昭さんと一緒に、行って来ました。

アートスタディーズのゲストを、学芸員の方にお願いするためです。
エモーショナル・ドローイングを企画なさった
保坂健二朗氏にお会いして、お引き受けいただきました。

アートスタディーズは、12月8日に、
INAXで行います。

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さて、せっかくですので、
常設展示の見て来ました。
以下は、
私の芸術分析のメモです。


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原田直次郎 騎龍観音 1890 重文
《想像界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ重層的作品
固体/液体/気体の3様態を持つ多層的作品。
《ハイアート》、《シリアス・アート》
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原田直次郎の油彩で描いた日本画と言うべきこの、
折衷絵画は、変なものなのだが、《真性の芸術》の
になっている。

0509.jpg
しかし《6流》であることも事実で、
空間がきちんとした歴史画の《1流》ものとしては、
描けていない。
プッサンとか、
ラファエル前派の中で私の評価するウィリアム・ホルマン・ハントの様には、
深いイリュージョンの絵画が描けていないのです。
ハントの絵画は空間が抜けていますが、
原田のものは、実はペンキ絵で、
画面に手が入る様な、深い空間が描けていないのです。

しかし日本の洋画が、
《6流》とは言え、《真性の芸術》を描き得た事の意味は大きくて、
この絵画が、重要文化財の指定を得たのは、
誠に正当なものだと思います。

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菱田春草 雀に鶴 1910 六曲二双
《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。

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菱田春草 四季山水 1909 絵巻
《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント。

日本画は、洋画と違って、
グリンバーグの言う、オプチカルイリュージョンの《超1流》の空間を
描き出す事が出来ていました。

日本画の方が、戦前の絵画では、すぐれているのです。

春草のこの2点は、初めて見た作品です。
2点ともに、良い作品です。

春草は好きですが、どこかに弱さがあって、
完璧な《超1流》の絵画にはなっていないことを、
感じて来ました。

《現実界》が《6流》でデザイン的エンターテイメントであるという、
彼の弱点を、
初めて芸術分析として、とらえることができました。

それが今回の芸術分析の成果です。

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藤島武二 うつつ 1913 油彩
《想像界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《6流》の《真性の芸術》

武二は、昔から好きでした。

《6流》とはいえ、《真性の芸術》として、
完全であったのです。

S0071003のコピー.jpg
くり返しになりますが、
しかし《6流》だと、空間が深くえがけていないこと。
そして透視画面になっていないこと。
コントラストが弱い事で,
どうしても《一流》絵画よりは落ちるのです。

比較しているのはルノワールの《一流》絵画で、
これも3界とも《真性の芸術》になっています。

空間もさることながら、輝きが違います。
日本の洋画が、煤けているというのは、
1950年代に美術評論家の今泉篤男が指摘した事です。

この問題は、私は1970年代に再論しています。
最近では光田由里氏が書いておられますが、
私の方が早く書いていることが、
今日では忘れられているのです。

1952年渡欧した今泉篤男は、日本人洋画家の絵の薄汚さショックを受けるのです。


私は《6流》を必要以上に嫌いますが、
それは今泉篤男の系譜を生きているからです。

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中村不折 たそがれ 1916
《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
固体美術、《シリアス・アート》

《6流》だが、なかなか奇妙です。

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梅原龍三郎 ナルシス 1913

《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

梅原は、どこにも《真性の芸術》はないのです。
デザイン画であるという言い方が、
日本語として適切ではありませんが、
つまり公的な表現になってしまっていて、
梅原の個人的な私性によって成立していないのです。

この私の言い方も、
多くの方を説得できるものではありませんが、
この《6流》のデザイン画というのが、
日本の団体展系の絵画の80%を占めます。

その意味では王道の日本の西洋絵画であって、
これで満足することこそが、
日本の美術界を生きる本道と言えます。
つまり《真性の芸術》の無い世界です。

そして《真性の芸術》の無い絵画こそが、
実は絵画と言うものなのです。

この《6流》のデザイン的エンターテイメントの
凡庸な絵画の大地に、
逆立をして否定した所に、
《1流》性をもった芸術絵画が、成立するのです。

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和田三造 工場 1907 パステル

《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》の《真性の芸術》

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S0005008.jpg
下村観山 木の間の秋 1907

《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

下村観山には、《真性の芸術》がないのです。

日本画の最悪の例です。

しかも、固体であって、前近代美術であり、
そして《6流》のペンキ絵であることで、悪い作品です。

この下村観山の時代は、セザンヌの時代でも
ありました。
そこで、比較してみます。

S0005008のコピー.jpg

セザンヌは《超1流》ですから、
オプティカルイリュージョンが成立していて、
画面の向こう側全体から光が来ますから、
発色もきれいで、輝きがあります。

下村観山の作品は、
《6流》の原始平面で、ペンキ絵です。
空間が描けていないし、
木にしても、見えている側は描けていますが、
見えない裏側が描けていない。
つまり後ろ側の空間の広がりが描けていないのです。

だが、この《6流》のデザイン画は、
だからこそ、人気があるのです。

多くの人々が、
この下村観山の様に、世界を浅く、
ペンキ絵のように見ているからです。

人々は、実は芸術ではなくて、
「芸術の名において」、
こうしたペンキ絵を愛しているのです。

人々は、こうしたひどい作品が好きなのです。
そのことを、見つめなければなりません。

このレベルの、しかも固体である前近代的な絵画こそが、
日本人の愛する本音の絵画です。
この本年の絵画を否定しないと、
《真性の芸術》は、現れないのです。

【続きは、下をクリックして下さい】
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萩原守衛 文覚 ブロンズ彫刻 1908
《想像界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

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萬鉄五郎 裸体美人 1912

《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

固体美術、《現実界》の美術
《ローアート》《気晴らしアート》


この作品は、裸体とバックの芝生、さらに向こうの山の諸関係が描けていません。
全くのデザイン画であって、《真性の芸術》はどこにも無いのです。
フォヴィズムの日本版ですから、
マティスと比較をしてみましょう。
TO09533.jpg
マティスの絵画は液体(=近代)絵画ですが、
萬のものは、前近代絵画=固体なのです。

マティスは、《ハイアート》ですが、
萬は、《ローアート》です。

マティスは《シリアス・アート》ですが、
萬は、《気晴らしアート》に過ぎないのです。

もっとも、私の用語の定義から詳細に述べないと、
納得しない方は多いと思うのですが、
日本の洋画の低さというのは、
こうした液体と、固体、
《1流》と《6流》の差としてあります。

ヨーロッパ人が、
日本の洋画を軽蔑して相手にしないのには、
根拠があると思います。

マティスの絵画は、美しいオプティカルイリュージョンで成立しているのですが、
萬の絵画は、ペンキ絵なのです。

しかし、この萬の絵画こそが、
日本のモダニズムの基礎であったことも事実です。
この段階が、どれほどひどくても、
自分たちの歴史として評価する事は重要です。

しかし同時にそれがどれほど《6流》の
前近代の古いものなのかも、
知っておく必要があるのです。

萬鉄五郎は、結局、
油彩で南画を描く道を歩みます。

晩年の作品までたどってみると、
萬の絵画の薄汚れた弱さが良く理解できます。

その貧弱さこそが、日本だとは言えるのですが、
これを認めつつ、否定しないと、
芸術家としては、面白くないのです。



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