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「作家」だと感じられた瞬間 [アート論]

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じゃむさんから、次のようなご質問をいただいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彦坂さま
今日は氏にリクエスといいますか質問があって書かせていただきます。
彦坂さまが「作家」だと感じられた瞬間はいつ頃なのでしょうか。
それは初めて自身で「作品」として製作されたときでしょうか。
それとも
初めて「展示会」に参加ををされ作品を見せられた時なのでしょうか。
それとも・・・
お忙しいだろうということ、十分に承知の上でのお願いでもありますが、どうかお時間の許す限り、いつの日かこの事について書いてくださるといいなと思いました。
どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
じゃむ 
by じゃむ (2009-02-21 08:30)  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

むずかしい質問をいただきました。

むずかしいというのは、人間は、自分のことが分からないのですね。

デカルトは「我思う故に我有り」と言いましたが、
ラカンは、「我、思わぬ故に我あり」と言います。

そうは言っても、せっかくだから、お答えする努力をしてみます。

◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

絵を描いた記憶は、不思議と鮮明にあります。
小学校に上がる前に、近所のお絵描き教室に行っていて、
悪夢の絵を描いて、先生にほめられます。
今もその絵を、薄らとですが、覚えています。
小児結核に感染していて体が弱かったせいもあって、
悪夢はたくさん見て来ていて、
うなされて来ています。
悪夢を、いまもいくつも覚えています。
悪夢が一番ひどくて一ヶ月つづいたのは、
20歳の時に、結核の治療で肋骨を一本取った時の事で、
あまりひどくて、医者にもあきれられました。
拙著『彦坂尚嘉のエクリチュール』の中に『幻想絵画論』がありますが、
私の基本は、幻想絵画なのだろうと思います。
拙著をだしてくれた三和書籍の社長の高橋考氏が、
一番気に入ってくれたのは、この『幻想絵画論』でした。
ですから、私にとって一番重要なのは、
最初に描いた悪夢の絵でありました。

小学校にあがって、すぐに描いたクレヨンの絵も覚えています。
家があって、木や花があって、太陽が照っていて、
極めて凡庸な子供の絵が、律儀にきちんと描かれていて、
子供心ながら、きちんとした優等生的な絵である思いました。
きちんとした美術作品が好きであるという、そういう趣味性は、
6歳からのものなのです。
自由に放埒に描かれたものに、芸術を見ようとする人がたくさんいますが、
私の立場は違うのです。
たとえば篠原有司男の作品や、デクーニングの有名な「女シリーズ」、
堀浩哉の雑草が生い茂ったような放埒主義の絵画、
岡本太郎の原色原始絵画といったものは、
「ちゃんとしている」と言う事を欠いていて、よく無いと感じるのです。
《真性の芸術》というのは、
「ちゃんとしている」ものだという立場です。
つまり日本の伝統の中には「婆娑羅」の系譜という、
原始への還元主義があるのですが、こういう野蛮回帰を、
《真性の芸術》とは考えないのです。
そういう志向は、6歳からのものなのです。

そういう視点で、過去のアーティストを見ると、
例えば、ルーベンスはよく無く見えます。
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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》

《現実界》の作品、固体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ルーベンスは17世紀のバロックを代表する画家ですが、
私の「ちゃんとしている」という視点から見ると、
駄目なB級の画家なのです。
ですから、この小学校に入った最初の、お行儀の良い絵が、
私には重要な体験でありました。


油絵をはじめて、板のスケッチ版に描いたのも6歳でした。
はじめての、油絵で、あじさいを描いたのですが、
油絵の具を乾かしてから加筆するということを知らないので、
絵の具をこね回す結果になって、絵の具が濁ってしまって、
どうしようもなくなって、完成になった事を強烈に覚えています。
油彩画の系譜をいきているという気持ちは、
今もあります。

小学校一年生から、清原啓一という洋画家に
油彩画を習っていました。

清原先生は“群鶏の画家”として知られる方で、
先日2008年10月11日 肝細胞癌のため死去されています。
日展と光風会で活躍された清原先生は、
日本芸術院会員、日展常務理事の画家でした。

高校卒業後の1年先まで、

師弟関係が続きます。
多摩美術大学に入ると、縁が切れています。
その多摩美入学直前に、
その光風会という日展系の団体展に
100号と50号の油彩画を応募して、100号の作品は入選します。
決意のある絵画だったのですが、3段掛けの一番上にかかっている
のが嫌で、帰って来た絵に火をつけて焼きます。
絵が焼ける炎を見ながら、
日展という官展系との決別を選んだのです。

