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長野建築ツアー/伊東豊雄《まつもと市民芸術館》(加筆) [建築]

澄心寺.png
昨日は朝5時15分起きで、
6時出発、8時に新宿南口集合。

若手建築家の松田逹、林要次両氏と、
さらに松田さんを手伝っている松原独歩、大下かな子さんの4人と合流して、
レンタカーで、

長野県の澄心寺のコンペティション見学会に行った。

場所は箕輪町である。
新宿から中央道で、諏訪を過ぎて、伊北ICで下りる。

運転は松田逹さん。
私は助手席で、楽をさせてもらった。
若い3人は、後ろで、真ん中の大下さんがかわいそう。


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澄心寺・庫裏(住宅部分)デザインコンペティション

概 要
伊那盆地に面した小山にある伝統ある禅寺「澄心寺」。地域の人びとの現代生活に対
応した新たな役割を先導するため、その庫裏(住宅部分を含む)のり・デザインを図
ります。

審査員

曽我部昌史/貝島桃代/成実弘至/五十嵐太郎/壇信徒総代会会長
亀崎元展晋山式実行委員会住宅担当長/晋山式実行委員会住宅担当

コーディネーター
小野田泰明 佐幸信介

応募資格
応募者は一級建築士であり、総括責任者として従事できること。

表 彰
最優秀賞(1点)500万円程度
一次審査通過者(3点)10万円

応募締切
2008年4月25日(金)必着

敷 地
長野県伊那郡箕輪町大字三日町289 澄心寺敷地内

住宅面積
50〜57坪

総建設事業費
3,750〜4,500万円(解体費、外構費、諸税を含む)

現地説明会
2008年4月6日(日)
一次審査
2008年4月29日(火)
二次審査
2008年5月18日(日)
実施設計
2008年6月〜10月

提出図面
配置図・平面図・立面図・断面図・投資図・スケッチ等・設計主旨
(上記の内容をA2用紙1枚にまとめて提出)

提出先
日本大学法学部・佐幸研究室
(〒101-8375 東京都千代田区三崎町2-3-1)

問合せ
日本大学佐幸研究室
Tel&Fax:03?5275?8785
URL:http://kokorosumu.web.fc2.com

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なぜに美術家の彦坂尚嘉が、
建築コンペの見学をするかと言えば、好奇心である。

美術作品の作り方と言うものを洗い直して行くためには、
他ジャンルを観察するのは、一つの方法である。

自分自身の制作は、良い歳をしていることもあるから、
このまま、同じ事をして行くしかないのだが、
しかし、そう決めてしまったとたんに、
仕事は職人仕事になり、
つまらないものになって行く。

制作と言うものは、正味3年くらいしか持たないものであって、
常に刷新を考え、それを準備し続けないと、
8流に落ちてしまう。

途中で、サービスエアリアで、朝食を食べながら、
松田さんの事務所が作った建築模型を見ながら話したが、
それは、刺激的であった。

模型で見ていると、本堂よりも大きな建築を建てたくなるが、
しかし予算が決まっていて、決まっていると工法も自ずと限定されてくる。
複雑な形態を取ると、金がかかるのである。
お金とフォルムが、これほど直結的に結びついていると言うのは、
知らなかった。

美術作品だと、
手間ですむところが、
直接に大きなお金の問題になる。

現地に着くと、そのお寺が、写真で見る以上に、はるかに美しいのに、
驚く。《1流》建築なのである。

格式がある、小振りだが立派なお寺で、
内部も、驚くほどの太い柱と梁を持っている。

わざわざ建築コンペを開くまでになる理由が、
現地のお寺を見ると、分かる気がするのである。

この寺の美しさが、地域の人々を引きつけて来たのである。

それに日本アルプスを一望に見る景色がすばらしい。
天気が良かったせいもあって、
現場を踏む事の重要性を思う。
もっとも建築のコンペティッションというのは、
現場を見ないで応募した人が勝つということもあるそうで、
勝負は水物なのである。

説明界には100人を超す人々が集まる。
27歳くらいの若い住職がしっかりしていて、
彼の欲望と言うか、ニーズは見えてくる。
地域の若い人々がお寺に来られる様にしたいのだ。

これも刺激的で、建築を構想して行く、知的な枠組みが、
見えてくる。
寺の側の欲望の把握と、
建築家自身の欲望の交差を解かなければならない。

しかし建築というところで、交差するにしろ、
その施主の欲望と、建築家の欲望は、次元が違う。
この次元の違いが、重要だし、その問題を考えないと、
話にならない。

美術も同様であって、
美術を買うコレクターの欲望と、
作家の欲望は次元が違う。
この次元の違いの交差が生む問題がある。

この場合、建築家の欲望があるのかどうかが問われる。

正しい答えが必要なのではなくて、
両者の欲望の問題であると、
私は思う。

建築の施主の欲望や、美術でのコレクターの欲望と、
建築家や作家の欲望が、ずれている事が重要である。

単に施主やコレクターの欲望を、直接に解決し対応する人は、
建築家としても作家としても、たいした事は無いのである。
それは単に他人の欲望を実現する奴隷に過ぎない。

施主/コレクターと、建築家/美術家の欲望のずれこそが、
作品を成立させる。

今回もわざわざ建築コンペを開いてまで決めようとする若い住職の欲望は、
明快に言えば、建築そのものとして話題になり評価を得られる建築である。
おとなしい有用な建築にあるのではないと、
私は思う。
したがって建築家の積極的な意欲がないと成立しない。

