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気体分子ギャラリーとは [アート論]

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私自身は、「作品を買ってくれ」となかなか言えないのです。
言えないというよりも、言うのを忘れるのが多いのです。

昨日も、友人からそのことを指摘されて、
言葉を少し荒立てたのですが、
美術家が自分で直接に、素人のお客さんに売る事は、
近代の美術システムの中では、禁止されて来たのです。
つまり作品を売るのは画商であって、美術家のお客さんへの直売りは、
近代社会の芸術システムでは禁止されて来たことなのです。

とは言っても、草間弥生は売る事に熱心であったのです。
私自身は直接には見てはいませんが、「買って、買って」と
お客さんに言っている所を見たといった伝聞は多いのです。
さらにはフジテレビギャラリーで個展を開いた後に、
売れなかった作品を、別のギャラリーに持ち込んで、
値段を下げて、密かに売ってしまうというルール違反も、
繰り返しやっていたようです。このことは、その作品を
売っていた陰のギャラリーのオーナーから直に聞いた話です。
作品の裏にはフジテレビギャラリーのシールが貼ってある作品
ですから、後年、この売られた作品を、フジテレビギャラリーが
見つけて、怒ったと聞いています。

ナムジュンパイクのやり口も、いくつか聞いていますが、
お金の取り方は、半端ではないものでした。
某版画工房のオナーの書いたものを読みましたが、
高額の版画の出版権料を集金している話で、
そうした出版権料など取ったことの無い私などは、
話にならない素人であって、プロの芸術家の立ち位置の
違いを思い知らされる例です。

お金をかすめ取るのが巧かったアーティストに、
Aがいましたが、死んでしまいました。
某企業の社長にギャラリーを開かせ、
自分の作品を数千万円買わせ、立派な作品集を出させたのです。
詳しい話を書くと、ご遺族に差し障りがあるし、
因果応報で若死にしたのだから、それ以上責めてもしかたがないのです。
死の原因は、その社長が、経営悪化の中で死亡し、
残された娘さんが、その作品の買い取りをAに要求して、その圧力で、
死んでしまったのです。もともと鬱病の強い人でしたが、
その晩年は鬱の中に沈み込んで死に至ったのです。
お金に反応する能力の高い人は、
それはそれで、お金が原因で死に至る例でした。

先日、2日係で、深川の中華料理屋の八仙苑の天井に、茄子とトマトをつける
作品を展示して来た時に、車の中で聞いていたラジオで、
芝居の話をしていた。
劇団が赤字で、金にならないと役者が言っていて、
金になるのは劇団四季と、もう一つだと話していた。
もう一つは聞き損ないました。
劇団四季は、子供に『赤毛のアン』を見せるので、一度だけ見ましたが、
ひどかった。
《第6次元》で、あまりにも自明性の高い芝居で、
何とも面白く無かったのです。
しかし、こういうものが売れて、お金になるのです。

人間が生きて行く時に、人生の目的や行動の基準はいろいろがあるにしても、
一つはお金なのだろうと思う。
お金にならないからと、アーティストを止めた友人がいるが、
確かに、芝居と同様に美術のアーティストは、お金にならない。
天井に茄子やトマトをくっつけても、お金にはならない。
しかし出費の方は、馬鹿にならないお金が消えて行く。

村上隆の芸術起業論は、書評をするはめになったので全部読んだが、
全半の1/3はそれなりに面白いし、主張に正当性はあると思うが、
村上さんを見ていて思う事は、お金を基準に追求すると、
どうしても芸術そのものの追求は出来ないという事です。

芸術の追求とお金の追求は、どうも相反するものであるらしい。
それは芸術に限らずに、学問の追求でも同様であって、
こうした事は、お金を稼ぐ事とは反対の事なのです。

本当に正反対の事なのか、厳密に確定する方法が分からないので、
仮に、正反対だと仮定しておくと、
お金を稼ぐ事と、芸術を追求する事は、自動車のアクセルとブレーキの
関係ということになる。
自動車を走らせるのに、アクセルだけでも困るし、ブレーキだけでも
困るのだ。両方が無いと、コントロールが出来ない。

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