実は、高校3年まで、医者になろうとしていました。
弟が、重度の脳性麻痺で、そういうこともあって、
何度も泣いたし、医者になりたかったのですが、
挫折します。
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それは、一つは自分が高校3年で再び結核が再発して、
受験戦争に耐えられなくなったからです。
もう一つは、遠藤周作の小説「海と毒薬」を読んだからです。
これは戦争中に、医者が捕虜のアメリカ兵を生体解剖したという
事件の小説で、衝撃を受けました。

高校卒業後に、1年病院に入院していて、
多摩美術大学に入学します。
それでも、医者になり損なった事が恥ずかしくて、
美術家とは、何かも分からなくて、
本を探します。
そして見つけたの『数奇な芸術家たち―土星のもとに生まれて  』
(岩崎美術社)という本でした。
これはギリシアの昔から、現代までのヨーロッパにおける美術の
歴史を描いた本で、美術家とは何であるのかを、
明らかにしていたのです。

作家という歴史を知って、その系譜を生きようと思ったのです。

日本の美術家については村松梢風の『本朝画人伝』全8巻を
読みました。

それと、自殺されてしまいましたが坂崎乙郎先生が恩師で、
その父君の坂崎旦先生が編纂した『日本画論全集』全5巻を買います。

こうして美術家の歴史を知り、その歴史を生きようと思った時が、
彦坂が「作家」だと感じられた瞬間だったと言えます。

私にとって、作家になることとは、先人の多くの偉大な作家たちの
歴史に加わる事なのです。

フロアイベント1-.jpg
1970年、東京の世田谷の自宅の8畳の畳の上に、
ラッテクスという生のゴム液を大量に流すという作品を、
やります。
フロアイベントという作品です。
初めは、真っ白なのですが、
1週間ほどで、乾燥して、透明になります。
それが美しくて、独りで見ていました。
その時には、観客がいなかったのです。
写真に撮って、ハガキにして送るメールアートを考えていたからです。
情報アートをやろうと思っていたのです。
だから孤独に、その皮膜をかぶった畳の美しさを見ていました。
その時に、「私は靉光だ」と思いました。

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中学2年の時に講談社の『日本絵画全集』全12巻を買っていて、
その中にある靉光に私淑していたのです。
自分が、作家であると感じられた瞬間を上げろと言われれば、
「私は靉光だ」と思った、その時であったと思います。


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コメント 2

じゃむ

彦坂さま
ありがとうございました。
大変面白かったです。
答えは明確で「いつ」と出てくるのかと思っていたのですが、そうではなくて「難しい質問」というように捉えられたというのも驚きでした。
幼少期からの解説も非常に興味深いですね。
やはり作家である方は幼き頃から才能を発揮されているのだなと読みながら思いました。
悪夢を見て絵にして、絵の先生に褒められるという話は頻繁にあることではないですね。

> 中学2年の時に講談社の『日本絵画全集』全12巻を買っていて

おこずかいで買われたのでしょうか、お小遣いをこのように使うというのは賢いですね。
やはり尊敬します。
私は中学生の時の年に何度か貰えるお小遣いは貰って直ぐにお菓子を買ったりしていたと記憶しています。
あの頃の私には学校と家の往復で、あとは友人と長話するとか、マンガの貸し合いというのが楽しみだけの生活。
そして、学校の誰かに恋心を持っていたぐらいでしょうか。
それでも十分だと思っていましたけど。何か足りないような、でも何が足りないのか分からない、という非常にもどかしい時期でもありました。
彦坂さまの中学生時代は「靉光に私淑していたのです。」、私の中学時代と比べても比べきれないですね。
やはり幼き頃から様々な環境があってこそ作家に成り得るのだろうと改めて思いました。
by じゃむ (2009-02-27 23:35) 

symplexus

「私は一つの考えをもてあそんできました.人間の一生は
何千何万という瞬間,そして日々から成り立っているけれども,
これらの膨大な瞬間は,これらの膨大な日々はただの一瞬に,
すなわち自分が何者であるかを人間が悟る一瞬に,人間が
自分自身と向き合った一瞬に,つづめ得るのではないか,
という考えがそれです」というのはボルヘスです(ボルヘス,
文学を語る,鼓訳,岩波).靉光作品との出会いは画家として
自分を意識する瞬間であり,ラテックスの半透明な皮膜の
背後に再びそれを再発見する姿に感動しました.
あのオークションの写真に1番魅かれた謎が今解けた気分です.
原体験から立ち上る人間彦坂の原点は生き方と不可分な
人間行為の真の意味での倫理性,そして物事をラディカル
に捉えること,すなわち表面を穿つ深遠への献身であると
思いました.
by symplexus (2009-02-28 22:49) 

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