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歴史を見る目で(読みやすく改稿1) [アート論]


ブッラクダリア190.jpg
私の最近の『ブラックトマト』というブログですが、
上のブラックダリアのCGを掲載しました。
私は、誰もが、これはCGの作り物のデジタル写真と分かると思っていて、
だから、断り書きを書かなかったのです。

ところが、美術家のAさんと電話で話していたら、
この写真を自然の本物のブラックダリアだと思って見ていたというのを知って、
驚きました。
武田さんや加藤さんとやっているラカンの読書会の時に聞いたら、
みんなが、本物と思っていたのです。

しかし、植物の花の色素の中に、無彩色の黒は無いのです。
実際の黒薔薇や、黒いチューリップを花屋で見れば分かる事ですが、
必ず、色をひいていて、有彩色です。

そもそも有機染料の中に、無彩色の黒はありません。
黒に見える様に、いろいろな色を混ぜているのであって、
墨のような無彩色の染料は無いのです。

ちょっと常識が、みなさんに無いのに驚いてしまったのですが、
しかし問題は逆なのです。
多くの人は、
自分以外の外界の、
しかもどうでも良い事は、
観察していないのです。
人間は、自分のことしか考えていないと、心理学は言います。
そのことを、きちんと自覚的に知らない私の方が、
問題なのです。

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さて、歴史を見る目を書こうと思って、
始めたのですが、
ここまで書いて、ちょっと元気が無くなりました。
基本常識から書いて行くのは、
気が重いというか、時間がかかるのです。

つまり今回の経済危機についても、
1929年の世界大恐慌について、
基本事実と、歴史の構造を知っていないと、
今回の経済危機との関係を参照することは出来ないのです。

それをきちんと書こうとすると、
まるで大学でレクチャーをするような基本的知識の伝授で、
無給でやるのは、馬鹿馬鹿しいというか、
時間がかかりそうなのです。

歴史を見る目は、いろいろありますが、
そうしたいろいろの歴史観の中で、
私の歴史観の特徴は、学生時代に今和次郎の考現学に感銘を覚え、
そして1990年代になると複雑系の歴史学の影響を受けています。
さらに古典的なものの影響としては『史記』『神皇正統記』
本居宣長の国学が、強く影響しています。

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さて
日本の20世紀美術史において、
この1920年代の時期に経済恐慌が繰り返し起きて、
日本社会を困窮に追いつめて行きます。

その中で、1929年の世界大恐慌の前の
1923年の関東大震災と、つまり震災恐慌が、
決定的な美術史的転換を作っています。

大正時代の新興芸術運動が、
この時期の経済恐慌によって、
息の根を止められるのです。

「歴史は繰り返す」と言いますが、
私は今回の世界大恐慌によっても、
過去の事例と同様に、
美術の歴史は変わると思います。

しかし、そうした変化は、
現実を、かなりきちんと観察していないと、
分からないものです。

ぼんやりと、見ていては分からないのです。

でも、多くの人は、
自分の生活を考えるだけで、
手一杯なのです。
どのように変化してしまっているのか、
普通は、わかりません。

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1929年の世界大恐慌は、
私は体験していません。
清水誠一さんのお母様は、
体験していて、
実家が絹糸の問屋であったそうで、
この恐慌で倒産したそうです。

私の体験した経済恐慌は、
1973年の石油ショックでした。

つまり、経済恐慌の小さなものですが、
この時のことですら、大きな影響を
美術の現場に与えているのです。

たとえば南画廊の 志水楠男さんが亡くなられたのは、
1979年3月20日です。
この日に自殺なさった。

この自死と、1973年の経済恐慌は、
一見すると、関係がないように、
見えますが、関係しているのです。

東京画廊の初代社長の山本孝さんが亡くなられた年号が探せなくて、
困るのですが、死因そのものは病死です。
この時に、榎倉康二さんが、自分の作品に観葉植物を付けた作品を
発表していて、会期中に葬儀になりました。

