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第14回アート・スタディーズを終えて  [アート論]

録音を人に頼んで、確認が出来ていないので、
不安はありますが、
ビデオも回ってはいるので、なんとかはなっているでしょう。
というわけで、第14回のアートスタディーズを
無事に終えることが出来ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
録音は、無事にできていました。


今回の特徴は多くの方が来て下さった事です。
ブログを読んで下さっている方も来て下さって、感謝しています。

ゲストの先生方の豊かさも、
充実していて、面白かったです。

4人のゲストの方々のお陰と言うのは、
社交辞令ではなくて、本当に多大にそうなのです。
近い過去を歴史としてあつかうのは、なま(生)であることもあって、
むずかしいので、それを引き受けて下さるゲストの方々がいないと、
できません。
前回も今回も、実はこのお願いの過程が大変でありました。

彦坂尚嘉の方法は、
考現学の今和次郎の影響を学生時代に強く受けています。
ですので、現在を考古学の視点で見るという、
歴史の眼で、現在の事象を捉えようとしているので、
近ー過去を扱う事は出来ますが、
それを聞いている方々は、簡単には納得しないのです。

特に美術に関しては、言えて、村上隆について論じるという、
むずかしい事は朝日新聞の大西若人さんが引き受けて下さって、
今日出来た事は、大感謝です。

村上隆さんについては、議論が活発にされて、
中でも藤原えりみさんが、近作の達磨の作品を実見しておられて、
「工芸である」という趣旨の発言をなさって、
しかもそれは漆塗りのようなものだというご意見で、
はっとさせられるものがありました。

藤原えりみさんの、美術を見る目の真摯さと、大物アーティストでも、
批判をストレートに言うのを何回か見ています。
2000年の第1回越後妻有トリエンナーレでもご一緒しましたが、
川俣正さんの同義反復(トートロジー)の手法を使って、
農民の藁を干すための木組みと同じものを作った作品を、
否定的に語られていて、共感したのでした。

この時はBゼミの小林晴夫さんが、反対に川俣正さんを評価していて、
対照的だったのです。

作品の評価と言うのは、実は、多くの人は、悪い作品を喜ぶという性根が、
人間にはあるのであって、川俣さんのバラック的な仕事に魅了される
小林春夫君のような若い人がいるのは当然なのですが、
それは低いのです。

人間は低きに流れて行くという、性質がありますから、
際限がなく、堕落して行くものなのです。

つまりエントロピーが上がって行くのです。
それが自然の摂理です。

自然に従えば、作家も新人が一番良くて、
年を取ってくると、どんどんと凡庸になるのです。

これを逆転して、自分の経験の蓄積をプラスにつかって、
エントロピーを下げて行く方法を確立しないと、
大作家と言うのは成立しないのです。

エントロピーを下げる技術については、
たぶん小林晴夫さんは、学ぶことが出来なかったと思います。

小林晴夫さんの作品は、すぐれていて、
川久保玲がTシャツに使っています。 
しかし、才能は夏草のように生えて来ますが、
5年、正味3年で枯れて行きます。

それは少女の美しさの様なものです。
世阿弥の風姿花伝』が言う「時の花」です。
花の命は、短いのです。

藤原えりみさんは、
翻訳書も、何冊もすぐれたものを出されています。
それは半端な本ではありません。
私が一冊あげるとすると、
ハバード・リードの「彫刻とはなにか 特質と限界」(日貿出版社、1980年) 
これは画期的な、まともな彫刻論の本です。

マイ・グランパパ、ピカソ マリーナ・ピカソ』( 小学館 、2004年

ここにはピカソの堕落とその無惨さが、ものの見事に摘出されています。

これを乗り越える方法、
アーティストの人生と言うのは、意味を欠くものになるのです。
自分の制作の経験や体験を蓄積し、
これをマイナスにではなくて、プラスにする方法。

《第6次元》という自然領域で、
作家活動をしていると、
歳をとると作品が、悪くなって行きます。
ですから、おすすめできない領域なのです。

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話を、藤原えりみさんに戻すと、
彼女は、ブルータスでの村上奈良特集号を作っていて、
この内容はすばらしいものでした。

つまり藤原えりみさんは、信頼に値する人です。


森美術館キュレータ−の荒木夏実さんは、眞島竜男さんをやってくれて、
これも感謝です。すぐれた作家でありながら、世間との齟齬を、
あまりにも本質的に抱えているがゆえに、駄目性と、面白さが、
せめぎ合っているのが眞島竜男です。

