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《対象a》と謝赫/誤解に答えて(2) [アート論]

higu.jpg
anNinaの歌「対象a」です。

------------------------------
対象a

歌:anNina
作詞:interface
作・編曲:inazawa
------------------------------

あなたの亡骸に土をかける
それが禁じられていたとしても
純粋なまなざしの快楽には
隠しきれない誘惑があった

どうして罪があるのだろう
どうして罰があるのだろう

骨の尖はあまりにも白く
無限につづく闇をさそった
何もかもがあざやかにみえて
すぐに消えてしまう

(以下略)
【出典】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
コメントにお答えします。
誤解を中心にしたお返事でに絞りますので、
ご了解ください。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『アートの格付け』の用語変更とのこと、私には大変良い知らせです。
いよいよ私にとって理解しやすくなるのではと思えます。
そもそも、アートを分野や系統に分けることは出来ても『格付け』することには違和感を感じていました。
なんだか学校の通信簿のようで。(^^;

>そして強いだけでなくて、気持ちが悪く、不潔な感じを与えるのが,
 《超1流》の芸術作品です。
 社会的理性を超えていて、異様ですし、場違いな表現なのです。

と彦坂さまは書かれていますが、ざっと改めて彦坂さまが『超一流』とされたものの記憶をたどりましたが、『気持ちが悪く、不潔な感じ、社会的理性を超え、異様で、場違い』というのは、私には感じられませんでした。
反対に綺麗で一般的に『美しい』とされるような分かりやすい例ばかりと、私には見えるのです。
そういう意味で、統一性がないと思います。

> 良い作品、「強さ」を持つ作品

との表現をされていますが、良い作品は必ずしも「強さ」を持っているわけではないと思います。
反対に、とてつもなく短命だったり、弱かったり、傷ついていたり、はかなさがあったりするものもあるのではないでしょうか。
彦坂さまの「強さ」という言葉の意味合いと、私はもしかしたら違う意味の「強さ」をここで感じて、トンチンカンな発言をしているのかもしれないですけど。 
by じゃむ (2008-12-21 22:10)  

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
じゃむ様

コメントありがとうございます。

まず、最初の『格付け』というか、学校の通信簿の件ですが、
これは、人類の歴史の中では、
行われて来たのです。

だから、じゃむ様が感じる「違和感」を私は理解はできますし、
多くの人が同様に感じて嫌っている事は理解していますが、
私には、誤解のように思えるのです。

もちろん、美術作品をすべて平等と考える評論家の方もいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画も、子供の絵も、
そして精神病者の絵も、
その批評家は、真面目に同位であると主張なさっています。
絵を描くと言う事の尊さにおいて、同じであると、
言うのです。

しかし、こういう主張は、歴史的な事実からは、
見いだされない事です。
人類史の中では、この様な平等性は実際には存在しません。
歴史的理性には合致しないのです。

こういう主張の根底にあるのは、
芸術を、ジャックラカンが言う、《対象a》と混同しているからだと、
私には思えます。

《対象a》というものと、
事実としての美術作品の芸術分析や趣味判断とは、違うのです。

《対象a》というのは、ジャック・ラカンの用語です。
これについては、「はてなキーワード」が分かりやすいので、
下記を読んで下さい。

芸術=《対象a》であるという誤解は、
今日強く存在しています。
これはしかし、間違いなのです。
事実ラカンは、
《対象a》の代表格は、乳房、糞便、声、まなざしの
四つ組であるとしています。

芸術が、「乳房、糞便、声、まなざし」と、
深く関わっているのは確かですが,
しかし「乳房、糞便、声、まなざし」それ自身ではないのです。

芸術は《対象a》と深く関わってはいますが、
《対象a》が、=十全に芸術であるとは、
言えないのです。

たとえば、ニコラ・プーサンの絵画を見てみます。
Poussin_Arcadia_2.jpg
これはすばらしい絵画で、
格付けとしては最高位の大絵画です。
そして《対象a》でもあります。

もう一つ、日本の現代絵画を見てみます。
西尾康之の「幽霊 冬」です。
これも《対象a》になっています。

13_b-1.jpg
プーサンも西尾康之も、《対象a》である事においては同じですが、
なにしろ《対象a》は、ラカンによれば、糞も《対象a》ですから、
《対象a》であるということは、
単に、糞と同じであるということに過ぎません。

それよりも西尾とプーサンは、
絵画として、同じなのでしょうか?

