SSブログ

アートとデザインの区別(2/2)[大幅改稿改題] [アート論]

20080114145442.jpg
アーニョロ・ブロンズィーノ『愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)』
《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、固体作品、《気晴らしアート》《ハイアート》
原始平面の絵画(ニセの深いイリュージョンの絵画)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ピクチャ 1.png
鈴木其一 朝顔図屏風
《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、固体作品《気晴らしアート》《ハイアート》
原始平面の絵画(ニセのオプティカル・イリュージョンの絵画)

◆1◆公と私の分離◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 アートとデザインの関係は、人間が社会の中に生きている時の、公的生活と、私的生活の2つの矛盾と深く関わっています。

 「公私混同をするな」という言い方がありますが、社会を形成しているのは、公私の《私》の部分を排除した《公》の部分なのです。この《公》の表現がデザインです。

 

 しかし実際には一人の人間はプライベイトな実生活や精神生活も送っています。にもかかわらず、その《私》性が、社会から排除されて生きているのです。個人情報の秘密性が重視されたり、自分の本名を出来るだけ隠そうとする形で、社会の《公》を生きているのです。この《公》と《私》の分離が明快ならば、それは実は一人の人間の中では重なっているものですから、本質的には分離できないものである故に、その分離の紋切り的な明快さこそが実は社会欺瞞的な秩序だと言えます。


 今回の質問をして来て下さったSさんの個人メールを、このブログで掲載することをお願いしましたが、同意は得られませんでした。匿名でも困ると言うのです。こうした《私》性の隠蔽性の中で社会性という、彦坂尚嘉の格付けでは《1流》の社会的な理性領域が形成されているのです。そこには自己欺瞞を強制する力が働いています。自分を見せるなという命令があるのです。

 

 つまり《1流》の社会的理性領域というのは、《私》性の抑圧なり、《私》の排除、さらには《私》性の殺害の上に成立している領域なのです。それがデザインの領域なのです。ですからデザインは、自己欺瞞と社会欺瞞の共謀した構造なのです。グラッフィク・デザインというビジュアルだけではなくて、話し方や態度、そして歌や音楽の中にも見いだせるものなのです。


 コンビニでのマニュアル通りの対応の言葉に、独特の不自然な嫌みの様なものがありますが、あれはデザイン化されたしゃべり方なのです。つまり自己欺瞞と社会欺瞞が共謀すると、ああいう口当たりの良い、腹立たしい不自然さが生まれるのです。

 バスガイドの独特の歪んだ調子の語り口と言うのも、自分の《私》を隠すためなのであって、あれが欺瞞のデザイン・ヴォイスなのです。

  私の大学時代の友人が、広告代理店の一種というべきパブリシティ会社の 女性社長をやっています。彼女のしゃべり方には、バスガイドのような不自然な調子があります。デザイン化された話法をしゃべることで、広告の仕事という、これもある種の詐欺まがいの仕事という欺瞞性を形成していると言えます。


 演歌の歌謡曲でも、たとえば「女のみち」を歌ったぴんからトリオ/ぴんから兄弟のキッチュで欺瞞性に満ちた調子というのは、デザイン的表現なのです。

 つまりデザイン表現は、社会の中で歓迎され、流通するための表現の構造なのであり、それは実はキッチュに連動している領域なのです。アンコ椿は恋の花」でヒットを飛ばした都はるみのうなり声のような灰汁の強いこぶし回しや声を震わせるような強いビブラートの歌唱法も、デザイン化された歌唱法で、彼女の私的な心の動きといったものを殺した歌い方なのです。

imgce50942ezikdzj.jpg

アンコ椿は恋の花」の歌の格付け

《想像界》の耳で《超1流》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の耳で《6流》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の耳で《1流》のデザイン的エンターテイメント