ちょっと、アートスタディーズの事が、
先行き、書きにくくなりました。

実はアートスタディーズのメーリングリストで、
私が書き込みをしていて、
その方に、エネルギーをとられているからです。

まずいことも、書いているので、
それは、ここには、ペーストできません。
そこを省略して、引用しておきます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

アートスタディーズのみなさま

昨日は、お疲れさまでした。
第14回を無事に終了できて、感謝しています。

伊東さん、日比谷さんをはじめ、
お手伝いをいただいたスタフのみなさまに、
深く感謝致します。

特に伊東さんには、負担が大きくなってしまった、
申し訳なく思います。
どうもありがとうございました。

ゲストの方々の多彩さもあって、
大変に充実していましたね。

観客の人数が多かったのは、
印象的でした。
80名を超えました。
村上隆などの生々しい素材を、
扱うというジャーナリスティックな面もアピールしたのかも
しれません。

私個人的に印象深かったのは、
五十嵐さんの隈さん論の部分で、
当然すぎる事ではありますが、
鋭い批評性があって、感銘を受けました。

アートスタディーズが作動している根底には、
単なる歴史の羅列と、なぞりではなくて、
真に検証する批評性なのだと、あらためて思いました。

藤原えりみさんの、
村上の達磨の絵を、工芸、しかも漆塗りと感じられたという、
ご意見も、ドキッとするものでした。

あと、長谷川裕子さんのしゃべりが、やはり新しくて、
彼女が美術界の牽引者であった実像を確認できて、
良かったです。

とにかく充実していて、素晴らしいと思いました。
パネリストのみなさまにも、
お忙しいのに参加いただけて、改めて感謝します。

次回は1985年からで、これもむずかしいのですが、
今回よりは過去ですので、
もう少しは樂と思います。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさん、お疲れさまでした。

彦坂尚嘉

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 暮沢剛巳様 

On 2009/03/10, at 12:39, UGI55688 wrote: 
> 私は議論に加わるタイミングを逸してしまい残念 
> でしたが、 
> ゲストの方々の話を聞けただけでも参加した価値 
> があったと思います。 


申し訳ありませんでした。 
次回は、もっとお話になれるように、 
時間を割けるように、注意致します。 

次回の1985年〜94年と言うのは、 
時代的には、バブルが始まって、それがはじけて行 
く時代です。 

作家的には、森村、宮島などが、 
国際展開をして行く時代で、 
彼らが村上隆を準備したと言えます。 

  暮沢剛巳さま、次回、 
どうぞよろしくお願いいたします。 


彦坂尚嘉 

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藤原えりみ様 

On 2009/03/11, at 2:35, 藤原 えりみ wrote: 
> 次回ですが、森村さん、宮島さんもですが、蔡國 
> 強さんなど 
> はいかがでしょう? 


蔡國強については、 
私は、すでに、かなり長い蔡國強論を書いています。 
藤原さんに贈呈しています、拙著『彦坂尚嘉のエク 
リチュール』の中の 
1990年代論に入っております。 
なかなかの力作ですので、読んでいただければと、 
存じます。 

彦坂尚嘉 

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○○○○

On 2009/03/○○○○, ○○○○ wrote: 
> 議論はまとまりませんでしたけれど、本当に充実 
> した回で 
> した。 


私は、議論は、まとまっていたと思っています。 

私の眼から見ると、 
長谷川裕子さんは新しく、 
そして五十嵐太郎さんは、さすがに良く歩いている 
ので、新しい。 
しかし、他のみなさんは、あまり、時代の変化を測 
定していないという、 
印象でした。 

【自己検閲による削除】

私見では、近代はすでに終わっているし、 
決定的に新しい時代になっているのに、 
日本の現代美術は、 
それを言説として整理で来ていないのです。 

ネグリ/ハートの『帝国』は、決定的な本で、 
これを読んでいる美術界の人が少ないのも、問題で 
す。 

私は芸大先端研での読書会に参加していましたが、 
若い学生が、この『帝国』を理解できない古さに、 
あきれました。 

○○○○さん、 ○○○○さんが、 
村上さんのリトルボーイを見に行っていないのにも、 
驚きました。 

すべてを見るのは無理ではありますが、 
リトルボーイは、決定的な展覧会です。 
全米美術批評家連盟が、その年のトップにあげたこ 
とも重要で、 
これを見ずして、村上を語る資格はありません。 
調査無くして、発言権なしというのは、基本です。 

時代を見る方法は、 
私の場合には、学生時代に今和次郎の考現学全集を 
読んだ事でした。 
現在と言うものを、考古学として見て行くと言う方 
法です。 

しかしその原理は、まず、足を使って歩く事です。 
GEISAIも私は第1回の東京タワーでの開催から見てい 
ますし、 
1回ですが、GEISAIに出品もしています。 