何故に西尾康之の絵画は、モノクロなのでしょうか?
幽霊を描いているからでしょうか?
それとも色彩を使えないからでしょうか?

その答えは置くとして、
画家にとって、実は色彩のコントロールは、
極めてむずかしいのです。

今回は、プーサンをモノクロにして、
西尾康之の作品と、比較してみます。

Poussin西尾.jpg

西尾康之の絵画の空間と、
プーサンの空間を比較すると、
とても同じ質の絵画空間であるとは言えません。

西尾は、幽霊の女性の実体を描いてしまっていて、
その後ろの空間や、
ガラスの向こうの空間への広がりを描いていません。

それに対してプーサンは、
実体を描かないで、地平線の向こうへと広がる
大空間を描いています。

この大空間を、このように描く事は、
実は、たいへんにむずかしいのです。
全人類の絵画の歴史の中でも、
このようにしっかりと、ごまかし無しで、
インチキをしないで描いている画家の数は少ないのです。

グリンバーグの言葉を使えば、
西尾康之の絵画は、「ペンキ絵」です。
それに対してプーサンの絵画は、「深いイリュージョンの絵画」です。

つまり絵画というのは、
一種類ではなくて、いろいろなものがあり、
そして「ペンキ絵」と呼ばれるものと、
「深いイリュージョンの絵画」は、違うものなのです。

絵画には、いろいろあると同時に、
良く描けているものと、
インチキをしているものとあるのです。
そういう差を、見る事もまた、
重要なのであります。

しかし、現在の日本の美術批評は、
西尾康之の絵画は「ペンキ絵」であるとは、
指摘しなくなってしまっているのです。
それは絵画批評が、インチキ化しているからです。

それは同時に西尾康之の彫刻の問題でもあります。

14_b.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

西尾康之の彫刻は、
実は《真性の彫刻》ではなくて、
じつは原始立体のお人形なのです。

透視立体の《真性の彫刻》とは、
芸術性において、比較にならない低いものなのです。

そのことをドナテッロのマグダラのマリア像と比較して見てみましょう。

Mary_Magdalene_Donatello_Head.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

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西尾康之とドナテッロを並べて見ます。

ドナッテロ西尾.jpg

2つを、交互に見比べてみて下さい。
どちらに心を動かされますか?

西尾康之の作品は《第6次元》の人形=原始立体で、
デザイン的エンターテイメントに過ぎません。
表現が、浅く、上っ面でしかありません。

ドナッテロの作品は《超次元》の《真性の芸術》です。

この差を、明確に語る批評が必要であると、
私は思います。

確かに西尾康之の作品は、《対象a》になっています。
しかし単に犬の糞と同じ《対象a》であるゆえに、
芸術であるとして、同位にするだけでは、
足りないのではないでしょうか。

糞でよければ、
糞を見ていれば良いのです。

というわけで、芸術は「学校の通信簿」ではないと感じる感覚の中には、
芸術を《対象a》として了解している意識があるのだと、
私は思ってしまいます。

厳しい観客がいないと、良い美術はできません。
実は作品は、作家が作っているのではなくて、
それを見る観客が作っているのです。
観客や批評が悪い所には、すぐれた美術作品は生まれません。

批評と観客を復活させないと、
良い美術は、日本には生まれなくなります。

もちろん、
この日本に批評を復活させる事は、
もはや、不可能である事は、私も知っています。
しかし不可能であっても、
それを努力もしないで、不可能と結論する事は、
怠惰であるだけでありましょう。

不可能であって、敗北しかないにしても、
硫黄島で、最後の最後まで、知力を尽くして果敢に戦い散って行った栗林 忠道のように戦いきる事は、必要な事なのです。

栗林 忠道.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の人物
《象徴界》の眼で《超次元》の人物
《現実界》の眼で《超次元》の人物

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な人格
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芸術趣味判断の出発は、歴史的には、
味覚にあります。
これについては、前に書いています。

