新宿アルテ前フラッシュモブ報告 [アート論]
新宿アルテ前フラッシュモブに参加して来ました。
参加者数約100名でした。
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【集合場所】新宿アルタ前広場
【時間】2009年3月22日(日) 午前11:00〜12:00
参加者数約100名でした。
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【集合場所】新宿アルタ前広場
【時間】2009年3月22日(日) 午前11:00〜12:00
【ルール】自分の好きな本(小説、詩集・歌詞カード、思想書、マンガ、雑誌・機関誌など)を1冊、小さな声、大きな声、自分に合った方法で11時から読み始め12時に解散。
私の持って行った本は、中村元の『ブッダの言葉』でした。
私の持って行った本は、中村元の『ブッダの言葉』でした。
なかなか、楽しい、そして開放感のある、気持ちの良い体験でした。
音読も良かったです。
自分が音読する事も、そして、他の人が違う本を音読しているのも
すばらしいものです。
思い出したのは、『華氏451』でした。
フランスのフランソワ・トリュフォーの監督による、
1966年のイギリスの長編SF映画。
原作はレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』。
読書好きのトリュフォーらしく、書物への愛に満ちている映画でした。
あらゆる知識や情報はすべてテレビによって伝達され、
読書は禁止されており、反社会的という理由で、
本はみつけ次第、Firemanたちによって焼きすてられた。
ある日、ひとりのFiremanは、若い女と知り合う。
彼女は本に熱意を持っていて、
そこでFiremanは生まれてはじめて本を読み、
その魅力にとりつかれてしまった。
そのFiremanは逃走し、淋しい空地にたどりついた。
そこは「本の人々」が住む国だった。
そこでは、人々は、すべての本が焼かれても、
それを後世に残せるようにと、本を暗記していた。
最後のシーンが、森の中で、人々が本を読んでいるもので、
大変にきれいな映画で、印象深いものでした。
この映画を、私は今日の本を読むパフォーマンスで思い出していたのです。
2009-03-23 00:59
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コメント(4)
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まさに”華氏451”のシーンそのものですね!
このユニヴァーサル映画は
冷戦の只中,1966年にリリースとか.
あらゆる公認知識・情報はテレビ経由のみ,
つまり自発的思考というのはここには無いということでしょう.
本というのはこうした絶対管理社会への抵抗の象徴であり
かつ思考の実体であるいう主張,それが40年を経て
今再び登場することの意味を考えています.
華氏451というのは紙が燃える温度;摂氏233度を指しているのですが
当時のターゲットは全体主義を念頭に置いていたことは否定できません.
ジョージ・オーウェル原作の”1984”とか,ジョージ・ルーカスの
”THX-1138”も同じような管理社会の恐怖を描いているのですが,
記憶ではメディアの問題をこれほど重要視していなかったと思います.
しかし,ポストモダンの現在では本も入れてメディアの問題は
新しい局面を迎えようとしているのではないでしょうか.
直接の体験をますます片隅に押しのけ,
バーチャルナ世界が僕等の身体のありようにまで深くかかわる時代,
大変な時代に入ったものだと考え込んでしまう時があります.
by symplexus (2009-03-23 23:37)
symplexus様
私は、今の時代は、この不況も含めて好きですね。コンピューターや、情報化社会というのは、私は、相性が良いのです。
by ヒコ (2009-03-24 00:08)
symplexus様
すみません、本の話でした。本も好きです。本当は、何もしないで、本だけを読んでいたいですね。私の先生だった刀根康尚氏は、むずかしい本を、ただひたすら、読んでいる人でした。
by ヒコ (2009-03-24 09:20)
ええ,僕も今の”情報化社会”が好きというのには断然共感しますよ(W)!
むしろ本当に言いたいことはそこに有るのです.
”現実から逃げない”みたいな処世レベルのことではなく,
狭い閉鎖社会の枠が相対化し対立が白日の下にさらされる,
秘密裏ということが有効性を持たない時代がポストモダンだとしたら
この時代を嫌う理由がどこにあるのでしょうか.
たとえ多くの混乱が渦巻いていようと
爽快な風が吹き抜ける環境こそ望むところです.
HPでも触れましたがウェブが存在しなければ
工房を開設しようなどと思うことも無かったでしょう.
孤立を乗り越える道は志さえ持ち続ければ
万人に開かれているはずだと思うのです.
管理社会への警鐘をいち早く指摘したこれらの作品は
いずれも自ら考え,感じ,生きることへの強い希求がこめられていました,
しかし,ウエブの誕生より遥か以前,しかも冷戦時代という限界の中での模索でした.
それゆえ展望も見出せない中でのこうしたパイオニアの深い悩みは
エチカの持つ峻厳な美しさで輝きを失っていないようにも見えます.
今日の,そして明日の論理という角度から観るなら
別の偉大な物語が紡ぎだされてしかるべきでしょう.
本に関して言えば,メディアの王者に止まることが出来るのかどうかは別として,
長文を繰る魅力は消えないのではないでしょうか.
詠むという行為も本との親和性は良いですね.
問題は新しさを売りにするような雑誌で,
彦坂様が以前触れられていましたが廃刊が止まらないとか,
いろいろな試みで独自のスタイルを確立して欲しいものです.
by symplexus (2009-03-24 21:48)