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フラット化しない世界/村上隆の終り(2)[加筆3画像追加] [歴史/状況論]


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「グローバル化で世界は平になったように均質化すると書いた」のは、
アメリカのコラムニストであるトーマス・フリードマンであったのです。

それを書いたのは『フラット化する世界』という本でありました。

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こう書くと、村上隆は、このトーマス・フリードマンをパックって、
「スーパーフラット」を書いたように思えますが、
それが違うのです。


トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』は2005年、
村上隆の『スーパーフラット』は2000年で、
村上隆の方が、この2冊の本だけで言えば、早いのです。

さて、重要なのは、
日本経済新聞が1面のコラムに、
フラット化しない世界という記事を、
昨日に載せたことです。

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ホンダの飛行開発機戦略を中心にした記事ですが、
重要な事は、次の様な内容です。

融危機で、米国一極体制がゆらぎ、新興国の存在感が
増しましたた。そして米欧機軸の「世界標準製品」が市場を席巻するという
見方は、色あせたというのです。

均質から多様へ、グローバルの向う方向が変わったというのであります。

この変化が、日経新聞の言う通りなのか?
という疑いがあるにしても、村上隆のスーパーフラットの登場以降の、
アメリカのサブムラムローンによる借金漬けの過剰消費と、
日本の円安の時代が、遂に破綻した事は確かです。

村上隆が予言して実現し、
ニューヨークタイムスを代表するコラムニストが追随した
『フラット化する世界』は、終わったのです。

もともとが、一億総中流化の時代が終わって、
上流と下流に分化され、格差社会に成って行く時に、
《スパーフラット》は語られて来ていたのです。
つまり言っている事と、進行する事態は、乖離していたのです。

芸術論としても、《スパーフラット》は、
グリンバーグの平面理論の通俗化を延長したものでしか
ありませんでした。

グリンバーグの絵画論は、単純な平面への還元ではなくて、
4種類に絵画を分類していたのです。
さらには《原始平面》と《透視画面》の区分が重要で、
こうした緻密で厳密な分析性を持たない絵画論が、
《スパーフラット》理論でありました。

今日の状況は、
村上隆の「スーパーフラット」理論の終焉を指し示しています。

時代は、多様性と、非均質性に向うのです。
こういう転換は、大歓迎です。
私の《超次元》から《第41次元》という42段階の分析は、
世界が、非均質である事を、分析しているからです。

世界は非均質に、多層化し、それはまるで古いインドのカースト制度の
再現であるかのように多重化しているのです。

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この昨日の日本経済新聞は、独自のアンケート調査の結果として、
景気が悪化し、回復は来年の10月以降という見方を書いています。

これは、大変な事です。

昨年暮れの私の予想は、オバマ就任から5月までの間に、
景気は底入れをするだろうというものでありました。

あらゆる予想は、外れるものですが、
この6月を超えてもなお、景気が底入れをしなければ、
世界秩序は、根本的な変化の中に、入ります。

かなり大きな変動になるということになります。

美術状況もまた、経済変動の上に乗っているのですから、
美術作品の制作の価値そのものの変化を受けることになります。

今までの様な、美術大学の卒業生を青田刈りして、
高値に、つり上げると言った魔法は、もはや出来なくなります。
ハイリスク/ハイリターンの時代は、終わったのです。

反転して、キャリアのある、実力アーティストの時代になります。
彦坂尚嘉の時代が来ます(笑)。

我田引水でしかないので、信じる必要はありませんが、
しかし、「スーパーフラット理論」が終わった後の芸術理論を
準備して来ているのは彦坂尚嘉なのです。
まあ、これも我田引水ですが、
客観的にも、そうであると自負します。

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ハイリスク/ハイリターンの時代は終わり、
ロー価格、ハイクオリティの時代になります。

実力の有る《真性の芸術》家が、
細々とですが、少数者に理解され、評価されて、
そこそこの値段で、売られ買われる時代になるのです。
少ないお金で、本当の意味の芸術コレクションが出来る時代に
なります。

転売目的ではなくて、自分で長期に持って鑑賞する作品を、
買う時代になるのです。

重要なのは、変動相場制における適正価格の追求です。

再び、《真性の芸術》の蘇る時代になります。

美術作品の価格は、芸術的価値によって付けられるべきなのです。

村上隆の作品に、芸術性が消えている事は、
すでに別の日に指摘しました。
村上隆の作品は、もはや現代工芸にすぎません。

村上隆のスーパーフラット理論の効力の時代も終わったのです。

いよいよ退場なのか?(笑)。

芸術新潮で、村上隆のインタビューが載っているそうです。

【特別記事】1
「世界のムラカミ、骨董を語る」

という記事です。
村上隆は、骨董を集めているようです。

私はまだこの記事を読んでいません。
友人2人から、電話をもらい教えられました。

現代アーティストが骨董趣味になるというのは、
創造性を失った時に現れる症状なのです。
骨董趣味に沈没した村上隆は、老人化し、
隠居するのです。






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コメント 4

じゃむ

彦坂さま
村上隆の『スーパーフラット』は有名な表現ですね。
私はこの本を読んではいないですが、『スーパーフラット』と耳にしてからずっとフラットという言葉が気になっていました。
英語で平らとか平坦なという意味なんですね。
本を読んでいないのに言って良いものかは分かりませんが、確かに村上隆作品からは、平らなものを感じるかなとか。(^^;
平らといっても、単調的な平らさ。
私自身は村上氏の作品を好きでも嫌いでもなく、あまり感情が出てこないぐらいです。そんなことも含めて平らな感じであります。

