《41流》の日本画/ご批判に答えて(加筆3画像追加14改題) [アート論]
美人論で松井冬子さんについて書いたブログに対して、ご批判をいただいたので、次の様に、お答えをしました。
ヤクザヤクザヤクザ
ヤクザ的って失礼な評価な仕方ですね。
それ以外に表現する言葉を知らないのですか?
ヤクザのような日本画とは具体的にどういう風なものなのかぜひお聞きしたいです。
自分で確立(笑)させたという独特の~流も、それを個人への正当な評価だと履き違えているようで・・・勘違いも甚だしい文章にこちらが赤面しそうです。
ヤクザ的って失礼な評価な仕方ですね。
それ以外に表現する言葉を知らないのですか?
ヤクザのような日本画とは具体的にどういう風なものなのかぜひお聞きしたいです。
自分で確立(笑)させたという独特の~流も、それを個人への正当な評価だと履き違えているようで・・・勘違いも甚だしい文章にこちらが赤面しそうです。
ご批判ありがとうございます。
中でも指摘した様に、ヤクザ映画というのは、私のアートの格付けですと、大きな特徴としては《41流》表現なのです。
《41流》の表現というのは、仏像の歴史を実例で申しあげると、
運慶などの鎌倉の仏像で出現します。
運慶でも初期は《超1流》ですが、
運慶の作風は円満で穏やかな表情の平安の定朝タイプから変わって、
男性的な表情、変化に富んだ衣文、量感に富む力強い体躯などに特色があるものに変わって、鎌倉時代の武士たちの好みに合致したものに変貌すると《41流》になります。
《41流》というのは、《超1流》の倒錯領域です。
絵画で《41流》を分かりやすいところで説明すると、アンドレア・マンテーニャの絵画や、グリューネワルドのキリストの架刑図です。つまり戦争、処刑、生け贄など、ルネ・ジラールの名著「世の初めから隠されていること」が指摘しているような、人間社会の根底に隠されている本質的な暴力領域が、《41流》の領域です。
アンドレア・マンテーニャ( 1431年 - 1506)
磔刑図 1457-60 ルーヴル美術館
《想像界》の眼で《41流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体美術、《象徴界》の美術
《シリアス・アート》《ハイアート》
アンドレア・マンテーニャ( 1431年 - 1506)
死せるキリスト 1490年代 ブレラ絵画館(ミラノ)
《想像界》の眼で《41流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体美術、《象徴界》の美術
《シリアス・アート》《ハイアート》
アンドレア・マンテーニャ( 1431年 - 1506)
聖セバスティアヌス 1480年頃、ルーヴル美術館
《想像界》の眼で《41流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体美術、《象徴界》の美術
《シリアス・アート》《ハイアート》
マティアス・グリューネヴァルト(1470/1475年頃‐1528年)
イーゼンハイム祭壇画(第1面)
マティアス・グリューネヴァルト(1470/1475年頃‐1528年)
イーゼンハイム祭壇画(第1面)部分
《想像界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体美術、《象徴界》の美術
《シリアス・アート》《ハイアート》
1980年代になると、音楽でもこの《41流》性をもったものが多く出現しますが、代表的なのは、スラッシュメタルです。その中で、一番《41流》性を示しているのは、スレイヤーです。
美術では、《41流》は、なかなか私には見つからなかったのですが、一つ大きく見つけたのは、『アフリカン・リミックス』という展覧会が森美術館で開かれましたが、その中のアイデンティティをめぐる部分に何人か見つけました。
さて、こう語ると《41流》表現は珍しい様に見えますが、日常的になじみがあるのは、実は1960年代半ばからの東映ヤクザ映画なのです。日本におけるヤクザ・暴力団の対立抗争や任侠道などをモチーフとする映画カテゴリーです。しかしこれらの多くはBクラス映画であって、《41流》の《8流》の映画なのです。
松井冬子さんの日本画は、明治以降の日本美術院や竹内栖鳳などの京都画壇の日本画の主流が扱った上品で、明るい日本趣味の《1流》《超1流》の作風とは違って、人間の内面の暗い主題を扱って《41流》趣味を全面に出しています。それは、しかしAクラス絵画ではなくて、《想像界》を中心に描いたBクラスの《8流》性も持っているのです。 ですので《41流》《8流》の組み合わせが、ヤクザ映画に似ているので、その共通性を強調しているのです。
なお、参考までに《41流》性を示した戦前の日本画家をご紹介しますと、東京国立近代美術館所蔵ですが、徳岡神泉の『狂女』という名画があります。これは《41流》の《超1流》です。
あと、有名な作家では甲斐庄楠音の日本画が《想像界》で《41流》、《象徴界》で《8流》、《現実界》で《8流》で、松井冬子さんと共通性が高いです。
部分です。
全図です。
違いもあります。松井冬子さんは気体美術ですが、甲斐庄楠音は液体美術です。
言い換えると、松井冬子さんの日本画は情報化社会のシニフィエ(記号内容)の美術ですが、
甲斐庄楠音は産業化社会のシニフィアン(記号表現)の絵画です。
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【追加】
日本画というか、江戸後期の日本の画家で、
何と言っても《41流》は、曾我蕭白です。
部分です。
もう一人、浮世絵ですが月岡 芳年の無惨絵があります。
《想像界》の眼で《41流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《41流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体美術、《現実界》の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
まあ、こうして《41流》の表現というのは、
まあ、日本画とその歴史的周辺にも、あるのです。
私自身は、《41流》の《超1流》の作品は評価しますが、
《41流》《41流》《41流》というのは、
好きではありません。
それと《41流》と《8流》性のある、ヤクザ映画のような作品も、
あまり尊敬しません。
横浜トリエンナーレの私の何回かのブログでも、
《41流》《8流》の作家を取り上げています。
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