味覚は、「学校の通信簿」のような、
判断を必要とします。

ワインの味覚は、かなりのところ値段に連動しています。

日本酒などでも、日本酒品評会や全国新酒鑑評会が、
行われています。

ミシュランガイド東京2009が出されて、賛否両論の話題になりましたが、
味覚の「通信簿」は必要なのです。

このことは文学でも同様であって、
それは谷崎潤一郎の『文芸読本』でも、お酒の鑑定と連動して、
書かれています。

文芸評論家の福田和也の『作家の値うち』(飛鳥新社)というのは、
純文学と大衆文学の現役作家を五十人ずつ、
全百人の主要作品を百点満点で採点しています。
もっともこれも、多くの批判を浴びましたが、
私は、好きな本でありました(笑)。

音楽レビューで、点数や星数を付ける事は行われています。

ファッションでも、身だしなみの良さを採点される事は行われています。
たとえば週刊朝日に、その手のコラムが連載されています。

美術では、美術家列伝とか、画論と言う形で、
美術家の「通信簿」が作られて来ています。

ヨーロッパの中で、一番有名なのは
ジョルジョ・ヴァザーリ『画家・彫刻家・建築家列伝』です。
1955年に出版されています。
1568年の第二版がでますが、
チマブーエからミケランジェロまで芸術家163人の作品と生涯が書かれています。
これを書いたヴァザーリもまた画家でありました。
この画家が書いたこの本が、
「芸術史を最初に構築した文書の一つ」と言われるもので、
美術史の基本資料になっているのです。

彦坂尚嘉という美術家が、
こうしたブログを書いているのも、
こうした先人の画家の文章活動の系譜を引き継いでいるからです。

この本は16世紀のイタリアですが、
人類史の中で、こうした美術家の通信簿のような本を探すと、
10世紀も前の5世紀後半から6世紀前半の間に生存したと考えられる
中国の六朝時代に活躍した画家・謝赫しゃ かく)が書いた
『古画品録』という本があります。

世界最古の画品書であると言われています。
つまり、芸術作品の格付けをした、最初の本なのです。
ですから中国の絵画史上でもっとも重要な画論書=芸術論の本とされています。

謝赫しゃ かく)は、この本の中で、
「画の六法」という芸術論を述べていて、
その論理を基準に、
その当時に有名であった27人の画家を、
第一品から第六品まで分けて論評しているのです。

つまり《1流》から《6流》まで格付けしているのです。

すでに述べた様に、この謝赫しゃ かく)も画家でありました。
ですから彦坂尚嘉の「アートの格付け」と言うのは、
この謝赫しゃ かく)の『古画品録』を下敷きにして、
それを今日的な方法、つまり《言語判定法》を開発する事で、
展開したものなのです。

ですから、私の方法自体は、こうした美術史の常識の上で、
展開されているのです。

じゃむ様が感じる「違和感」というのは、
すでに述べた様に、私も理解できるし、
今の日本の多くの人の感覚ではありますが、
しかし、それは教養が無い人々の感覚なのです。

全人類史と言う視点で見れば、
芸術の格付けは、前例のある事であって、
違和感を感じる人こそが、実は違和感のある存在なのです。
つまり無教養な野蛮人なのです。

今日は、無教養な野蛮人の時代であることは確かですが、
その無知無能がすべての基準であるとして、
私もまた、それに同調して行かなければならない理由は無いのです。

さまざまな人がいて良いわけであって、
こういう私の考えを、最後の抵抗として言って居るわけです。
もしかすると私が最後なのです。
ですから生きている化石としての発言として、
了解していただければと、
思います。

もう一つの、強さ、弱さの件ですが、
これも、具体例を上げてくださらないと、
むずかしいです。

弱く感じる作品ですばらしい《超次元》のものは、
たとえばアメリカの女性作家のアグネスマーチンの初期作品とか、
菱田春草から安田靫彦、奥村土牛にいたる日本画、
浅井忠のさまざまな作品、等々ないわけではありません。

