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美術家とは? 分類 [アート論]

美術家の数は多いが、
その質は多様であって、
同質ではない。

そこで分類を考えた。
何故に考える必要があるのか?

従来の伝統的なモダニズムのイメージでは、
今日のアーティストがとらえきれないからである。
 
一つには村上隆がその著作『芸術起業論』で強調するような
職業美術家の問題である。

古い言葉で言えば、売り絵の画家である。
この台頭が、従来のモダニズムの範囲を超えている。
1991年のダミアンハーストと、村上隆の登場は、
共に、合法的実体的な表現、
つまりデザイン的なエンターテイメントの作品をもって、
アートのシュミラクルとしたことにおいて、
時代を画したと言える。

私見では、ダミアンハーストも村上隆も凋落すると思うが、
しかし彼らに見られる芸術構造の変化は決定的なものであって、
その構造は長く続くであろう。

知人では、学生の時から、花だけを描いている画家がいるが、
典型的な売り絵の画家である。

あるいはエロ性をもつ絵画や、
かわいい少女を描く画家も知っているが、
これもまた典型的な売り絵画家である。

しかしこういう古い水準での売り絵という範囲を超えた事態が出現してきている。

今ある美術の商業化は、
それはかつての前衛やモダニズムの摸倣・反復によって商業化された芸術である。

そこには創造性はなく、
真性の前衛性もない。

あるのは前衛性のなぞりであり、
前衛美術の伝統化である。
そのことが、新しい売り絵を生産している事態である。

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彫刻で言えば、
造形屋さんをやっている友人がいるが、
こういう人は、言うまでもなく職業美術家である。
しかし、このような造形屋こそが、
ルネッサンス期の工房の原型を伝えるものであって、
美術家の基本とも言えるのである。

ルーベンスや、レンブラントも工房制作をしている。
近代以前の美術家というのは西洋でも東洋でも、
工房制作をしているのである。
葛飾北斎は北斎派であって、「北斎派」というのがどれほどの絵師を含み、作品の幅を含んでいたのか分からないので判断のしようがないが、
大集団であったという話もある。
少なくとも一人の画家というものではなかった。

先日開催された狩野永徳にしても、
狩野派という工房集団であって、
それこそ織田信長の安土城の内装の仕事は集団でやっている。
洛中洛外図屏風には3000人もの人が描かれた細密画であって、
一人で描けるものではない。
工房制作なのである。
この時、それは職業としての美術家であるとしか言えない。

こうした工房制作が、
現代アートの最前線を制圧した事態になっている。

ダミアンハーストにしても、
ジェフクーンにしても、
村上隆にしても、
今成功しているアーティストは、
すべて工房制作になっている。

それは近代以前の美術家の集団性の復権なのである。

それはまた、
美術家の社会化の復権とも言える。

ここにあるのは、近代個人主義の否定である。

私は、こういう近代個人主義の否定は、
歓迎しているのである。

なにしろ「我思う故に我あり」という自閉した独断主義の
若い個人主義者が膨大にいる時代なのである。

今日には、かつてのデカルトの孤立性はない。

今日では小さなデカルトが異常増殖している。
彼らの美術はつまらない。

だとすれば、
建築のように、
集団で作る美術があっても良いではないか。

私自身は、
美術家が、建築家同様に、集団制作になることを、
肯定的に見ているのである。
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もう一つ、
アーティストを考えるときに重要なのは、
はセザンヌやモンドリアン、クレー、さらにはレオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒト・デューラーに見られるような芸術を学問として探究する学究型のアーティストである。

現代美術で言えば、ジャクソン・ポロック、ジョセフ・コスース、ロバート・ラウシェンバーグ、エルズワース・ケリー、シンディ・シャーマン、などが、学究型のアーティストである。

私の好みで言えば、ジェフクーンも、学究型に見える。

 つまりアーティストには2種類あることになる。
 ■職業としての売り絵の美術家
 ■芸術を学問として探究する美術家

 この2種類以外にはないのだろうか?

