SSブログ

ルドルフ・シュタイナーの《第8次元》性と芸術(訂正写真の差し替え) [アート論]

Rudolf_Steiner_1889a.jpg
Steiner_Berlin_1900_big.jpg
Rudolf-Steiner.jpg
ルドルフ・シュタイナーの顔
《想像界》の眼で《第8次元》《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第8次元》《真性の人格》
《現実界》の眼で《第8次元》《真性の人格》

《想像界》の人格
固体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間
『真実の人』【B級の人物】
 ◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ルドルフ・シュタイナーという人は、
昔のオーストリア帝国出身の神秘思想家で、
人智学の創始者、哲学博士です。

神秘思想というのは、近代以前のものと、
近代になって、ほぼ19世紀から20世紀になって出てくるものは
違います。

シュタイナーは、この近代の神秘思想家です。

近代には、神秘主義が、けっこう沢山出て来ます。
有名なのは、他には、

ヴィヴェーカーナンダ(インドのヨーガとヴェーダーンタ哲学の霊的指導者、1863〜1902) 、
ゲオルギイ・グルジエフ(ロシアの神秘思想家、1866〜1949) 
ピョートル・ウスペンスキー(ロシアの神秘思想家、グルジェフの系譜、1878〜1947)
ナーラーヤン内垣/内垣日親(金光教系の神秘化で、日本ヴェーダンタ・ソサイティの創立者、1924〜) 


現代のもいます。
ケン・ウィルバー(1949〜)

私の《言語判定法》の判断では、
そのシュタイナーは、《想像界》だけの人格の人です。
ですから彼の神秘思想は、《想像界》のファンタジーに過ぎないと、
私は判断します。

しかも固体人間です。
つまり前近代の古い人格を基盤に、ファンタジーを語っている人に、
彦坂尚嘉には見えるのです。

そのくせシニフィエ(記号内容)的人間なので、
その《想像界》だけの人格から出る脳内の妄想を、
そのまま思想として語ったのであろうと、
かなり乱暴ですので、お怒りの方も多いとは思いますが、
大まかに言えば、私はそのように判断するのです。

《第8次元》というのは、信仰領域で、信仰の自由はありますが、
最終的には、認識や思想の領域ではありません。
信仰の自由はあるので、シュタイナーを信じる人は、
それはそれで良い事で、その方々を侮辱するつもりは
私には、無いのです。

シュタイナーの評価の高さは、その人智学という独特の思想と、
そしてそれが教育運動になって、シュタイナー学校というものが、
世界中で、展開されているからです。
シュタイナーは、生前にヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回に
及ぶものですが、それらの多くは、仲間の内側での話と言う事です。

私は、
シュタイナーの影響を受けて、フリースクール等々の活動をなさって
いる方々の足を引っ張るつもりも無いのです。


それで、この文章は、あまり書きたく無かったのです。
あくまでも外側から見たときの、《言語判定法》による判断と
言う事に、過ぎません。

ところが建築系美術ラジオを聞いてくださって、
長いメールをくださった方がいて、
このシュタイナーと、彼の建築について書いていて、
それと私の美術と建築の関係を重視する発言を重ねておられたので、
考えを書く必要に迫られたのです。

私は、シュタイナーの思想や美術建築について、
それほど学んではいないのです。
前にワタリウムで開かれた展覧会は見ていますが、
基本的な水準が低くて、私には、評価できないのです。

後で述べますが、私は、シュタイナーの建築の評価も低いのです。


◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


《想像界》の哲学者で、有名な人はジャン・ボードリヤールがいます。
ボードリヤールは、ポストモダンのフランスの思想家で、
消費社会の神話と構造』(1970年/日本では1979年に出版)は、
美術にも大きな影響を与えた本でありました。
jean_baudrillard_13.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント的人格
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント的人格
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》