しかしモランディとか、
最近ですと、リュック・タイマンスとかは、
《第6次元》作家で、しかも固体美術で、
私は、評価しません。


ともあれ、ご自分の実感でのご判断だと思いますので、
それはそれで良いのではないでしょうか。

そのことと、美術史の中での比較の中での評価は、
違います。

そして同じ美術史に立つ評価でも、
人によって、美術史それ自体が違いますし、
そして評価の結果も違うものなのです。

私の意見は、あくまでも彦坂尚嘉の私見に過ぎないのです。
自分の主観判断を、どこまで厳密に展開できるかという、
主観の学問化というのが、私の立場なのです。



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naomi

彦坂様

例として取り扱っておられる、ニコラ・プーサンの作品についてなのですが、質問があります。
この画像は(あえて画像、と呼びます)ニコラ・プーサンの作品本来を表示出来ている画像でしょうか?
もちろん作品は生で観るべきもので、パソコン上で眺めたとして
それで完了することはないと思うのですが、
今まで 彦坂さまがこのブログで 採り上げられた超がつく作品とは
少し違和感を感じました。(よくない?、という意味で)
これはもしかしたら 男性の《対象a》に対する女性の(攻撃的な言い方をするならば)嫌悪感から発するものかもしれませんが・・・・

ブログを真摯に拝見している身として
文章とともに提示される画像に対して特に敏感になりました。
端的にいってしまえば、みえにくい、のです。
これは 画像として例として、特に、みえにくい、のでしょうか?
(この問題が、 単に、私の不勉強であったり無知であったりしたならば
まだ、私で解決していこうという、希望があるのです)

あまりに個人に寄った質問で申し訳ありません。
いつも、いつも楽しく読ませていただいております。
3月までとのことで残念でなりませんが・・・。
どうぞ よろしくお願いします。


by naomi (2008-12-24 22:27) 

ヒコ

nanmi様
コメントありがとうございます。
できるだけ、丁寧にお答えします。

まず、ニコラ・プーサンの作品ですが、これは分かりにくいアーティストです。
私の知人の美術史の専門家でも、分からない、と正直に答える人たちはいます。
それは、ヨロッパの哲学者の中にも、絵画が分からないという人々がいるのと、無関係ではありません。フロイトもまた、彫刻は分かるが、絵画はあまり分からないという趣旨の事を書いています。
つまり、プーサンに限らないのですが、絵画として高度な達成をしているアーティストの作品は、実は、哲学書がむずかしいのと同様に、むずかしいのです。
まず、それが第一の点です。
ですから、この画像以前に、ヨーロッパで、実物を見ていただく必要はあります。
いわゆる美術全集でも、実物とは作品のサイズも違いますから、本物を見ないと、分かりません。

第2番目は、コンピューターの光が透過するブラウン管での画像で、作品が理解できるのか?と言う問題です。
これは、実物を見て欲しいという最初のお答えからすれば、画像で、作品の理解は出来ないと言う事になります。

さて、ここで私の言っている事が反転するのですが、にもかかわらず、情報・・・つまりインタネットの画像で、作品の善し悪しは、判断が出来ると言うのが、私の立場です。

なぜなら、情報を判断する技術として、私の《言語判定法》が開発されているのです。

たとえばニューヨークで良い美術展が開催されていると言う情報が入ります。この情報にもとずいて、美術館のサイトをチェックします。そして、その情報で、良い悪いを判断して、実際にニューヨークに行くことになります。つまり情報段階で、善し悪しが判断できないでいると、このネット社会で、能率よく動くことが出来なくなります。

さて、話を作品画像に戻します。
naomiさんの「みえにくい」という感想は、正直でいらっしゃると思います。それが「よくない?、という意味で」ということも理解して、正直であると、思います。

こういう感想を持たれるにもかかわらず、これらの作品、今回で言えば、プーサンの作品が、芸術的にすぐれていて、人類の描き出した絵画の頂点の一つなのです。

すぐれた作品が、普通に見ると、悪く見えるということが、実は一般的な事なのです。

それに対して、デザイン的エンターテイメントの作品は、良く見えます。

《真性の芸術》の芸術が、悪く見えて、デザイン的エンターテイメントが、良く見えるということが、普通のまなざしでは、起きているのです。

典型的な事件としてあるのは、写楽と豊国の戦いでした。写楽がデビューした時とほぼ同じ時期に、豊国がデビューして、二人は人気を競います。そして写楽が負けて、敗退するのです。

今日から、この二人を比較すると、桁違いに写楽がすぐれていて、豊国はつまらないデザインワークに見えます。

何故に、このような事が起きるのか?