………………………………………………………………………………
 
ある。

■趣味の美術家

一つは趣味で美術家をやる人たちである。

これも広大な領域であって、多様な趣味美術家がいる。
これらの特徴は、作品を売ることには積極的ではないことである。
キャリアの形成にも積極的ではなく、
美術を介しての小さな《村》の形成で満足している。

美術史への参画も消極的である。

そしてまた、芸術とは何か?美術とは何か?という学究性もとおぼしいのである。

しかし高度の芸術的な趣味性を持っている。
そういう美術家がいるのである。

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■何も無い美術家

もっと不思議な人々がいる。
それはある種の万能感に満たされて、
時間つぶしで作品を作っているアーティストである。

職業でもなければ、学問でもなく、
かといって趣味にも見えない。
そもそも趣味性というような質がない。

何もないのに、しかし自足した万能感に満たされている。
椅子にふんぞり返って、
えらそうに、
ただたばこを吹かしている。

こういう何も無い人が、
美術家として君臨しているのが、
日本の現代美術界である。

………………………………………………………………………………
■詐欺師としての美術家

もう一つ詐欺として美術をやる人々が、かなりの数いるのである。
かれらは社会的な成功を得るために、
人を騙す手法として芸術や美術を使う。

これで高名になっている美術家もかなりいるのである。

彼らの特徴は学究性には欠けているから、
作品制作そのものの実力は、あまりない。

盗作性が強い。
盗作と模倣しかない、とも言える。

はったり、としての表現がつよい。

そして表現の水準やクオリティが低い。

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■表現者としての美術家
 
最後に、以上の分類に入らないタイプのアーティストがいる。
職業性は弱く、
そして学究性も弱いのだが、
高度な表現をする。

面白いことは面白いのだが、
美術史的な知識も自覚も乏しい。

作品を売ることにも消極てきである。

そもそも作品を死後にも残そうという意志もない。

名付けようも無いのだが、
とりあえず表現型のアーティストと名付けておく。

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さて、以下のような6種類に分類してみた分けである。

◎職業としての美術家
 ■趣味としての美術家
 ■何も無い美術家
 ■詐欺師としての美術家
 ■表現者としての美術家
◎学問として芸術を追究する美術家

ピカソを考えると、
キュビズムの時期は、学問としての美術の追究が鮮烈である。

しかし一方でピカソは売り絵画家であって、コレクターが変わると作品を変えていくのであった。
これはアメリカの美術史家マイケル・C. フィッツジェラルドが、ピカソの残した手紙を全部読んで立証した事実である(『ギャラリーゲーム—ピカソと画商の戦略 』)

ピカソが、ある意味で詐欺師であったことも事実であって、
マイケル・C. フィッツジェラルドが問題にしているのも、
ピカソが、意図的に野蛮人を演じているということである。

つまり、一人のアーティストというのは、
実は職業人の面も、詐欺師の面も、そして趣味人の面も、万能感の面も、
さらには表現者の面も、学者の面も持っているのであって、
実は多様な人格の総合として考えるべきではないのか。

こうした総合性としてのアーティストの人格を発展させる必要があると思う。

つまり美術家の人格の、複合化である。


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コメント 5

丈

全部思い当たりますね。
彦坂さんは学問として追求しながら同時に
徹底した職業美術家でもある方ですね。
by (2008-01-28 00:27) 

アートボーイ

美術家には6種類あるとか、アートボーイはまだプロじゃないから、あくまでも趣味の美術家を超えられない。
でもいつか趣味の美術家から、職業としての美術家になるべく、今一生懸命修行しています。
彦坂先生もどうか温かく応援してほしいです。
by アートボーイ (2008-01-30 20:04) 

hiko

コメントありがとうございます。
職業美術家として、徹底などはしていませんね。

趣味の美術家を応援するというのは、無理というものですよ。他人の趣味を何故に応援しなければならないのですか?
 趣味というのは、自分で楽しめば良いのではないでしょうか。
by hiko (2008-01-31 17:26) 

アートボーイ

コメントありがとうございます。趣味の応援は無理とのこと、確かに人間一人一人の趣味や価値観は違うものであり、それをここに応援するというのはやはり無理なことであるかもしれません。
アートボーイは27歳のとき、旅行先の北海道である高齢な画家の先生と出会い、アートに目覚めました。
今アートボーイはプロになるべく一生懸命修行しています。
彦坂先生はこの修行ということについて、その意味や意義についてどう思われていますか、よかったら教えてください。
by アートボーイ (2008-01-31 19:31) 

hiko

美術家って、自分も含めてですが、くだらない人が多いのです。ゴミのような人ばかりです。ただ単になまけものとか、社会から逃げているとか、無能で満足している人ばかりです。できれば美術は止めた方が良いと思います。しかし過去のすぐれた美術はすばらしいです。できれば明治以前の昔の美術だけを見て、教養を高めることに専念なさるのが良いと思います。
by hiko (2008-02-01 07:09) 

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