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贋作と駄作/ゴッホ作品をめぐって [アート論]

ゴッホのひまわりには、花瓶に生けていない、
切り花の絵が2枚あります。

vincent-van-gogh-paintings-from-paris-1.jpg
gogh.4-sunflowers.jpg
《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超 次 元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

◆◆1◆◆切り花◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ゴッホのアイリスの花の絵と、ひまわりの切り花を比較すると、
その違いに驚かされます。

gogh.4-sunflowersのコピー.jpg

アイリスは《第1次元》の絵画で、普通の意味で花のように美しい
絵画でありますが、
ひまわりは、《第41次元》の死と闇を含んだ、
より高次の絵画であるからです。

そのことを明確に示しているのは、ひまわりの絵画が、切り花である
事です。

gogh.4-sunflowers.jpg
2点は、花瓶にも生けてなくて、ただ転がっている、
切り花です。

切り花であることは、画面下の部分に切られた切り口が明確に2つ
描かれている事から分かります。

この上に掲載した2番目の作品は、確か日本に来ていて、
私は見て感動しています。

つまりきれいに咲いている花ではありますが、
切られて死を逃げようも無く約束されている花なのです。

ひまわりではない、別の切り花の絵画も、この切り花の性格を
良く描いています。

g014c_vangogh_flower.jpg

それに対してアイリスは、
花瓶の花の絵もありますが、
野に咲いている根付きの花を描いています。

Irises,_1889,_Vincent_Van_Gogh.jpg
ゴッホのアイリス
《想像界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》だけの表現
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

この作品はメトロポリタン美術館にありますが、
ゴッホのこのアイリスの絵は、《第1次元》の絵画ではありますが、
デザイン的エンターテイメントであって、《真性の芸術》ではないのです。

ゴッホの作品には、実はデザイン的エンターテイメントの駄作が
何枚もあって、
《真性の芸術》では無いものが、たくさんあるのです。
例えば、ネット上で拾ったものだけですが、次の様な作品が駄作です。

Vincent Van Gogh-Water Mill at Kollen Near Nuenen.jpg
750-http___duckhenge.uoregon.edu_io_images_story_VanGogh.jpg-orig.jpg

この様な初期にも、デザインでしかない絵画が、
ゴッホの場合には、あります。

Orchard in Blossom Vincent van Gogh.jpg
vincent_van_gogh.jpg
Fishing in the Spring Pont de Clichy Vincent van Gogh.jpg
vangogh26.jpg
Vincent Van Gogh-427429.jpg


パリに出て、印象派を模倣した作品も、
真面目に描かれているので、駄作とは言うべきではありませんが、
デザイン的エンターテイメントになっているものがあります。

van gogh_flowering plum tree (after hiroshige) (1887).jpeg
van gogh_Bridge in the Rain (after Hiroshige).jpg
広重を模写した作品も、芸術的にはデザインになっています。


Vincent Van Gogh-Wild Roses-1.jpg
こういう、お花の絵にもデザイン的エンターテイメントでしかない
凡作があります。

van gogh.jpg
《想像界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】


この花の絵は、日本画を思わせる美しさがありますが、
これも《1流》のデザイン的エンターテイメントの美しさです。
しかも《想像界》の美術ですから、多くの人が愛するものです。
しかし装飾画であって、人々が愛するものではありますが、
芸術的には駄作です。


芸術というのは、花の様な美しさではないのです。
花のように美しい作品は、デザインであって、《真性の芸術》では
ないのです。

現代美術の問題で言うと、たとえば中村政人の作品や、
トニー・クラッグの作品は、花のように美しくて、
これらはデザインの美しさなのです。
fa017.jpg
中村政人の作品
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品気体美術

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》 人形/模型的立体 【B級美術】


cragg_1.jpg
トニー・クラッグの作品
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の作品.
気体美術。

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面立体》【A級美術】

中村政人やトニー・クラッグの、花の様な美しさの作品を、
ゴッホも作っていたのですが、
ゴッホは、これを克服して、より高次の《真性の芸術》で、
しかも《第41次元》や《超次元》の作品の高みまでに、
至るのです。
この上昇の過程は、たいへんに感動的なものであります。
そしてこの精神的上昇の故に、精神破綻をしたとも、
考えられます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次にあげるような作品になると、
私がデザイン的エンターテイメントでしかないという、
言い方に、異議を感じる方々が、増えると思います。

vincent-van-gogh-noon-rest-from-work-1890.jpg
《想像界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元》ザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】

VincentVanGoghTheZouave.jpg
《想像界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第1次元》デザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元》ザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】

Vincent Van Gogh-Night Cafe in Arles, The watercolour.jpg
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】

lg8554+le-pont-de-langlois-arles-1888-vincent-van-gogh-poster.jpgvangogh36.jpg
vg_bedroom_l.jpg
Vincent Van Gogh16.jpg
《想像界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元》ザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】