どのインタビューだったでしょうか、英語でのインタビューで「あなたにとってアーティフィシャルとはなんですか。」と聞かれていた村上氏の答えが「え?アーティフィシャル?分かりません。」。
アーティフィシャルの意味を知らないのか?
アーティフィシャルという言葉自体を初めて聞いたのか?
ここで、このインタビューめんどくせぇなぁみたいな感じで「え?アーティフィシャル?分かりません。」と答えた感じは全く無く、完全に村上さんの目がキョトン状態で、完全にアーティフィシャルという言葉(英語)を分かってないという感じで見ていて非常に驚きました。
世界で活躍する美術家が、「あなたにとってアーティフィシャルとはなんですか。」と聞かれて・・・この反応。
見ているこちらの方が恥ずかしく思えました。(>_<)
そこまでのインタビューを撮って見せた方も、かなりの確信犯だと思います。
私がもし取材のディレクターだとしたら、世界中で有名とされる美術家が「アーティフィシャル」を知らない(理解していない)としての大スクープです。
by じゃむ (2009-03-30 02:21) 

ヒコ

じゃむ様
コメントありがとうございます。
アーティストは、あまりartificialという言葉をつまいません。
つまり「1, 人工の, 人造の;模造の」「2,不自然な, わざとらしい
」「3,人為の」という意味は、もともとnaturalという言葉の反対語として意味をもっているのですが、こういう2元論の枠組みの中で、
ARTという言葉を、芸術家は使用しないのです。

artificial flowers/造花、
artificial organs/人工臓器、
an artificial earthquake/人工地震
artificial rain/人工降雨
an artificial satellite/人工衛星
an artificial island/人工島
artificial turf/人工芝
an artificial tooth/義歯
artificial gems /模造宝石

こういう意味としてのartという言葉が嫌いなので、
アーティストは見ないようにしているのです(笑)。


by ヒコ (2009-03-30 09:17) 

シャムネコ37

 シャムネコ37と言います。勝手に御著書にレビューをつけてごめんなさい。(生半可な理解でレビューしていますから。)
 しかし、この毎日更新されるこのブログは、私の日々の楽しみの一つです。ありがとうございます。
 経済や人類史との関連で哲学的に芸術を語るのはこのブログぐらいでしょうか。他には、こうしたブログはないようで残念です。
 毎日読んでいて、私の知識も広がりました。
 さて、今回の「均質から多様へ」の変化の視点は、均質をめざしたフリードマンの新自由主義から、米国の伝統的な思想であるプラグマティズムへの回帰ということで、巷ではアメリカも、そして世界も元に戻るということが言われます。
 でもブログを読んだあと、実はそうではないということが、なんとなくはっきりしてきたように思えました。
 「均一の価値観(つまり、お金の価値)」には収まらない「文化の多様性」「独自性」が価値あるものとして認められ、多文化や個性がそのまま価値あるものと認められる日が来るというより、むしろというか、やはりおっしゃるように、今後は非均質に、多層化するのだと思います。
 そして、文化の多様性の中で、その多様を統一するような格付けが生まれる世界がやって来るのかもしれません。 
 売買の場合は特殊な投機の状況も加わりますが、価値付けのあり方としては、今までは、まず第一に互いの文化の異質性や個人の差異性に惹かれて(買いたくなったり)、異質ゆえにその品格に関係なく魅力的に見え(買いたくなる)、そうした(日本人が異文化のものなら買いたがるような)価値付けや値段づけがされていたものだったものが、42段階の普遍的に適応可能な分析を通さないと、今後は値段もつけられない世界が来るのかもしれませんね。

by シャムネコ37 (2009-03-30 15:14) 

じゃむ

彦坂さま
ありがとうございます。

> アーティストは、あまりartificialという言葉をつまいません。
> ARTという言葉を、芸術家は使用しないのです。

使わないにしても、言葉自身は知っていても良いのではないかなと思ったのでした。あれだけ世界で展示をして作品を売っている作家さんです。そして、それまでの英語の質問に割りと問題なく答えていたからなお。(-_-;
しかし、アート作品も人の手によって作られるもの、手ではなくて時にはハイテクの助けが必要になることもあるでしょう、それでも発想は作家から出ているので、そのような意味でも人工と言えるのではないでしょうか。
作品そのものは「模造の,不自然な, わざとらしい」というものになるのかは分かりません。
どんな作品であれ、作られて作品となりアートとして見せられることは natural の反対じゃないの? それも人工ではない? と疑問。

私はこれまでに artificial という言葉をつかう作家さんに多くあったわけではないですが、ART という言葉は嫌というほど耳にしています。
芸術家さんの口からです。
by じゃむ (2009-03-30 20:17) 

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