誤解に答えて(1)【追加1画像4校正】 [アート論]
コメントにお答えします。
作品の「強さ」に対するの誤解です。
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11月の末ごろ、偶然このBlogを見つけ、過去記事をずっとさかのぼって読んでようやく追いつきました。
私自身ぼんやりと考えていたことや昨今の現代アートをめぐる状況分析等をしっかり言語化されていて、
示唆に富む内容で、同時にとても勇気づけられました。
>《超1流》の《真性の芸術》作品は、強いです。
>しかし多くの人はその強さが嫌いなのです。
>そして強いだけでなくて、気持ちが悪く、不潔な感じを与えるのが,
>《超1流》の芸術作品です。
>社会的理性を超えていて、異様ですし、場違いな表現なのです。
こういった「強さ」を持つ作品は、反復することは不可能で反復するとデザイン化してしまうのでしょうね。
また、反復することで「灰汁」がぬけてしまうんでしょうね。
『彦坂尚嘉のエクリチュール』もぜひ読みたいと思っております。
今後もblogをつづけられるとのこと、楽しみにしております。
koshida様
コメントありがとうございます。
強さの部分で、誤解があるので、お答えしておきます。
《第6次元》の強い作品というのは、
いろいろな例がありますが、
分かりやすい所では、岡本太郎の『重工業』以降の作品です。
これは、駄目です。
駄目といういう意味は、《真性の芸術》としての成果が、
厳密な意味ではありません。
それと《超次元》の作品の強さは、違います。
具体的な作品を見つけて、
《超次元》作品と《第1次元》の作品の差を見て行く必要があります。
この私の記事を書いた時にイメージしていたのは、
奈良で見た、能面展での経験です。
般若の面がいくつか並んでいたのですが、
その大半は《第1次元》なのですが、
その中に《超次元》の作品の作品があって、
その超出力は、格段に強いのです。
ネット上には、
良い画像がありませんでした。
どちらにしろ、本物を見て行かないとわかりません。
能面は、そういう意味で、
《第1次元》と、《超次元》の差を見るのに、
良い領域です。
私の話は、あくまでも実物の作品を多く見て行くという、
そういう実践を前提にした論理ですので、
言葉だけで、読まれると、
ご自分の信じている考えに符合させてしまって、
誤解する事になります。
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【追加】
実例として、大竹伸朗を上げておきます。
典型的な第6次元の作品で、
しかもデザイン的エンターテイメントです。
こうした廃品や雑誌のコラージュで作品をつくるという
考え方は、ピカソから始まって、
シュビッターズが本格化したものです。
シュッヴィイターズの作品は《第1次元》作品です。
しかも《真性の芸術》です。
このシュッヴィイターズの《第1次元》作品を下敷きにして、
《超次元》の作品にしたのが、
ラウシェンバーグです。
ラウシェンバーグは、《超次元》の作品で、
《真性の芸術》ですので、
独特の強さと、気持ちの悪だがあります。
3人を並べて見ます。
ラウシェンバーグの作品が、強い事が
分かっていただけたでしょうか?
彦坂様
わざわざ、私のコメントにページを割いていただきありがとうございます。
>私の話は、あくまでも実物の作品を多く見て行くという、
>そういう実践を前提にした論理ですので、
>言葉だけで、読まれると、
>ご自分の信じている考えに符合させてしまって、
>誤解する事になります。
確かに短絡的に自分の守備範囲の考えと結んでしまっていたかもしれません。
大竹伸朗、シュビッタース、ラウシェンバーグと3点を提示いただき納得した気がします。
柔軟性や可能性に富む年齢ではないですが、まだまだ追求することが必要なのでしょう。
by koshida (2008-12-22 23:54)