ゴッホの場合、代表作として評価の高い、人気のある作品でも、
《第1次元》の《1流》作品ではありますが、
デザイン的エンターテイメントであるものが、
かなりの数あるのです。

これはゴッホを追いかけて見ていると、
だんだん感じるようになるものです。

【続きは下記をクリックして下さい】
◆◆3◆ひまわりの芸術分析◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ですから、実は、「ひまわり」の中にも、贋作を含めて、いろいろな作品があるのです。以下、「花瓶に生けられたひまわり」の全7点の芸術分析です。
12本ノイエピナコテーク1.jpg
12本の向日葵  ノイエ・ピナコテーク所蔵
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術ではない。【A級美術】

これは名品です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

15本ナショナルギャラリー2.jpg
15本の向日葵 ナショナル・ギャラリー
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術ではない。【A級美術】

これも名品です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3本個人蔵3.jpg
3本の向日葵 個人蔵
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』
装飾美術 【B級美術】

これは、まったくの贋作と、彦坂尚嘉は判断します。

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5本19455年焼失.jpg
5本の向日葵  1945年焼失
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
液体美術

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』
装飾美術 【B級美術】

これも贋作です。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

15本ゴッホ美術館6.jpg
15本の向日葵 ゴッホ美術館

《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術ではない。【A級美術】

これは超・名品です。
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15本東郷青児美術館7.jpg
15本の向日葵 損保ジャパン東郷青児美術館
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
固体美術

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』
装飾美術 【B級美術】

これはプロのつくた贋作です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12本フィラデルフィア美術館8.jpg
12本の向日葵 フィラデルフィア美術館
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン的エンターテイメント

《想像界》の絵画
絶対零度の美術

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』
装飾美術 【B級美術】

これは素人の作った贋作です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
損保ジャパン東郷青児美術館の作品だけでなくて、フィラデルフィア美術館所蔵の作品も、ひどい贋作なのには、あきれますが、しかし、有名美術館所蔵の作品の中にも、贋作は、けっこうあります。贋作としては、東郷青児美術館のものが、プロの制作で、興味深いものです。これを並べて見ます。
ゴッホ美術館と東郷青児の.jpg
どちらが良く見えますか?左が東郷青児美術館所蔵で、右が、ゴッホ美術館所蔵です。贋作の方が良く見えませんでしたか? たまたま作家のAさんがアトリエに来たので、上の図版を見せて、「どちらが良い?」と聞くと、こともなげに左が良いと答えました。左は、東郷青児美術館所蔵の作品で、贋作です。つづいて下記画像を見せました。
ゴッホ美術館と東郷青児の2.jpg
上の画像は、Photoshopをつかって、コントラストを両方とも41上げて、明度も31上げたものです。みなさんも、Photoshopを持っている方は、このブログから画像をとって、同じようにやってみて下さい。しっかり描けているように見えた東郷青児美術館所蔵のゴッホが、見てくれだけで、骨格の無い贋作であることが、明らかになります。
モノクロ画像にして、同じ事をやってみます。
ゴッホ美術館と東郷青児の10.jpg
上の画像は、機械的に無彩色にしたものです。これを同時にコントラストを71、明度を41上げてみます。

ゴッホ美術館と東郷青児の13.jpg

モノクロで見ても、いかに東郷青児美術館のゴッホ絵が、見てくれだけで、底の浅いものであるかが、ご理解いただけましたでしょうか。
もう一度、同じカラー画像と、《言語判定法》による芸術分析を見て下さい。
ゴッホ美術館と東郷青児の.jpg
15本の向日葵 損保ジャパン東郷青児美術館 15本の向日葵 ゴッホ美術館
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン        《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン        《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第8次元》のザイン        《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》の絵画                   《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
固体美術                        気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《気晴らしアート》《ローアート》           《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術             シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』               《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
装飾美術 【B級美術】                 装飾美術ではない。【A級美術】

東郷青児美術館所蔵の作品は、ひまわりの相互の空間の位置関係も描けていないのです。だいたい、芸術的に低い方が、良く見えるのです。そういうものなのです。なぜかと言えば、人間は低くて、下品だからです。自分に似た作品を良しとするのです。ですから、自分に良く見える作品は、疑わなければ駄目なのです。自分の眼を疑えなければ、眼は良くなりません。懐疑こそが、芸術を理解する上での重要な方法です。8割りの人々がほめるものは、駄作か贋作なのです。