《想像界》だけの人格
気体人間

《気晴らし哲学の人格》《ローアート的人格》

シニフィエ(記号内容)的な人格
『平気で嘘をつく人たち』【B級の人物】

ボードリヤールの消費社会論を、
一番、たぶんですが速く取り入れたのが川俣正で、
かれの芸術=消費論は、『工事中』という彼の最初の作品集にも出て来ます。
そしてこの流れが、ついこの間までの過剰バブルアートを
出現させたのです。

それはロバート・J . シラー的に言えば『根拠なき熱狂』であったのです。
こうした熱狂が、実は《想像界》の精神に乗った
ファンタジーであったのです。
川俣正の作品もまたファンタジーであって、夢がさめれば、
芸術的な根拠は、なにも無いように私には見えます。

さて、そこで《想像界》だけの思想家と、彦坂尚嘉が判断するシュタイナーの顔とボードリヤールの顔を並べて見ましょう。

jean_baudrillard_13のコピー.jpg
シュタイナーの顔             ボードリヤールの顔
《想像界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《想像界》の眼で《第6次元》デザイン的人格
《象徴界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《象徴界》の眼で《第6次元》デザイン的人格
《現実界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《現実界》の眼で《第6次元》《真性の人格》

《想像界》の人格              《想像界》だけの人格
固体人間                   気体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》    《気晴らし哲学者の人格》《ローアート的人格》

シニフィエ(記号内容)的人間。        シニフィエ(記号内容)的な人格
『真実の人』【B級の人物】          『平気で嘘をつく人たち』【B級の人物】




ルドルフ・シュタイナーの評価は、
高く評価する人がいるのは知っていますが、
ボードリヤールと比較しても、《第8次元》と《第6次元》で、
ボードリヤールの方が格としては、上の次元なのです。

《第8次元》というのは信仰の領域で、信じれば、良いと思える
領域です。牛丼屋で言うと『すき家』が《第8次元》です。

《第6次元》は、自然領域です。『吉野屋』の牛丼が《第6次元》。
というわけで、吉野屋の方が美味いと多くの人が言うように、
ボードリヤールとシュタイナーという《想像界》の思想では、
ボードリヤールの方が、なんとかかんとか言っても、
美味しいのです。

もっとも吉野屋の牛丼も、不味いと言って食べない友人が2人いま
すが、それももっともな意見であって、
ボードリヤールも哲学者としては低くて、不味いのです。

ですので、私のルドルフ・シュタイナーの評価は低いのです。

◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


さて、シュタイナーの問題で一番大きいのは、
《想像界》の人格だけの哲学者の思想
と言う事です。

哲学には、実は3種類あるのです。
《想像界》だけの人格の思想。これがシュタイナーです。
《象徴界》だけの人格の思想。この代表の独りがニーチェです。

そして《現実界》だけの人格の思想です。カント哲学です。

この3人の顔を並べて見ます。


3人2.jpg
シュタイナー    ニーチェ         カント
すべて《第8次元》 《象徴界》が《超次元》 《現実界》が《超次元》
《想像界》だけの人格  《象徴界》だけの人格      《現実界》だけの人格




【続きは下記をクリックして下さい】

偉大な哲学者というのは、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を
持つ重層的な人格者というのが、どうも、いない様なのです。
一つだけの人格で、ある意味で、人格の欠損者です。

一つだけだからこそ、思考が暴走して、今までに無い地点に到達
するのでしょうか?

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界は、彦坂尚嘉の理論では、
相互に否定し、抑制するという構造をしています。
3界があると、3すくみになるのです。

もっともこういう欠損者の存在を、ラカンは言っていないと思うので、
こうした視点は、あくまでも彦坂尚嘉の《言語判定法》から見て
そのように見えるということです。

しかしこうして見ると、たとえばニーチェの文体と、カントの文体の
隔絶した違いと言うのも、《象徴界》だけの人格者の書いた哲学と、
《現実界》だけの人格者の書いた哲学の差として、解釈できるのです。


美術にも同様の現象はあります。
ジャッドの作品は、《象徴界》だけの人格者の作品であり、
セラの作品は、《現実界》だけの人格者の作品です。
そしてルドンと、村上隆は、《想像界》だけの人格者なのです。
以下、図版を、作りました。
少しは、説得力があると良いのですが。

