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第11回アートスタディーズが無事に終わりました。 [アート論]

2007年12月9日(日)

第11回アートスタディーズが、無事終了しました。

先日までリスボン建築トリエンナーレがあったこともあって、
このメーリングリストも、
書き込みがおろそかになり、
準備や、宣伝に力がやや入っていないなどもあって、
観客の数が30を割ってしまいました。

一つには、題名が帝国主義を強調していて、
嫌われたということも、あるかもしれませんが・・・。

こういう、マイナス面がありながらも、
講義と議論の内容的には、充実した会になりました。

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なによりもまず、
最初の村松伸氏のレクチャーが、
重要でした。

「伊東忠太設計のニ楽荘と宗教家大谷光端」

この伊藤忠太の設計の建築もさることながら、
この時期の建築が帝国主義の建築であることを、
明快に解説してくださったのです。

実は本日の案内状を、
日本ラカン協会の学会の時に、
理事長の佐々木孝次氏に渡したところ、
「帝国主義の時代の建築・美術ならわかるが、
『帝国主義の建築や美術』はおかしい」という批判をいただいた。

私が説明しようとしたが、彼は私の意見を聞いてくれないので、
仕方が無く引き下がったが、
まあ、他人の話を聞かない蛸壺タイプの人は、
ほっておくしかない。

佐々木孝次氏の気持ちは分かることは、分かるし、
多くの人にとって、芸術は平和的なものであり、
帝国主義ではないと思われているのである。

しかしながら、松村伸氏は、明快に「帝国主義の建築」と言うものがあって、
この時代、世界の多くの建築様式をパッチワークしたこのニ楽荘は、
帝国主義の建築であり、
そしてまた、そもそも大谷光端そのものが、世界を冒険旅行していて、
まさに帝国主義者であり、
そして伊藤忠太という建築家もまた、
帝国主義者であるという講義してくださった。

このニ楽荘には植物園も作られていたのだが、
こうした世界中の植物を集めるという植物園自体が、
帝国主義の産物であり、

そしてまた世界の美術を集める美術館というものの
18世紀ヨーロッパでの誕生もまた、
帝国主義の発現なのであった。

こうした基礎的な歴史的な事実から眼をそらすと、
日本の美術館行政がうまく行かなくなるように、
まずいことになる。

芸術も同様で、18世紀以来の芸術概念が、
帝国主義の産物であると言うことを直視しないと、
芸術が分からなくなる。

日本人の多くの識者が、
芸術を分からないのは、
こうした芸術概念に潜む帝国主義性を避けているからである。

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さて続けて勝山 滋(平塚市美術館 主任学芸員)氏の、
 「過渡期の日本画 大観・春草の渡米〜日本美術院の再興まで」も
面白かった。

菱田春草の絵画や、今村紫紅の絵画を紹介しながら、
日本美術院の画家達が、海外展開して作品を売っていったこと。
その図柄もまた、インドなどを含み、海外への眼を持つと同時に、
日本の古代の律令時代への強い遡行的あこがれを示し、
光琳や、宗達を発見して参照していること。

こうしたインターナショナリズムと、自国の歴史の発見という2面の指向性は、
前回の藤森氏の講義には、建築家もまた、
海外への視線と、同時に自国の過去の建築の発見を示していて、
この時代の建築と美術の、こうした2面構造の類似性を浮かび上がらせた。

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彦坂尚嘉の意見としては、
このインターナショナリズムへの視線が、
敗戦後の日本画にも受け継がれて、
エジプトや、シルクロードが描かれることへと展開した。

また藤原えりみ氏も、
村上隆の展開が、
この時期のアメリカ進出をしていった
岡倉天心や日本美術院の画家達と同じ構図であることを感じていた
という発言があった。

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最後に坂上しのぶ氏の陶器の歴史と、
前衛陶器の集団、四耕会の話があった。

これをめぐっては、村松伸氏と彦坂尚嘉が、
意見を異にして応酬があった。

ここでの議論は、
芸術の価値を決める個人の感性を強調する村松伸氏の立場と、

芸術の価値を論じる美学・哲学のデーターベースの蓄積の存在との
関係の中で個人の趣味判断が形成されていくと言う間接性を重視する彦坂尚嘉の立場の
食い違いであった。

ともあれ、議論が活発に展開していて、
錯綜しながらも、充実して会となった。



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コメント 3

コア

本日12月9日の毎日新聞で、「2007年この3冊」という企画がありました。その中で藤森照信氏が、(ディヤン・スジック著五十嵐太郎監修・東郷えりか訳)「巨大建築と欲望」を挙げていました。

「20世紀の独裁者は建築に何を求めたか。そして建築家はいかにすり寄り、いかに表現したか。珍しい本である。」との評言でした。

特定の独裁者個人に迎合したと言うよりも時代の空気、そのイデオロギーを形態に表現する事を目指したと考えれば、今回のテーマにあった著述ですね。

今回は引っ越しのために参加できませんでしたが、次回は参加したいと思います。
by コア (2007-12-09 13:47) 

コア

同企画にて次の本も出ていました。

田野大輔著「魅惑する帝国」
評者 日文研教授の井上章一氏
(ナチスの第三帝国を、一種の「芸術作品」としてとらえ、美学が社会化する仕組みを浮き彫りにした…類書の水準を超えており教わる事が多かった)

「国家と資本が作り出すイデオロギーが美学化する仕組み」も解明して行けそうですね。来年は彦坂さんのご本が載る事を期待しています。
by コア (2007-12-09 14:01) 

hiko

書き込み、ありがとうございます。
ナチスは嫌いですが、あの惨劇が芸術作品化しているのは感じていました。まさに現実界のもの派的地獄です。
by hiko (2007-12-10 01:40) 

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