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縷衣香

 ゴッホの贋作はエネルギーが感じないですね。贋作は随分沢山あり、美術館の収納のものにも多いようですが、今更認めると美術館がやっていけなくなるかもしれませんね。

 私の先生が綺麗に絵を描くと「ディズニーみたいだ。」という形容詞で否を指摘したものです。

 彦坂さんの指摘はわかりやすいです。
どの作家も凡作はありますね。やはり本人が破くべきかもしれません。

 私達の仮に傑作がごく一部の見る眼を持った人だけの理解で生き繋ぐには過酷な世界です。今日ロシアの国立トレチェコフ美術館蔵を観てきましたが、ディズニーランドが多かったです。特に風景画。どの綺麗な風景もやはりゴッホには叶わないと思って帰ってきたものです。

 ゴッホ・スタディは楽しかったです。


by 縷衣香 (2009-05-03 01:31) 

ヒコ

縷衣香様
ゴッホは、オランダにいる時は、《第8次元》の絵ですが、パリに出て来て、印象派を学んで吸収すると、作品は良くなって行きます。浮世絵や、ゴーギャンを吸収すると、《第1次元》になって、しっかりとした絵を描きますが、デザインでしかない作品も、多いのです。しかしそれを乗り越えて、《超次元》、さらには《第41次元》の絵画へと上昇する、その凄さは、極めて例外的な作家であると言えます。
比較しうるのはポロックぐらいではないでしょうか。ポロックもまた多様な次元の作品を作り出した、極めてまれな作家でした。人間の精神の運動のダイナミズムを見せてくれるのが、ゴッホとポロックなのです。
by ヒコ (2009-05-03 07:02) 

丈

凄い、すばらしいゴッホ論に興奮しました。
タッシェンから安価な(1900円)全油彩画作品集が出ていますが、
476ページに東京とフィラデルフィアのひまわりが載っています。
なんとなくこんなものかと思っていましたが、
ご指摘を受けてみると確かに納得します。
by (2009-05-04 10:52) 

猪俣

先日は、コメントして下さり、ありがとうございました。
僕は、ミュージアムグッズの中にも「真性の芸術」があったら面白いと考えていたのですが、先生のコメントと加筆されたゴッホ論を読んで、普通の人が生活の中で使う日用品としてのグッズの役割を考えるならば、「真性の芸術」であることは適さないのかもしれないと思いました。
「グッズの中に『真性の芸術』はあるか」という問いを立てると、グッズ全般に対して批判的な態度をとらざるを得ませんが、「芸術と生活を結びつける橋渡しとしてのグッズの役割」を考えるならば、「真性の芸術」でないからといって無意味ではないのですね。
by 猪俣 (2009-05-04 15:15) 

三田村龍伸

贋作と本物または、芸術性が高い、低いという話、とても分かりやすい書き方で私の理解が進みました。

フォトショップで加工することによって見抜くというのは
現代の技術があって、一般的に可能になった手段だと思い、
自分もなにか他の人の作品について知りたくなった時にやってみようと思います。

また、「8割りの人々がほめるものは、駄作か贋作なのです。」という言葉も響きました。本当にそうだな、と思いました。



by 三田村龍伸 (2009-05-17 17:40) 

ヒコ

三田村龍伸様
コメントありがとうございます。
「フォトショップで加工することによって見抜く」というのは、誤解であります。
《言語判定法》で芸術分析をして、答えを出してから、ホトショップを使って、証明的に見せているのであって、技術的にはフェアにやっていますが、「フォトショップで加工することによって見抜く」という事ではないのです。順番が逆です。

 根本にあるのは、《想像界》の眼で判断する事の否定です。否定の作業が言語を使用することによってされています。
 難しい話ですが、《想像界》の否定として、言語という《象徴界》が出現するのです。
 この人類の精神史上の機能を使って、言語で、芸術分析をしているのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 以下は、波及する付随の事柄です。言語を否定するために、数式や、コンピューターに使われる様なメタ言語を使用すると言うのが、科学であります。
 科学と言うのは、言語の否定の上に成立しています。彦坂尚嘉の私見ではありますが、つまりラカンそのものの意見ではありませんが、科学は《現実界》であります。

この《現実界》を否定するのが、《想像界》のイメージなのです。つまり科学を否定する《想像界》という形で、人間の精神は循環するのです。
 それ故に、科学の《現実界》と、《想像界》を融合させると言うのは、理論構造的に出来ない事なのです。
 バシュラールの問題は、この不可能な場所を成立させている事にあります。
by ヒコ (2009-05-18 00:06) 

龍伸

彦坂様

1.言語測定法
2.科学的測定法

の順番で考えているのですね?

