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芥川賞「乳と卵」/川上未映子の顔 [顔/美人論]




さて、川上未映子の芥川賞受賞作「乳と卵」を、
私は読み終えた。
めずらしく清水誠一さんよりも早い読了である。

彦坂尚嘉の象徴界の視点でアートの〈格〉づけをすると、
〈21流〉の《5流》の〈3流〉の文学である。

〈21流〉というのは、人生の喜怒哀楽のドブ泥の世界。
《5流》というのは、ちょっと良いね、という優良品の次元。
〈3流〉というのは、ポップスの領域である。

まずポップで楽しい小説である。

小説は最初《8流》《6流》〈3流〉であったのが、
途中から〈21流〉《5流》〈3流〉に変貌していく所がスリリングで、
面白い。

小説としては〈現実界〉と〈想像界〉の文学で、
〈象徴界〉が欠けている小説。

しかしこの〈象徴界〉の欠如が、
小説全体の隠れた本質であり、それがテーマと言える。
このことを見失うと、この小説が分からない。

選評で、小川洋子は、母親の巻子と、娘の緑子の関係を描いた小説としてみているが、
しかし母親の巻子は、十分に描かれていない。
描かれている主題は、娘・緑子の成長する女の肉体に対する拒否である。

人生のドブ泥の苦しみの中で、
生命というか、女の体そのものの、
つまり生殖性を持ち、子供の誕生そのもの、
そういう生理そのものの意味が失われ、
つまり〈象徴界〉が失われて、
生きている意味や、
肉体の生理やメカニズムそのものの意味の本質が、
失われた今日の日本の世界を描いている。

しかも、答えは描かないことで、
今日の〈現実界〉の文学になっている。

緑子という少女は、
女の肉体、
つまり子供を産むメカニズムを持つ女の肉体の仕組みそのものを、
懐疑し、女として成長することを嫌悪する。
この嫌悪は何故に生まれたのか?
昔は創造主としての神の意志であり、
神の御心の問題として意味が与えられていたのだが、
神の死んだ現在では、回答のない不可思議さと無意味さと、
嫌悪として出現する。
この女自身の不毛性を描写した作品として、
〈21流〉文学の真の正当性を体現した、佳作である。

しかし傑作で名品とは言えないのは、
この小説そのものは〈3流〉の漫画文学(正確にはカリカチュア)だからだ。
カリカチュアとして良く書けているに止まる。

だが、しかし何よりも、文体がすぐれている。
一読に値する。

この文体について石原慎太郎は「一人勝手な調子にのってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい」と、嫌悪を示しているが、
その気持ちは分かる。
しかし、この不快感こそが、彼女の体質そのものを逆転させて文体にした良さなのである。

「豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファの意味が伝わってこない」という石原の感想は、いつもながらに石原慎太郎という人間の限界の提示でしかない。
上川未映子の文学が描いているのは、そもそもメタファではないのである。
メタファが喪失した世界、つまり〈象徴界〉が喪失した欠如の地獄なのだ。
そこにあるのは意味を失った現実だけの乳房であり、
生理の血の世界だ。

本来自然としての意味を豊かに持っていた女の体が意味を失ってしまった故に、
豊胸手術によって生み出される人工の乳房と同位になり、等価になってしまった世界。

かつてのフェミニズムが、
男の視線が女の体をオブジェ化すると非難したのが反転して、
この小説では、
女性が自身を性的オブジェとしてしか認識できなくなった今日の退落が、
少女の苦悩として描かれる。

川上未映子の文体は、丁寧に読むに値する文章と言える。
私は、ある意味で綿矢りさの清廉な輝きのある〈1流〉の文章よりも、
川上未映子の〈21流〉のこの文体に感動した。

使われている大阪弁の良さもさることながら、
饒舌な口語調の、それも女性特有のなまりや省略性、とにかく口語の文体の巧みさ、美しさ、奇妙さ、決定的な《独創性》を孕んだ制御性は、すごいものである。
かつての野坂昭如の饒舌体の貧しさを、遙かに超える切れ味を持っている。

それは小説として〈象徴界〉を失いながら、しかし
書き手の主体としては〈象徴界〉を持つものの執筆だからだ。

ここには意図的に、さらにはそれこそ哲学的に意図された、
方法としての〈21流〉があり、
それが今日の私たちの生きている地獄の世界を描き出す方法になっている。

実際彼女は、通信教育で哲学で学んだ人であり、
その学歴が、最良の文体を生み出している。
これは事件とも言うべき創造性である!

たいしたものだと思う。
私は感動したし、元気になったし、
そしてまたこの〈21流〉という領域の新しい表現の意味を学ぶことができた。

日本の21世紀の文学の始まりとも言うべき根拠を、
彼女の知的で、繊細で、良く工夫された文体に見ることができた。
この現在の地獄を描くには〈21流〉というのは不可欠な方法なのだ。

こう知ると、
建築における〈21流〉の顔を持つオランダ出身のコールハースが、
一人勝ちしてきた理由が分かる。
そしてバクダット出身の女性建築家ザハもまた、
このブログの中で〈21流〉の顔を持つ建築家として紹介したのを思い出して欲しい。

現在の世界を対象化しうる方法として、
〈21流〉の視線は、
方法としての有効性が高いのである。

さて、いよいよ川上未映子の顔である。
〈想像界〉の眼で、〈2流〉美人。
〈象徴界〉の眼で、《8流》〈2流〉《5流》
〈現実界〉の眼で、《5流》の美人。

人相的には、〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の3界を持つ人物。
3様態は持っていなくて、気体人間。
たいしたものである。

弟を大学にやるためにホステスをやるという美談の美人だが、
そのまま水商売にのめりこまないクールな聡明さが、
こざかしさと誤解されて見える人である。





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コメント 2

丈

彼女は確かに三界表示の気体美女と見まして、非常に魅かれました。

見事な川上未映子論として、読ませていただきました。
by (2008-02-14 19:36) 

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