反復と、時間の問題なのです。

デザインワークと言うのは、時間が経ってくると、劣化して行きます。つまり、刺身のような生ものであって、歴史を経ると、新鮮度を失って、まずくなるのです。

それに対して、芸術は、ワインの様なものであって、時間がたつと、どんどん良くなって行くのです。

さて、いただいたコメントに戻りますと、ですからnaomiさんの感想は、正直であるとともに、間違いではないのです。すぐれた芸術は、良くなく見えるということの内に、実は芸術の秘密があります。

感覚を鍛えて行かないと、すぐれた芸術は理解できないのです。
つまり、見る事自体が、簡単ではないのです。
それ故に、多くの人が躓(つまず)
くのです。

しかし、すぐれた実物を、こつこつと見て行くと、次第に良いものが分かる様になって来ます。それには、時間がかかります。良いものが分かる様になると、幸せになります。

プーサンの絵画も、良さが分かる様になると、ほんとうに深いエクスタシーを感じるようになります。それには、しかし、もしかすると20年くらいかかるかもしれません。それほどに、芸術鑑賞の道は、遠くて、深くて、高いのです。    
by ヒコ (2008-12-25 01:03) 

糸崎

だんだん分かってきたような気がするのですが、彦坂さんがおっしゃる美術というのは「エリート主義」ですね。
「良いもの」を選抜するのはエリート主義で、それは美術としては全うともいえますが、しかし現代の日本でエリート主義はある意味時代錯誤ですから、そこに齟齬が生まれているのではないかと思います。

彦坂さんがおっしゃるのは、美術においてエリート主義が失われ、それでここの作家の作品の仕上がりが「甘くなる」ということでしょうか?
西尾さんは、ぼくはデッサン力も造形力も非常にある作家だと思いますが、(彦坂さんが見るところ)誰もその「甘さ」を指摘しないから、歴史上の絵画と並べて「弱い」ままに留まっている、ということなのでしょうか?
by 糸崎 (2008-12-25 14:32) 

symplexus

書き留めるのももどかしいような思考のフル回転,
 それが部屋の片付けと重なったら・・と心配です.
僕の方は体調を崩し,上京して医者にかかるというだらしない数日でした.
 途中電車の中でビジネス新聞を読んでいたら
  ”美術界にも暴落の波”の記事が目にとまりました.
ダミアン・ハーストは不良債権の山の上に咲いたあだ花,
 その流れに押し流される中でルシアン・フロイドだけは
  不動のままとか.彼がインタビューの中で
 ティツィアーノ礼賛していたとの一行が強く印象に残りました.
 ティツィアーノの作品(といっても印刷物ですが)に大学時代魅かれて
いつか「ニンフと牧人」を観にイタリアに行こうと思っていました.

 今回ブログ記事は対照aが登場,
今まで考えたこともない視点でたぶん自分は発言する資格が?です.
 面白いな~と思ったのはルシアン・フロイドが歴史を行き来するのと同様
今までもそうですがプッサンから現代作品の間を行き来する手法です.
 自覚して来なかったのですが,アートを観る視点に共通項が無ければ
  これは成り立ち得ないはずです.
 現代アートの枠はもはや虚構ということに成るのでしょうか.
by symplexus (2008-12-25 15:25) 

ヒコ

糸崎様
コメントありがとうございます。エリート主義という批判は、初めて受けました。ずいぶん昔ですが、PHスタジオの池田修さんが、Bゼミの私の学生であった時に、「彦坂は本物主義だ」と強い批判を受けました。ことば通りの「本物主義」であるかどうかは、私はちょっと納得できないところがありました。当時サルサを聞いていましたが、ラテン音楽の本物主義の人々は、キューバ音楽を評価していて、私の聞いていた様なプエルトリカンのサルサは、偽物として相手にしていなかったのです。
 糸崎さんが言う様に、私が文字通りの「エリート主義」であったのなら、おそらく私は糸崎公朗さんの作品を、高くは評価しないでしょうね。あるいは田嶋奈保子さんの作品や、先日アートスタディーズで取り上げた秋元珠江さんを評価をしないと、思います。
 しかし、批判されることは良いと思います。言われた通りの者になろうと言うのが、私の方法で、これは昔かいた「美術家であること」という文章に書いています。「暴力学生!」と言われれば、それになるのです。ですから「本物主義!」といわれれば、本物主義者になる。「エリート主義!」と言われれば,エリート主義者になって行く。ラカン的に言えば、人は常に他人の欲望を生きて行く者のことなのです。
by ヒコ (2008-12-25 18:06) 