善くも悪くも、 
村上隆は、 
日本の現代美術史の中で、決定的なアーティストで 
す。 
これと正面から取り組む努力無しには、 
次の時代を見る資格は無いのです。 

私も歳をとったので、 
おっくうで、なかなか見られませんが、 
それでも、芥川賞は読んでいますし、 
音楽も、かろうじてですが、遅れながらも観測はし 
ています。 

ベニスまで、石上純也を見に行ったのも、 
そういう重要性を感じたからです。 
当初行くと言いながら、ツアーから落ちた○○○○さんは、 
決定的に、時代のトップ集団からの脱落を選んでいると、
私は思いました。 

マラソンレースで、重要なのは、トップ集団に付け 
て、走り続ける事です。 

石上純也さんの仕事の中には、 
村上隆と同様な、 
過激な先端性があったのです。 
これが、結局は、たとえ滅びようとも、 
歴史は、石上純也の狂気を回避しては、展開して行 
きません。 

五十嵐さんのアンテナは、凄い良いもので、 
この五十嵐さんの選択を信じる道を、私は選んでい 
るのです。 
すぐれたアンテナを信じる事無しには、飛行はでき 
ないのです。 

建築系ラジオもそうですが、 
五十嵐さんの時代を見る目を信じる事が、重要です。 
老いては子に従えであって、 
私は五十嵐さんの先端性を信じるのです。 

美術の眼から見ても、 
石上純也さんのドローイングの展示は、 
凄いものでした。 
これは写真には写らないものです。 

これを見ない○○○○さんも、○○○○さんも、駄目だと思い 
ました。 

マラソンレースのトップ集団に、とにかく付け続け 
る努力を、 
不完全でもあっても、しようと意思し続けなければ、 
同時代史を、見続けるのは無理です。 

もちろん全部は不可能ですから、 
だからこそ、一番、尖っているアーティストを見る 
必要があるのです。 

ネグリの言う《脱領土化》の運動と言うのは、 
まず、自分自身の蛸壺から出るところから、始まり 
ます。 

ラカン的に言えば、蛸壺というのはナルシズムです。 
ナルシズムは、自己防衛の機能が、過剰化したもの 
です。 
自己防衛装置を外さなければ、 
外部を見る事はできません。 

○○○○さんも、○○○○さんも、自己防衛機能が強すぎます。 

自己防衛をはずして、 
他者を見る事を努力しなければ、 
コンテンポラリー・アーティストであり続ける事は 
できません。 

とは言っても、次回は、古い過去に戻ります。 
1991年が紀元元年であったとすれば、紀元前の時代 
に、次回は戻ります。 

言い換えれば、前回、今回は、アートスタディーズ 
にとっても、 
非常に、むずかしい、時代だったのです。 
それをなんとか、乗り切ることが出来て、良かった 
と思います。 

次回からは、紀元前の新骨董の時代ですので、 
まあ、とんがらずに、落ち着いて回顧できるのでは 
ないかと思います。 
みなさまも、安心して、歴史の追憶性を楽しんでい 
ただければと思います。 

言い過ぎた事を書きましたが、 
この世界金融危機は、非常に重要な歴史転換ですので、 
その、どさくさにかこつけて、言いたい事を言いました。 
どうか、お許しください。 


彦坂尚嘉 

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【宮島について】 

On 2009/03/11, at 2:35, 【宮島について】 

On 2009/03/○○○○, ○○○○ wrote: 
> ところで、最近の宮島さんのお仕事にはどうも納 
> 得できない 
> ものを感じてしまう○○です----。とても良い方だ 
> し、言説化 
> する能力に長けていらっしゃる方なのですけれど。 
> いずれにしても彦坂さんは認められないでしょうか 
> ら、彦坂さんにと 
> ってはまたシンドイ回になるのでしょうか(笑)。 


宮島もウオッチングしてきています。 
宮島は、ベニスで、ランダムに展示したのだけが、 
ヨーロッパで評価されていたのであって、 
ユークリッド的になってからは、評価はありません。 

創価学会であることも、 
作品の保守化を生んでいて、 
ベニスの日本代表での大掛かりな作品も、評価はあ 
りません。 

原美術館や、都現美の所蔵作品も、実体的で、デザ 
インに過ぎません。 

もちろん柿の木プロジェクトは、 
ボイスの焼き直しで、冗談にもなりません。 

作家としてはデビューだけの作家であって、
初期の作品は根拠がありますが、
その後の作品は、 
芸術的生産性も、実力もありません。 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  