カントとジャッド2.jpg
カントとセラ/《現実界》の哲学と芸術

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ニーチェとジャッド.jpg
ニーチェとジャッド/《象徴界》の哲学と芸術

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

シュタイナーとルドン.jpg

シュタイナーとルドン/《想像界》の哲学と芸術


◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私の視点から見ると、シュタイナーを乱暴に捉えて、
一つの反動であると、考えているという事です。

つまり産業革命が起きて、人類史が大きく前進する時に、
この前進は、同時に疎外であり、人間の自然性や、共同体や、
文化の基本を解体するという、そういう犠牲を伴うものでした。

私が、勝手にですが感じるのは、シュタイナーの思想は、
こうした人類の歴史の展開に対して、それを認めつつ反動形成して
いるものの様に、感じます。

シュタイナーの建築にもそれは言えて、その建築は、
彦坂尚嘉的に言うと、固体建築です。
近代建築の様相を取りながらも、H2Oという水の比喩で言うと、
固体である氷の状態にもどった建築になっています。

ピクチャ 29.jpg
シュタイナーの建築
ピクチャ-31.jpg
シュタイナーの建築模型

彦坂尚嘉の歴史観で言うと、近代というのは、氷が溶けて、水になって、
流れて行く時代でした。
シュタイナーの建築とその模型を見ると、水ををもう一度凍りつかせて、
氷にして、安定を取り戻そうとした建築に見えるのです。

正直に言うと、こういう氷の固体の表現が、私は嫌いで、馬鹿馬鹿しく
見えるのです。
馬鹿馬鹿しく見えると言うのは、あくまでも私の主観です。
学問として芸術を考えると、このようにもう一度前の状態に、
押し戻して成立させるという、反動形成は、あるのです。
そしてそれは観客に歓迎されるのです。

吉本ばななの小説の固体ですし、
やなぎみわ の作品も固体です。
遠藤利克の作品も、固体です。
李 禹煥の作品も、固体です。
杉本博司の写真も、固体です。
日本画ですが、下村観山も固体です。

固体に戻す表現を、私の経験の中で、一番先に意識させられたのは、
下村観山でした。
日本美術院の日本画の革新運動は、
最初、朦朧体(もうろうたい)と揶揄され、評判の悪いものでした。
菱田春草も横山大観も売れなくて、日本美術院の経営は悪化します。
この中で、下村観山だけが、売れたのです。

cont_760_1.jpg

問題は、この売れた下村観山の絵画が、
固体美術で、つまり前近代美術で、しかも『ペンキ絵』の《第6次元》
作品であったことです。

現在もこの下村観山の絵画は人気がありますし、
現代美術家でも、好きだと表明する人もいます。
しかし、彦坂尚嘉の芸術分析では、低い評価なのです。

つまり近代になって、氷が溶けて水になって流れる時代に、
古い氷河の世界にもどることで、精神の安定や、芸術の吸引力を
作る人々が、人気があるのは理解が出来ますが、
私には、古くて、しかもレベルが低いものに見えるのです。

つまりシュタイナーの思想や建築は、下村観山の絵画と似ていて、
そのような、近代主義への反動のものに、見えるのです。

いつの時代にも、反動の表現はあります。
一見反動に見えても、反動では無いものもあるし、
逆に、革新的に見えても、構造的には反動でしかないものもあります。
その見分けは、むずかしいのです。

ただ、大衆的には、常に反動的な表現が、歓迎されると言う事です。
大衆的な人気を博するものは、疑ってみる必要があるのです。

進歩があれば、反動があるのであって、
それは必然なのです。

それを悪いと言っているのではなくて、
そう言うものだと言っているのです。

nice!(3)  コメント(10)  トラックバック(1) 
共通テーマ:アート

nice! 3

コメント 10

鮎の塩焼き

始めまして。いつもは一方的に読ませていただいているのですが、気になることがあったので書き込みさせていただきます。

この記事で使われているカントの肖像画は、以前の記事で「理想化されていて、嘘に満ちている。猫背の<8流><超一流><8流>がたぶん本当のカントに一番近いのではないか」と言う様な事が書かれていたと思うので使うべき画像は違うものではないのでしょうか。
間違っていたら申し訳ありません。