低予算建築で、しかも既存の建築が《1流》である場合、
どうするのか?
建築としては小規模であるところが、
ポイントである。
ここに《超1流》《超1流》《超1流》の建築を、
低予算でつくる。
木と鉄とガラスでつくる。

建築としては、ハイアートではなくて、
ローアと建築である。
ローアートで考えないと、創造的なものは出来ない。

既存の《1流》建築との対比を重視しつつ、
木造での同質性を取る。

低予算と言う事で、
屋根はフラット。
正面はフラットは大型ガラスで、
内部は大きく、檀家のための談話室(吹き抜け)
と、住職の住居(主に2階)の2構造。

売りは、
高台の地の利を生かした見晴らしを楽しめる空間。

大自然の見晴らしと、
住職による、聞き役の徹した短時間の宗教的な対話的カウンセリングを
売り物にしたスペース。

あくまでも現代的な個人主義を軸にした、
宗教的な対話空間を作り出す。

側面のどうでも良い所に、
かなりの狂気を含んだ曲線の壁面を木でつくる。
低予算だから、木型の枠と、垂直の木材による工法。

まあ、私には1級建築士の資格はないから、
応募する事は出来ないのだが、
かってな夢想は出来るのである。

こうして奇妙なガラスと木造の建築構想が、
私の中に生まれる。

現地で、南さん、月橋さんにお会いする。

その後、伊東豊雄による《まつもと市民芸術館》を見学しにいく。

伊東豊雄1.jpg

伊東豊雄2.jpg

伊東豊雄3.jpg

伊東豊雄4.jpg

伊東豊雄5.jpg

伊東豊雄6.jpg


伊東豊雄7.jpg

伊東豊雄による《まつもと市民芸術館》、
これは驚きであった。

せんだいメディアテークが2流で、合法建築であったのに対して、
すばらしい《1流》建築で、しかも非合法性、非実体性のある、
芸術性の高い建築。

これは、のびやかで、ビビットで、しかも空間が大きい。

私はオペラシティの展覧会も見ていたが、
それでも伊東豊雄氏に対して、どこか冷ややかさがあったのだが、
今回は、熱くなった。

見事に化けて行く建築家である。
すごい!

何よりも、外形の形、そして明かりが入る不定形のガラスブロック、
さらにデコラティブなアルミキャストの壁面。
内部空間のひろさ。
すばらしい。

屋上庭園も見た。

その後、茅野市民会館を見に行く。

古谷1.jpg

古谷2.jpg

古谷3.jpg

茅野市民会館は、
古谷誠章さん設計
2007年の建築学会賞を受賞している建築だが8流建築。
立派だが、固く、創造性や、美しさが落ちる。

写真の下の2枚の部分だが、
門の様な入り口の部分は、木をつかっているのだが、
もの派や、廃材的な使用なのだが、
これがちぐはぐで、ひどい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建築ツアーをしていて、楽しいのは
建築の人々は、他人の建築を見に行くし、
そしてそれに鋭い反応をする事だ。
良い建築は良いと言うし、
悪いものは,鋭く批判し、
しかも細部まで、丁寧に見る。

今日の美術家の多く、特に私の世代は、
まず、すぐれた美術を見に行こうとしない。
見ても、何が良くて、何が悪いかを明快に言わない。

その中では清水誠一さんは、希有な友人である。
彼は果敢だ。
でも、建築まではなかなか付き合ってくれない。

美術家は
自分の蛸壺に閉じこもってしまっていて、
視野の狭い人が多いのである。

まるで自閉していることがアーティストであると思っているかのようである。
そういう気持ちも理解出来るけれども、
しかし本当にそうなのであろうか?
自閉していて、芸術は可能なのであろうか?
私にはそうは思えない。

それと格の低いものを、
美術関係者は好きな事である。
一体何て駄目な人たちだろうと思う。
8流、6流、21流、そんなものばかりだ。

もちろん、そんな人々だけでなくて、
探求する若い美術家の友人と私は付き合っているのだが、
しかし、
もっと積極的に心を開いて、
良いものを見て、自分の芸術を高めて行っていいと思うのだが、
そういう大きさのある人が、もう、同じ世代の美術家にはいなくなってしまった様に
思えるのである。
もちろん、私の単なる主観で、単なる思い込みかもしれない。

何故に建築を見るのが好きかと言えば、
建築の人々は、
私から見ると
まともだからだ。

それだけ、建築は
社会的で、
そして現実だからであろう。
そして厳しい。



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