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人格障害と迷信(加筆2) [歴史/状況論]

先日のブログで、自己愛性人格障害の事を書いたら、
何人かの読者を怒らせたので、
その記事はダウンさせて、今、書き直しています。

人間というのは、真実や事実というのは読みたくないのであって、
そのことは重要なことなのです。
実例は、社会学者です。
社会学者は、評判が悪いと自分たちで言いますが、
社会的な事実について語っても、読者は夢を読みたいのであって、
真実や事実というのは読みたくないのです。
夢を見たいという欲望は深いものがあります。

さて、ですから夢を書き加えているのですが、
自己愛性人格障害についての文章それ自身は、
私にとっては、長年の疑問が氷解したものになっていて、
結論的には、自分も含めてですが、
全部の人間はなんらかの形で人格障害であるということなのです。
全員がおかしいのですから、悩む事はありません。
これで良いのだと言うふうに信じる事が重要なのです。
この信仰こそが夢なのです。

そして誰もが人格障害なのですから、
怒る事は無いのです。
障害者には親切にする事が重要です。
だから誰にでも親切にしたいと思います。

私の祖母はアルツハイマーになって、
私は看病したのです。
母の実母が祖母であったので、
私の母は、祖母、つまり母の母がアルツハイマーでおかしくなっている事が、
事実して認められなかったのです。
だから私が世話をしました。
もう亡くなっています。

アルツハイマーで認知障害になっている人に、
怒っても仕方がないのです。
親切にするしかない。

自己愛性人格障害のばあい、自己愛ゆえに合理性を欠いて、
自己愛が自己破壊に転倒して、自滅して行く。
そのことを、怒っても仕方がないのです。
自己愛が夢なのです。
この夢を見て、自分が崩壊して行っても、
それで本望なのであると言えます。
夢というのは、そうしたものなのです。
他人は関与できないと言えます。
まあ、そういうものなのです。
ですから、親切にだけしてあげる必要があるのです。

昨日、もう一つ学んだことは、
迷信の問題です。

人はなぜ迷信を信じるのか―思いこみの心理学 (単行本)

by スチュアート・A. ヴァイス (著), Stuart A. Vyse (原著), 藤井 留美 (翻訳) 
朝日新聞社


上記の本は、買って読んでいるのですが、
それなりには知っている事なのであるのですが、
昨日は、1人を怒らせてしまった。

画商2人と、若い女性作家一人と、
私の4人で、美味しい飲み屋で、
楽しく飲んでいたのです。

私が、その女性作家と話していて、
画商の一人が、激怒を始めたのです。

その主張は、作家は他のアーティストのオープニングパーティなどに行く必要は無くて、
孤立して、閉じこもっていれば良いというものでした。
社会性など、一切いらない。
閉じこもって作品だけ作れば良いというのです。

怒り方が激しくて驚いたのですが、
作家に対して、そういう自閉したイメージを強く持っている人なのです。

私は仕方がないので、謝りました。

かれは私が謝っても許さないで、怒っていましたが、
なんとか、回りもなだめて、収まりました。

人はそれぞれ、強い迷信をもっているのです。
この迷信を改める事は出来ないと、
私は思いました。
他人の迷信からは距離をとって、
そうした議論はしない事です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私自身は、多摩美術大学に入学してすぐに、
ヨーロッパにおける美術家のイメージの変遷を調べて書いた本を読んでいます。

つまり歴史的に、美術家というのは、
どのように変わって来たのかと言う歴史を学んでいたのです。

岩崎美術社の厚い高い本です。

数奇な芸術家たち:土星のもとに生まれて  R&Mウイットコウアー共著中森/志水 共訳10000円

前にも書きましたが、ギリシアの美術家は、たくさんの本を書いています。
こうした事実を歴史的に知っているかどうかで、
美術家のイメージは、変わるのです。

現在の日本の美術家に対する自閉のイメージは、
非常に強固で、もはや迷信です。

しかし歴史的には、美術家は社会の中で、自閉はしていなのです。
レオナルドダヴィンチにしても、宮廷奉仕員です。

自閉していれば、餓死してしまいます。

あるいは、美術家たちは集まって別の社会を作って来ているのです。
ピカソのいた洗濯舟という集合住宅や、
アメリカでのSOHOに美術家が集まった様にです。

日本における孤立した自閉美術家の存在は、
歴史的な事実の中では、異常な事レベルに達して来ているのです。
しかし、歴史の中には異常な事はいくらでもありました。
そうしたものなのです。
ですから、今の日本の自閉主義も、
このまま、自然に任せるしかないのです。

こうした自閉主義の迷信が、
流行性の病気になっていくことも、
また、どうしようもないという事を、
昨晩感じたのです。

別に自閉していてくれれば、
安全なのですから、
ほっておけば良いのです。
礼儀正しく、挨拶だけはする。
展覧会を開くのは勝手ですが、
そしてこちらも勝手ですから、見には行かない。

もっとも、自己愛性人格障害の人は、
見に行かないと怒ります。
はっきりと、見に来いと要求するのです。
そのくせ、私の展覧会は見に来ないのです。
その辺が、自己愛性人格障害なのです。