上記のこととは関係ないのですが、今まで紹介されてきた8流の人は1流や超一流の人と比べて目がくすんでいると言うか、翳っている感じがするのですが、目の色がやはり次元に強く関わっているのでしょうか?
そうなると、眼球を失っている人の顔を見る場合はそうでない人の顔を見るよりむつかしいことなのでしょうか。
関係のない質問かもしれませんがお答えいただけると幸いです。
by 鮎の塩焼き (2009-05-22 14:36) 

白蓮

シュタイナーは僕にとって悩ましい思想家でした。
彼の語っていることは本当なのか?
ファンタジーになのではないか?
しかしシュタイナーは普通の人間がどうすれば超感覚的な世界の叡智を獲得できのるのか、その方法に関する著作も残しています。
その著作において最も重視されているのは人間の道徳性です。
それは非常に厳格なものです。
その道徳性をクリアしなければ超感覚的な世界への参入は不可能であり、また危険であると述べています。
僕はシュタイナーの信奉者ではありません。
ただ一つの情報として読んでいるに過ぎません。
確かにシュタイナーはわけの分からないこともたくさんいっています。
人種差別的なこともいっています。
それでもシュタイナーの思考の中には砂金のように光るものがあります。

私見に過ぎませんがアルフレッド・ノース・ホワイトベッドは3界を有する重層的な人格を持つ哲学者ではなかったかと思っています。
ホワイトヘッドは数学、科学哲学、形而上学、宗教、教育までもカバーした哲学者です。
問題なのは彼の哲学があまりに難解であることです。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:ANWhitehead.jpg

by 白蓮 (2009-05-22 18:51) 

白蓮

ちなみにWEB上のホワイトヘッドの画像はやや暗いです。
フォトショップ等で少し明るくして見ていただけると良いかと思います。
by 白蓮 (2009-05-23 01:55) 

ヒコ

鮎の塩焼き様
ご指摘ありがとうございます。私の方が注意不足でした。差し替えます。
それと、盲目の人に対するご興味、鋭いご指摘だと思います。ヘレンケラーを見てみましたが《第8次元》です。どのように考えたら良いのか、もう一度考えてみます。

白蓮様
コメントありがとうございます。
シュタイナーの思想に砂金のように光るものがあると言うのは、正しいのだと思います。ヘレンケラーの問題もそうなのですが、《第8次元》の信仰領域と言うのは、人間の精神と生活の基本があるのだと思います。しかし、そこでだけ成立するものの狭さもあるのです。
ホワイトヘッドの顔は、すばらしいですね。教えていただいてありがとうございます。ブログで取り上げてみたいと思います。


by ヒコ (2009-05-24 02:53) 

菅野茂

ですから彼の神秘思想は、《想像界》のファンタジーに過ぎないと、私は判断します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからコメントします。実は彼の書物の大半は「《想像界》のファンタジー」ではないとしつこく書いてあるのですがお読みになられましたでしょうか?彼が何でも繰り返す事は彼が最も主張したことだったと思われるわけです。というのは聖書のも実例があるからです。もちろん天地創造から始まって道徳的なことが普通はかかれていますが、福音書になると偽の教祖や司祭、偽善に気をつけるとかが圧倒的な量になります。

その「ファンタジー」ですが、もちろん現実界からは離れていますが、実は我々が毎日使っている5感にはほとんど触れないで、チャクラといわれる死後発達してくる別の7感で感じたことが彼の著書で圧倒的に中心をなしています。したがってこの物質界だけで物事を考えると無限の誤謬に陥る危険性があり何がなんだかわからなくなります。
by 菅野茂 (2009-08-07 05:20) 

