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ROVO(加筆1) [ロック]

rovo.jpg
ROVOの『NUOU』(2008)というアルバムを聞く。

ROVOは日本のロックバンド。
1995年結成。
1995年というのは阪神淡路大震災と、オウム地下鉄サリン事件が
起きた年。
この年を境に、日本の戦後50年は完全に終わってしまった。

ROVOは、そうした新しい過渡期を転げ落ちる日本の音であると言える。
それは、決して悪いものではない。
日本のロックバンドが、ここまでの音を作り出している事に、
驚きを持たざるを得ない。

私の知っている音で言えば、
マイルス・ディビスのアガルタ/パンディアとか、
ジョンハッセルのトランペットとか、
イーノ系というか、ペンギンかフェとか、
友人ではバンドウジロウさんの音楽を思い出した。


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勝井祐二山本精一らが中心になって「宇宙っぽいことをやろう」
ということで結成されたというのだが、
「宇宙っぽいことをやろう」と言う視点は、新しい。
美術で言えば蔡國強(ツァイ・グオチャン)が、ほぼ同じ時期に、
宇宙人に作品を見せるとかいう発想を持っている。

勝井 祐二は、1964年うまれのエレキ・ヴァイオリニストで、即興演奏。
山本 精一は、1954年生まれ、主にギター。

この二人の演奏は印象に入ってくる。

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結成は1995年で、このNUOU』というアルバムは2008年、
つまり活動歴は13年を超えているベテランバンド。

アマゾンで見ると、

表題の通り、ROVOは大好きなんだけど 
このアルバムは焼き直しみたいな曲が多くて 
イマいち、いやイマふたつ好きになれません。


といった感じの感想が並んでいる。
音楽的には、成熟して、飽きられるところに来ているだろう。

飽きるというのは、
文化の動きで、重要な要素である。
飽きるから、変化していくと、歴史を考えることが出来る。

実際13年間で、ROVOは次のようなにアルバムを出している。

  • PICO!(1998年7月18日)ミニアルバム
  • imago(1999年8月4日)
  • PYRAMID(2000年4月19日)1曲のみ
  • SAI(2001年6月21日)
  • TONIC 2001 (2002年)ライブアルバム
  • live at liquidroom 2001.5.16(2002年7月6日)ライブアルバム
  • FLAGE(2002年11月21日)
  • LIVE at 日比谷野音 2003.05.05~MAN DRIVE TRANCE SPECIAL~(2003年10月10日)ライブアルバム
  • MON(2004年11月10日)
  • ROVO LIVE at MAGASIN 4 2004.06.04 Brussels,Belgium(2005年7月13日)ライブアルバム
  • CONDOR(2006年10月18日)
  • ROVO with Alejandro Franov + Fernando Kabusacki + Santiago Vazquez LIVE at Tokyo Cinema Club 7/7 2006(2007年5月24日)ライブアルバム
  • NUOU(2008年6月4日)

今回の世界金融危機の変動は、こうした多産であったROVOの
時代基盤を終わらせたと言える。

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1995年結成というと、
美術家で分かりやすく言えば、奈良美智である。

ROVOの音楽。
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》の音楽
気体音楽(情報化社会の音楽)

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィエ(記号内容)の音楽(情報化社会の音楽)
《透視音楽》『オプティカル・イリュージョンの音楽』【A級音楽】

とは言っても、奈良美智が《第6次元》であるのに対して、
《超次元》で、格はROVOが圧倒的に高い。
つまり1995年以降の表現が、決して《第6次元》だけにあったのでは
無い事を示している。

奈良との共通性は、《想像界》の表現で、
シニフィエの表現である事である。

《想像界》の音楽は、基本的には万華鏡の様なものであって、
どれほど、きらびやかで面白くても飽きられるのです。
《想像界》の音楽は、ロックでは商業的に成功して、
ビックバンドになるので、
そうすると、客の飽きを超えるために、音楽を変えて行くのです。
しかしその変化にも限界は来ます。

ROVOが飽きられているように、奈良美智も飽きたと言える。
そろそろ新《想像界》の表現に飽きてきたのではないだろうか?

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《想像界》というのは、
基本的には多数派の領域なので、
なにがあっても、多数者の共感を受けるものだ。

だから無くならないし、売り上げ的には、大きなものがある。

そしてROVOの様な《超次元》の水準に達していると、
それを評価する事は、当然であると言える。

しかし、この高度消費社会的な豊かさの音楽が、
終わったのではないのか?
という気持ちは、
現在の世界金融危機の深まりの中で、
感じざるを得ない。


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コメント 1

kk

2ヶ月ほど前よりとても興味深くblogを拝見させていただいています。
連日の充実したテクストをありがとうございます。
自分の話になってしまいますが、丁度世代的に20代すぐに夢中になっていた(今も聴いてます)バンドが取り上げられていて、氏の視野の広さに感服せざる負えません。

バンドのリアルタイム世代であるがゆえ、おこがましいかと思いますが、
お伝えしたく、コメントしています。

「宇宙っぽいことをやろう」というコンセプトからも察するに、
ROVOは、ライヴバンドです。2000年頃初めて彼らのライブを見たとき
自分の音楽、音楽を聴いて踊るという事、の概念が変えられました。
拍でなく、リズムでなく、綿密な音自体と響き、それらによる全体性に体が動かされました。

それまでスクエアプッシャーなどのハードコアテクノと呼ばれた部類の
テクノミュージックに似た感触を得ていましたが、
2つのドラムからなるグルーヴは、人力であるがゆえのモアレが、
とても有機的にうごめき、正体不明の人体のメカニズムが、筋肉を扇動させる事に驚嘆さえしました。

生演奏を用いて作られている音楽には、どうしても音源と実演奏とのズレがでるものだと思います。(良い意味でズレる場合もあるかもしれませんが、、絵の場合は、画集、またはネット上と実物の関係にあたるのでしょうか。)

リボルバー以降のビートルズはレコードを中心に音楽を作っていたけれど、テクノミュージックはスピーカーの振動が生演奏である、という点において更にその極北へ向かったものだと認識しています。

ロボの音楽は更にその延長線にある、それを逆さまにした、
人の手わざによるメタテクノ、という感想をライブを見た際、感じました。

これは私の実体験に基づいた所感であって、彦坂さまの文脈構築のされかたとは違ったフィールドの言葉かとおもいますし、
それこそおこがましい話ですが、機会があれば、ロボのライブを観ていただきたいなあと、そしてそれに対する氏の分析を、読む事ができたら、、、
と文章を読ませていただいて感じました。

長文を失礼いたしました。今後も楽しみに読ませていただきます。

by kk (2009-03-23 00:38) 

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