この山本孝さんのお葬式も、
実際には1973年から離れているので、
関係が無い様に見えますが、これも関係していたのです。

もうひとり、大阪フォルム画廊の社長の死亡ですが、
これも病死で、1973年からは離れています。

お金の苦労というのは、
肉体にくるのです。
金銭的に追いつめられて行くと、
免疫力も落ちて、癌も出て来ます。

ともあれ、
私の見て来た視線では、これら3人の大画商の死因は、
1973年の経済恐慌の影響なのです。

1973年の石油ショックの直前は、
絵画ブームでした。
私見を申しあげれば、それは日本洋画の最後の死の舞踏だったのです。

大阪フォルム画廊というのは、
これら日本の洋画を売っていて、
東京にまで、大きな支店を開いた画商さんでした。

この時には、若手の洋画家の青田買いが行われ、
若い作家の作品に投機のお金がつぎ込まれたのでした。
才能のある画家を見つけると、買いに入って、
値段を上げます。
プライマリー価格が高くなると、
時期を見て、今度は売り浴びせをして、
利益を出すのですが、
やられた若い作家は、つぶれます。
こうして日本洋画は終わってしまうのです。

それは、青田買いで、大学の卒業美術展で、
若い美術学生と契約をしていくことをした現代アートのギャラリーと、
良く似た現象だったのです。

昔のパリの画商は、20代の才能は、
分からないから、あまり若い作家とは、契約はしないというのが、
基本だと言われていますが、
それを無視した青田買いが、頻発したのです。
歴史は繰り返したのです。

それはハイリスク、ハイリターンに投機の基本をおいた、
1990〜2000年代の金融投機市場と、
同じ構造でありました。

つまり中国現代絵画や村上隆、ダミアンハーストを含めて、
1991年から2000年代の20年間の現代アートは、
現代美術の死の舞踏であったのです。

つまり、繰り返せば、私の体験では、
1973年の経済恐慌と、その直前の絵画ブームは、
現在の世界大恐慌と、その直前の現代アートのアートバブルに、
良く似た現象なのでした。

1960年代の日本の現代美術の時代を代表した画廊は、
南画廊と東京画廊でした。
その2つの画廊の社長は、
1973年の石油ショック以降に、
経営の悪化の中で、ついに死亡する事になるのです。
それに費やされる時間は、6年から10年以内なのです。

つまり1973年とは比較にならない規模の大きな現在の世界大恐慌の結果は、
似た様な現象を、歴史的反復の中で見せるであろうと、
予想できるのです。
つまり現在の日本を代表する画廊の中から、
何人かの画商は、自死なり、病死なりをして行くでしょう。
それが2010年代の事象になるでしょう。
しかし多くの人には、恐慌との関連は見えないでしょう。
歴史的な変化と言うのは、
それほどに恐ろしいものなのです。

現在までのアートバブルの中で、
お金を儲けたギャラリーは、
支店をつくったり、移動したりいていますが、
こうした元気のよい画廊が、実は一番に危ないのです。

先日私が見ていた作家には、やはり膨大なお金が、
ある画廊からつぎ込まれていましたが、
このお金は、この恐慌のために直接には回収不能になるでしょう。
将来的な倒産の可能性が予想されます。
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本当は、何故に、
こうした経済恐慌が起きたのか、
そして1929年の世界大恐慌の構造と、
現在のそれの違いと類似性を書かなければならないのですが、
そのためには、普通の歴史の教科書的な記述が必要になります。

そしてまた、
現在のバブルを生み出した
サッチャーレーガンの新自由主義の主導する社会の中で、
人間の精神の中で、
《象徴界》が異様に弱くなったと言う現象があって、
これは日本ラカン協会の学習界の中でも、
助教授クラスの人が何人か言っていた事でしたが、
この理由も、解き明かす必要があります。
その事で、美術作品もまた《象徴界》が弱くなった作品が氾濫したのでした。

つまり《象徴界》が《6流》とか《8流》の作品が好まれたのは、
ハイリスク、ハイリターンの金融商品の跋扈と、
連動した時代精神のなせるものであったのです。

しかし、この世界大恐慌からの反省が一般化すれば、
もしかすると、《象徴界》が再来するのかもしれません。

そうすると、《象徴界》の美術が復活するのではないか?

まあ、これは希望的な観測に過ぎませんが(笑)、

美術家としては、
象徴界的表現を大切にするのは、
作品を作る上で、重要な問題なのです。






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