ヒコ

菅野茂 様
コメントありがとうございます。考えさせられます。まず、私がシュタイナーのオリジナルを読んでいないので、それは認めます。ご質問のお答えするためにも読む必要があるでしょうね。『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか 』(ちくま学芸文庫) を今、アマゾンで注文しました。
さて、一般論的に言えば、『自分は嘘を言わない』という事を言う人を信じられないように、シュタイナーが、自分の言葉はファンタジーではないと言う主張に満ちていても、それを機械的には信用するのはむずかしいのです。
私の場合には、他人の怒りをかうかもしれませんが、《言語判定法》による顔の分析を優先するように、今はなっています。著書を読んで判断するのには時間がかかって、今の私には時間がないのです。吉本隆明や柄谷行人を長い間読んで来て、偽物と気づくの時間をかけてしまった、後悔から生まれて手法です。
 チャクラは、もともとヨーガの思考です。ヨーロッパにも伝わっているので、シュタイナーが影響を受けていても良いのですが、チャクラの問題をシュタイナーの評価の中で争う気にはなれません。私自身は、学生時代に仏教研究会をやっていて、ヨーガ教典も読んでいます。非常に精緻な思考だと思います。現在のコンピューターに対応する様な思考法であると思っています。
by ヒコ (2009-08-31 14:19) 

kanno

信じられないのは僕も含めてみんなそうだと思います。毎日5感しか機能しませんからね。でも死後の世界も凄く詳しいので単なる幻覚・幻想・夢物語と片付けられないのが彼の著作でしょう。

彼の著作はインド仏教などの要素があるといわれるのですが、彼は仏教やヨガなどの専門家ではないようです。一応チャクラと称したのは彼の著作ではなくて便宜的に普通に流通している言葉を自分が使っただけです。彼はまた別な様に表現しているのですね。でも結局は同じ意味です。彼の言っているとこところはどの宗教にも通用するようなことが多いです。そういう意味では普遍的なのですね。
by kanno (2009-09-06 02:02) 

Thank you

 ほんの通りすがりで、最初はカメラマンの方かと思っておりました。シュタイナー、ニーチェは比較的敬意を払っていた対象でしたので、ご評価についてコメントを申し上げる気はないのですが、こういう風に色々な方々の000を評価する方は御自分のお顔をどのようにご評価なさるのか伺いたくなります。二人で少し内緒の感じで伺いたいのですが・・・。後、そうですね、私の顔の印象も聞いては見たくなります。私は人の笑顔が大好きです。最近特に成田駅のホームで出会いがあり、たまたま電車に乗り遅れたご老婦人と3人で電車を待つ時間30分ほどに、お二人の笑顔が心に残りました。農家の奥様でした。皺で一杯の奥に暖かく光る眼差しが心に残りました。
暫くお話してから、その方がUSAのスタンフォード大学の教授だった方のお母様と分かり驚きました。その教授の論文を私も拝読していたからです。その後、もう随分たちますが、今海外の赴任先までお手紙をくださます。
 どこか空虚な私の在り方を何とか克服しようと前向きに笑顔にしている自分を感じています。ヒコ様は自分の笑顔をどう御評価なさいますか?出来たら写真つきで立ち上げてください(・・)自分であることはさておき、一つの客体として・・・。
 
 
by Thank you (2009-11-09 19:22) 

NO NAME

Wonderful site. Plenty of useful info here. I’m sending it to some buddies ans also sharing in delicious. And naturally, thank you to your effort! <a href="http://simpleandlite.info/guidelines-on-exactly-how-you-will-get-affordable-car-insurance-premiums/">affordable auto insurance</a> <a href="http://justbehindmythoughts.info/the-way-to-get-quality-low-priced-automobile-insurance-policy/">low cost car insurance</a>
by NO NAME (2011-07-07 02:52) 

テラ巨根でガン突き中出し

i!*BW5rf, anime.ex-navi.biz, テラ巨根でガン突き中出し, http://anime.ex-navi.biz/nakadashi/83.html
by テラ巨根でガン突き中出し (2011-10-09 18:58) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。