しかし、私も見たくない作家は見ない。
好きなだけ、自閉していれば良いのです。
自閉ですから、それが夢の実現です。

その内に、どちらか先に死ぬでありましょう。
どうという事は無いのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

昨日話した女性アーティストは、《41流》の良い作品をつくっていたので、
このブログで紹介しても良かったのですが、
あれだけ画商に怒られると、
私がとりあげることは、
止めておいた方が良いと思います。
それに彼女を書いても、
私は一銭の得にもならないのです。


才能は夏草のように生えてくるのです。
しかし5年で終わります。
枯れてしまいます。

枯れるという意味は《8流》に転落して行くという事です。
《8流》というのは、自分で自分の作品は良いと信じるだけの、
宗教領域です。

芸術が宗教化してしまいます。
つまり新興宗教の小さなものが、
作家と言う名において、成立するのです。
小さな教団が、生まれてくるのです。

そこには宗教はありますが、
美術や芸術はありません。

美術の勉強も、芸術の勉強も、
そして思考も、訓練もしないで、
自分だけを信じて自閉しているのです。
それが人間の根本的な欲望なのです。

美術や芸術の名において、小さな教祖が成立するのです。
そういうものなのです。
そのことこそが、
人間の最高の境地であると言う事なのです。
それが夢なのです。
こうした夢を見たい人が、
たくさんいるのです。

そういう意味で、
夢を見る事は、可能なのです。
夢を大切にしましょう。





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コメント 5

sk

参考になりました。
僕も介護を最近までしていました。
しかしアルツハイマー=頭がおかしいは
単純ではないでしょうか?

私は彦坂さんが読者を怒らせたと仰っている記事も
拝見しました。
しかしダウンさせてまで書き直すのはどうかと思います。
退路を断って書いているなら告知をして
書き直すべきだと想います。
by sk (2008-09-05 19:19) 

ヒコ

アルツハイマーに対して単純化したのは、ご指摘通りとは思います。まあ、介護をした当事者の実感です。孫の私を分からず、男と思って祖母がシナを作って誘うのですから、まあ、大変です。

ご指摘は分かりますが、私自身は、自分の執筆が非合法性を持った、危ないものである事は、良く知っています。そして地雷を本当に踏むことに対しては、極めて注意深くないと、生き残れない事なのです。

問題は批判の文章のレベルではなくて、私自身の踏み込みが、問題の本質を踏むことです。問題の中心を捉えようとする希求が、私にはありますが、それを生に露呈することは、まずいのです。

人間というものは、常に本質を回避し、欺瞞の上を生きているのであって、真実や事実を認識できないものなのです。だからジャック・ラカンは、フロイトとは反対に、宴曲で、晦渋に満ちた語りをしているのです。

こうした事の怖さは、本当に怖さを知っているものにしか、分かりません。織田信長の戦争の仕方は、撤退の早さにあります。攻めもはやく、そして撤退も早くないならないのです。

自己愛性人格障害は、今日の日本の地雷なのです。不用意に踏めば死にます。
by ヒコ (2008-09-06 03:48) 

A

はじめまして。
画商の人の話に驚きました。
私は美術を勉強しはじめたばかりなのですが、
アートと関わっている人と触れ合う事が好きだし、
展覧会に行く事も大好きです。
人間のアイデンティティがあるからです。
共感できることも違う価値観があることも刺激です。
ギャラリーや美術館の仕事を手伝う事も好きです。
自分のモチベーションのひとつでもあります。
でも作家になりたいなら、もっと自己だけにせまっていくべきだと考えもあるということなのでしょうか?

by A (2008-09-13 20:23) 

丈

特殊な例ですが
コンセプチュアル・アートティストの河原温
あるいはソル・ルゥィットは
オープニングにはけっして顔を見せず、
現在も顔写真がメディアに流れないようにしていますね。

観衆が作家に夢を求めるのは事実ですが、
姿を隠さなくても存在感を示せるとは思いますよ。

ジャコメッティほど制作に献身していた作家はいないと思いますが
気さくにインタビューに応じ、写真も多く残っていますね。
彼の映像でさえ、4本以上現存しています。

画商さんが作家が顔を出すのを嫌がるのは、ご本人は
作家に創造者として制作への献身を求めるというつもりでしょうが
簡単に言うとジェラシーでしょうね。





by (2008-09-14 11:27) 

ヒコ

河原温さんは、問題があります。作品も良いとは、私は思いません。
《6流》のデザインでしかありません。コスースと比較しても、実力の差があり過ぎます。顔を隠している事を含めて、自己防衛が強くて、程度は分かりませんが問題があります。見習いたいアーティストではありません。

ソル・ルゥィットは、初期のミニマルな作品は好きですが、中期以降の作品展開は、失敗します。中期のダイレクト・ドローイングは、ちょうどアメリカにいたので、実物の個展をいくつも見ましたが、錯誤に捕われていたと思います。

重要な事は、迷信を人が信じて生きていると言う事です。

そして《自己愛》というものは、その人を破滅に導くと言う事です。
by ヒコ (2008-09-30 09:40) 

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