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気体化した私 [アート論]

2007年12月10日(月)

鈴木謙介氏の『ウェブ社会の思想/《偏在化する私》をどう生きるか』を読んでいる。
面白い。
情報化社会の自我論として秀逸である。

私は日本ラカン協会に属しているが、
ラカンの自我論は、フッサール意向の
新しい可能性を切り開いたものであった。

しかしそれも、もはや今日では古くなって、
この鈴木謙介氏の自我論こそが、
今日の様々な《私》の問題を解き明かす、
あたらしい自我論と言える。

バーチャル・リアリティの中で、
人間の本質が、ひどいものだということが、
あからさまになっている時代。

ジジェクは、
人間の本質は、無垢な純粋ではなくて、
自己欺瞞であると指摘していた。

フーコーの言った、
「人間の死」というのは現実であって、
人間の本質が欺瞞であり、
悪であることが赤裸々になっている。

私がおしゃべりで、夢中になってしゃべる時に、
病気であると感じるけれども、
それは古い人間に向かってしゃべっているからではないか?
こういう疑問はある。

つまり理性があって、
ものを深く考える人間、
こういう人々に向かってしゃべっている。

フーコーが死を宣言した啓蒙時代の
ヒューマニズムが信じた人間に向かって、
私は、ひたすら話しているのであるだろう。

しかし現実の今日の人間は、
2チャンネルに代表される愚劣で下品で意地の悪い、
悪魔のような人間たちではないのか?

現実を直視し、
悪魔の時代になっていることを認めるべきではないのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鈴木謙介は、
ウェブ上の人間の本質がでていいるという。

本質というのは、イデアとしての人間である。
そこには肉体も社会的関係もない。

つまりソシュール的に言えば、
シニフィアンとしての《私》ではなくて、
シニフィエとしての《私》が、
ウェブ上に出現してくる。

つまり男か女かもわからないし、
人種的にもわからない。
生まれも、資産も、職業もわからない、
肉体を持たない、器官なき《私》。

これはまさにジェイソン/ローズの言った
「無知のヴェール」である。

コンピューターというのは、
脳を道具として肉体の外に出したものであるから、
コンピューターという電脳の中に、
人間の脳内リアリティとしての《私》が、
無垢の形で出現しているのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうして、バーチャル化した私が、
ウェブ上に、社会生活を展開する次元になって来ている。

実際メールをやらない人との人間関係が、
途絶える傾向が進んでいる。

つまり人間の社会の構造が進化して、
私の言う気体化が進んでいるのだが、
それはバーチャルな《私》の出現という形で、
新しい社会化展開することなのである。

これはラカンが発見した《鏡像としての私》という、
そういう虚像的な自我のさらなる発展した《私》と言える。

つまり今日の私は、
鈴木謙介が言うように、
虚像としての《私》を、
バチャルなウェブ上の人格として、
その人の本質を出現させて、
他者とコミュニケーションして、
さらに社会を形成して来ているのである。


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コメント 1

コア

鈴木謙介氏のこの本は必読文献のようですね。読んでみます。
by コア (2007-12-11 10:47) 

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