ヒコ

糸崎様
 追加です。
 「時代錯誤」というご指摘は、日本の現実の中では、その通りです。しかしそれは日本の特殊性だけではありませんが、しかし私の主張そのものは、オーソドックスなものです。オーソドックスな考えが、孤立してしまうと言う所に、日本の美術界の退廃があります。 
 「西尾さんは、ぼくはデッサン力も造形力も非常にある作家だと思います」というご意見は、普通の意味では、その通りであると思いますが、しかし、まともなデッサン論を知っている人から見れば、西尾さんのデッサンは、素人主義の優良なものに過ぎません。あれでは昔の大学受験では落ちてしまいます。今は、知りませんが。
 一番いけないのは、立っている女性の、見えない背中が描けていません。こういう指摘は、昔のデッサンの教師が言う、基本的な意見なのです。そういう意味で、古典的な常識的な美術教育を受けていない作家が西尾康之です。
 彫刻については、私は彫刻教育をプロとしては受けていないので、私の彫刻を見る目は甘いです。そのことは、知っています。ですから私が言うのは、おこがましいですが、ここに図版として掲げた作品の頭部で言えば、髪の毛に隠れている部分に耳があるはずですが、それが作られていない。つまり髪の毛だけが見えていても、その髪の毛の向こう側に耳の存在が感じられる様に作られていないのです。これは細部ですが、もっと言えば、顔の下の頭蓋骨が作れていません。これも、指摘としては古典的な視点に過ぎず、私にはオリジナリティがあるわけではありません。
 
 


by ヒコ (2008-12-25 18:22) 

ヒコ

symplexus 様
「現代アートの枠はもはや虚構ということに成るのでしょうか」というのは、ご意見としては、そのお気持ちも含めて、分かります。しかし、例えば、《家族》と言った時に、全人類史の中で、《家族》というものを考えた時に、近代の「核家族」というのは、極めて特殊である事が理解で来ると思うのです。血縁集団としての大家族性のほうが、全人類史の中で、時間的には長いし、普遍的なものであって、近代の「核家族」というのは、その大家族制度の脱ー構築化されたものであります。
 同様のことが芸術にも言えて、芸術そのものは、実は人類が文明化した以降の産物で、初期の文明の中に、最良のものがあると、私は思います。そしてその脱ー構築化として、美術史が流れて来ている。ですから、常に昔のものを参照する事においてしか、芸術の基本は確認することが出来ないと思います。
 コルビジェは、ギリシア建築を見に行っていますが、そういう態度が、近代建築を作り出したのです。同様のことが、現在の現代アートの作家にも必要であると、私は思います。
by ヒコ (2008-12-25 18:35) 

糸崎

お返事ありがとうございます。
「エリート主義」という指摘はちょっと外れていたようで、申し訳ありません・・・
ぼく自身も、アートの価値判断を「グルメ」に例えて捉えていたのですが、ぼくの中でグルメは「良いものを選別する」という意味で、エリート主義と結び付いていたのです。
ただ、「エリート主義」の言葉の意味内容を、お互いがどのように捉えているかについての確認(あるいはすり合わせ)が、ネット上のやり取りだけでは困難ですので、とりあえずは使わないのが無難かと思います。

デッサンについて「裏が描かれていない」とか「空間が描かれていない」とか、受験の石膏デッサンでぼくも言われましたが、自分は早い時期に絵画を断念しましたので、「見る目」も養われていないと言えます。
つまり、西尾さんのデッサンについて「見えない背中が描けていない」と言われても、よく分からないのが正直なところです。
さらに、岡本太郎の「芸術は上手くあってはならない」に代表されるように、現代のアートの良し悪しにデッサンは関係ない、という風潮がありますから、「デッサンで絵を見る」こともしなくなってますね。
by 糸崎 (2008-12-25 20:23) 

symplexus

初期の文明の中に芸術の最良のものがある,
だからこそ,それにひれ伏すのではなくレシプロカルに行き来する,
訪ねて見る,全身でその”強さ”の洗礼を受けてみる,
過去の作品という膨大な遺産の重みに耐えられるのかどうか,
 輝きの前で現代という時を,成果を相対化する,
そのとうりだと何度も思いました.
過去の偉大なる作品のエピゴーネンが
ある種の劣化の過程だとすれば
この歴史的な視座というのは創作するものにとって
一種の喜びと同時に試練の時でもあるでしょう.
by symplexus (2008-12-25 22:19) 

naomi

彦坂様

お忙しい中、懇切丁寧に、ありがとうございます。
本当にありがたい、の一言に尽きます。

正直、エベレストにド素人が登るようなものなのですね。
引き返したくもありますし、そのような山は知らない方が のんきでいられるのかもしれません。
でも、どこかで感覚として知っているからこそ、嫌悪したり、救いとなったりするのでしょうか。