同様のことは柳幸典にも言えます。 
蟻の作品は、学生時代のコンクリートの床での蟻の 
ドローイングも 
良いものではありますが、 
これとても、ポロックのなぞりです。 
万国旗を蟻で解体する作品は、時代のイラストレー 
ションとして大成功しますが、 
あたったのは、これだけで、一発屋です。 
芸術的には、展開力がなく、評価に値しません。 

もっと初期の日本での、たいやきの作品は、 
その異様さを、私はまだ覚えてはいますが、 
これも《第6次元》の作品で、 
それが芸術として屹立しなかったと、 
私は思います。 


彦坂尚嘉 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【全体のプランについて】


On 2009/03/○○○○, ,○○○○ wrote:
> 次回ですが、森村さん、宮島さんもですが、蔡國強さんなど
> はいかがでしょう?


○○○○様、みなさま、

覚えていないでしょうが、
一応、すでにメールで、
提示していた内容は、
下記のようでありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ゲスト講師の候補リスト■

■現代編■

第13回 1995年〜2000年 
《デジタル時代化する美術》


○○○○○・・・奈良美智
○○○○○・・・・秋元珠江

 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆      

第14回 1990年〜1999年 
《グローバリゼーション化する美術》


○○○○○・・・・・・・・・村上隆
○荒木夏実(森美術館)
・・・眞島竜男・

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

第15回 1985年〜1994年 
 《「日本の廃墟化」を未来に見て》

○○○○○・・・・・・・・・雜賀雄二

○○○○○・・・宮本隆司 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


第16回 1980年〜1989
    《女性作家の台頭と崩壊?》

○○○○○・・・・佐々木薫

○○○○○・・・・・辰野登恵子

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

第17回 1975年〜1984年
     《もの派の外部への狂走》   
          
      
  ○○○○○
・・・・・清水誠一

  ○○○○○
・・・・・戸谷成雄

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

第18回 1970年〜1979年
     《敗戦後現代美術の全否定》

  ○○○○○・・・・・・・・・・・・・彦坂尚嘉

   ○○○○○・・・・・・李禹煥

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

                 
第19回 1965年〜1974年
       《国家制度批判と芸術》   
        
 ○○○○○・・・・・・ 菊畑茂久馬

 ○○○○○・・・・・・・赤瀬川原平  

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


第20回 1960年〜1969年
      《反芸術の美しさと醜悪な原始性》

○○○○○・・・・・ 三木富雄

○○○○○・・・・・・篠原有司男


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

全体の議論も、
していただけるのならば、
やりたいです。

全体のストーリーをどうつくるのか?

その問題は、次回の1985年から94年という、
バブル期の問題としては、
選択が、あるのです。

バブル期を、その光で見るか、
陰で見るかです。

光で見れば、森村、宮島等々です。

陰で見ると、廃墟ものの台頭という視点になります。
ひねり過ぎとは言えますが、
《名品》という視点を軸にして見ると、
彦坂流では、雜賀雄二の作品の早さと、質の高さを
評価しておきたいというのが、あります。

異論は多いとは思いますが、
1986年に宮本隆司の建築の黙示録が出ます。
これも歴史的事実なのです。

雜賀雄二の方は、もっと早いです。
1975 「閉山・軍艦島より」    長崎県立美術博物館



写真集としては、

1986 『軍艦島 - 棄てられた島の風景』  新潮社



バブルの始まる1986年に、

宮本隆司の『建築の黙示録』と、

雜賀雄二の『軍艦島 - 棄てられた島の風景』が出ているという

歴史的な事実を、アップしておきたいのです。



こういう視点を欠いてしまうと、

このバブルがはじけて、いわゆる『失われた10年』が始まる事の、

芸術的な先取りが、忘れられます。
そして今日の日本経済の崩壊との連動性が見えなくなります。

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じゃむ

長谷川裕子氏の話題が出ているので。
長谷川裕子さんは生年月日をいつも公表されていないのは何故だろうと思います。
兵庫県生まれとあっても、生まれた年を書かれていない。
一緒に紹介されている人々全ての生まれ年が書かれてあっても、彼女の生まれ年は書かれてあるのを見たことがありません。
そんなにタブーなのかな?と不思議。
by じゃむ (2009-03-21 19:50) 

じゃむ

友人が教えてくれました。
長谷川さんは52、53歳だそうです。
NHKでの某番組を見せてもらったのですが、なんだか少し恥ずかしくなるようなナレーターの紹介文などもあったりしました。
個人的な感想です。
by じゃむ (2009-03-23 04:32) 

スマホでテレエッチ

Zuf!Oeug, heartdesire.org/sp, スマホでテレエッチ, http://heartdesire.org/sp/
by スマホでテレエッチ (2011-12-11 06:25) 

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