それと、現実界、想像界、象徴界の意味がいまいち掴めないのですが、
もし、過去に解説している箇所がありましたら、お教えいただけますでしょうか?
私の理解力不足で、意味が伝わらない箇所が多くあります。



想像の否定→言語の肯定
科学の否定→精神の肯定

という事でしょうか?



by 龍伸 (2009-05-18 01:55) 

ヒコ

龍伸様
物事を判断するのには、3つの方法があります。

《イメージ判定法》《言語判定法》《現実判定法》です。

多くの人は、イメージで、判断しています。
もちろん、科学的な《現実判定法》があることは、多くの人は知っています。
《言語判定法》というのは、言語がコミュニケーションの道具であるだけではなくて、認識の道具であるという面をつかったものです。
エスキモーの語彙には、雪の言葉が多くあるのは、雪の状態を認識する事が重要だからです。
言語で、わたしたちは、自分たちの環境を認識しているのです。
この認識の道具としての面をつかって、判断するのが、《言語判定法》です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつものとして、ラカンは人間の精神を考えました。このおのおのは、ラカンの理論では複雑でむずかしい面があります。特に現実界については、常識的にかんがえることとは、かなり違うものです。

彦坂尚嘉が《言語判定法》でつかっているのは、こうしたラカンの用法はそれなりに理解した上でですが、あくまでも《言語判定法》での測定技術から判断されたものを出しているので、ラカンの言う意味とはずれてしまっています。ですので、同じ語彙を使いながら、別のものになっていますので、それは注意して下さい。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界が、相互に否定関係になっていると言う指摘は、これは彦坂尚嘉の理論であって、ラカンには無い事です。

さらに人類の歴史を、この3界でとらえるのは、彦坂尚嘉理論です。

無文字社会の自然採取時代を、呪術の《想像界》の主導の時代。

次に呪術の《想像界》=偶像崇拝を否定して、言語としての神を確立した世界宗教の時代として、農業革命以後の時代。

世界宗教の神学=《象徴界》を否定して、科学を確立し、主導的な精神としたのが、産業革命を引き起こす近代の時代。

さらに物理学を中心とする近代科学を否定して、情報科学を主導的な精神として情報革命以後の、バーチャルリアリズムの世界というのが、再度《想像界》主導へと循環した時代かもしれない?
と考えています。

こういう考えは、前にも書いていますが、整理が悪くて、見つけにくいかもしれません。
by ヒコ (2009-05-18 06:33) 

龍伸

彦坂様

何度もお答えいただき、ありがとうございます。
『《6流》と言語の間接性について(改題加筆1) [アートの鑑定士]』
の項目を読み、言語における判断についての理解が進みました。
言語はコミュニケーションの道具であり、認識の道具であるとおっしゃっていましたね。
これは非常に大事な問題だと思いました。例えば、絵画はイメージの物だから、イメージで見てしまいやすい。そこから言語として起こすのは美術家が通常嫌がる行為です。でも、批評家は言語に起こすプロでありますし、日常的にやっているわけですから、こういった測定法は妥当なのだと、思いました。


《イメージ判定法》《言語判定法》《現実判定法》によって、〈超次元〉〜〈第41次元〉の細かいレベルで位置づけをしていると考えて宜しいのでしょうか。
これは「人の顔」や「文学」、「音楽」にも応用できるのですか?

当初、私の理解力の問題で占いの類で判断しているのだと思っていました。でもどうやら違うように思えてきました。



by 龍伸 (2009-05-18 10:24) 

ヒコ

龍伸様
人間が、外部を判断する時に、3つの方法で判断していると、考えます。その中の一つが《言語判定法》であって、それ故に、文学、それは小説や、詩、さらには、論文の類にも、判断可能と、私は考えているのです。音楽には、充分に可能です。そして人の顔も、一つの絵画として見て、芸術分析が可能と考えているのです。
 
そうしたことが、常識に反する事は、確かで、私も分かっているのです。しかし《イメージ判定法》で、物事の判断を決める方が、よほど問題なのです。
by ヒコ (2009-05-19 19:54) 

ゴッホファン

ゴッホが広重を模写して描いた作品2点に書いてある日本文字は、単なるデザインではなくある意図をもって描かれているという説が提唱されています。講演会「ゴッホが書いた日本文字の解読」が7月24日東京にて、また、7月26日には福島県いわき市で開催されます。もし興味がおありなら聴講してみてはいかがでしょうか。詳細はインターネットで「歌川派門人会」のホームページ(http://www.utagawa.or.jp)をご覧下さい。
by ゴッホファン (2009-07-22 10:58) 

ヒコ

ゴッホファン様
ご教示ありがとうございます。
ウエイヴは拝見しました。
by ヒコ (2009-08-01 14:57) 

はじめまして

ゴッホに興味をもったのでおもしろく拝見しました。
「夜のカフェ」の画像はゴッホ本人によるものでしょうか。疑問に思ったのでコメントしました。
by はじめまして (2011-01-24 00:03) 

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