何度も読み返したなかで解釈の点で質問があります。

『それに対して、芸術は、ワインの様なものであって、時間がたつと、どんどん良くなって行くのです。』

この、どんどんよくなるとは、どういうことなのでしょうか?
薄い、デザインワークが、時代のなかで消費されていくのはわかるのですが、
出来上がった(超がつく)作品が、さらに時間を経るごとにどんどん・・・
というのは 言葉の馬鹿正直な受け方すぎなのであって、
時間がたつと、(多数ある)超の作品が、さらに淘汰され、
ほんの一部の芸術作品が残っていく、という意味でとらえてもよいのでしょうか?

グットテイストバットテイストという文章の形式のなかで
横槍をいれるような形で申し訳ありません。
また重ね重ね単純な質問で申し訳ありませんでした。

簡単にでよいので、どうぞよろしくお願いします。
by naomi (2008-12-26 02:57) 

ヒコ

naomi様
ラカンは、むずかしいのですが、私が引きつけられたラカンの理論の一つに、反復強迫の問題があります。この説明もむずかしいので、そこは略させていただきますが、《真性の芸術》というのは、時を超えて反復する力があるのです。だから、観客が世代交代しても生き延びて行きます。だから古びても、かけがえの無い歴史性や初源性をおびて、見る人の中に蘇って来ます。
ワインのように古びると、なおさら美味しくなると言う経験は、私はいくつか見て来ています。例えば靉光の作品ですが、昔よりも良くなって来ています。小清水慚さんの作品も、三角形が乗ったテーブルですが、これが良くなってきています。ジャッドの作品にも言えます。ボナールの絵画も良く見える様に、どんどんなりますね。
 お酒とか、梅干しとか、ああいう漬け物類に似ているのですが、時が経ってくると、その時間の経過が、美味しさを作り出してくる。つまり時間の流れが、マイナスではなくて、プラスに転化する仕組みが、芸術の構造なのです。
by ヒコ (2008-12-26 09:19) 

naomi

彦坂様

度重ね、ありがとうございます。
勉強させていただきました。(ほんとうにむずかしそうですが・・・・)




by naomi (2008-12-27 02:42) 

大嶋拓司です

エリートという言葉をすごく考えるんですけど、エリートと言う概念が気になります。エリートというイメージはいろいろありますが、ウィキペディアの抜粋では、語源はラテン語の「ligere」(選択する)で、「選ばれた者」を意味する[1]。通常は、特別に優秀な属性を持った人または集団で、その属性はその時代・地域・社会などによって血統・出自・職業・知識・経験などがある。血統の場合は貴族主義などの身分制度、民族・宗教などの場合は選民思想、知識経験の場合は学歴主義や資格主義に関連する場合がある。政治学的には、統治者(層)に必要な資質を持っている、あるいは持っているとみなされている場合が多い。
私としては選択できるということかなとおもうんですが、私たちは選択しているのか、無意識に選択していると思わされて無選択なのか。
by 大嶋拓司です (2013-07-22 23:24) 

レイバン サングラス

はじめまして。突然のコメント。失礼しました。
by レイバン サングラス (2013-07-28 19:58) 

lift shoe

Only wanna remark on few general things, The website style and design is perfect, the content is rattling excellent. “The reason there are two senators for each state is so that one can be the designated driver.” by Jay Leno.
by lift shoe (2013-08-19 10:34) 

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by rxpnemrm (2013-09-05 04:42) 

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by Christian Louboutin Outlet UK (2013-09-07 11:06) 

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by Leah (2013-09-10 16:28) 

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Caleb http://jaxartscene.com/blogs/post/78/
by Caleb (2013-09-28 06:18) 

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