液体音楽、《現実界》の歌《ローアート》《気晴らしアート》

arch-enemy-1_1024_768.jpg

 さらには、スウェーデンのメロディックデスメタルバンドであるアーク・エネミーのアンジェラ・ゴソウは、デスメタル由来の無慈悲な強烈さと正確無比なリズム感を持つ驚異的なデスヴォイスで歌いますが、あれはデザインなのです。アーク・エネミーの音楽全体もまた、見事にデザインであって、メガデスや、スレイヤーが芸術であるのとは、対照的な軽さと楽しさを持っているのです。

 こう書くと、ひどい声を出しているものばかりと思うでしょうが、たとえば受験生ブルースを歌った高石友也などは、最悪のデザインボイスで歌います。オレンジレンジもデザインです。普通に流通している歌の多くが、デザイン化された歌なのです。そこでは歌手の私的領域が抑圧されて殺される事で成立している《公》という社会的理性の欺瞞構造があるのです。言い換えると、欺瞞構造を形成しない限り社会は成立しないのです。

 繰り返しますが、つまり私性を殺す事で《公》が立ち現れるのですが、これがデザインの領域なのです。つまりデザイン=《公》=私性の殺害、という公式が成立しているのです。

 つまり《1流》という社会的理性領域で流通している表現というのが、デザイン表現であって、そこでは《私》性は、排除され、抑圧され、殺されているのです。

 この《公》と《私》の分離が明快であることで、紋切り的な欺瞞秩序を形作っていたのが近代社会であったのです。そこではデザインと芸術の分離も明快であって、紋切り的な芸術の欺瞞的な優越性が形成されていたのです。


◆◆2◆分離の混濁◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

agunece_2.jpg

 問題が複雑なのは、《公》と《私》の分離が、脱ー近代化する中で、混濁していくのです。バブル経済とグローバリゼーションが始まる1986、アグネス・チャンが長男を出産し、翌年には仕事を再開しましたが、仕事場に、中国人ベビーシッターと共に子供連れで現れる為、芸能界でもおおいに顰蹙を買うという騒動が持ち上がります。職場に育児を一切持ち込まないという、《公》と《私》の紋切り的な分離をして、「働くお母さん」像を肯定して実践していた人々からも、批判は大きかったと言われます。さらに林真理子が論評『いい加減にしてよ、アグネス』で批判したために、これを端初にアグネス論争が起きています。

 この論争での根本にあるものは、《私》性の抑圧した欺瞞的な生き方を要求する古い近代社会的理性性が挫折を始めたという、脱ー近代社会への移行なのです。つまり《公》と《私》の紋切り的な分離ができなくなってきて、公私の関係が混濁を始めたことを告げる事件だったのです。それは同時に、デザインと芸術の、紋切り的な分離が出来なくなってくる事につながります。

28243.jpg

《想像界》の眼で《3流》の《真性の芸術》

《象徴界》の眼で《6流》のデザイン

《現実界》の眼で《6流》のデザイン 

気体デザイン、《想像界》のデザイン,《気晴らしアート》《ローアート》


 アグネス論争の前年の1985年、当時のフジサンケイグループ議長・鹿内春雄が、グループの結束を強化するために、フジサンケイグループの統一シンボルマークとして、目玉マークを採用しますデザインは絵具のチューブから直接描いたものです。この目玉マークは、従来のモダンデザインの《6流》性とは決定的に違うものであって、《真性の芸術》性をもった脱ー近代デザインの先駆けの象徴となります。デザインが芸術になったのです。

 目玉のデザインは、イラストレーターの吉田カツが手掛けたものです。吉田カツは、雑誌『SMスナイパー』でも性的なドローイングをかいているイラストレーターであって、危険性を秘めたデザイナーでありました。

 この時期から、公と私の分離が混濁を始めます。それはデザインとアートの分離にも混濁をもたらしてきます。象徴的なのはイラストレーターの横尾忠則の画家宣言であったでありましょう。それが1980年です。背景にあったのは、いわゆるニューウエーブのペインティングの台頭でありました。

 1875年にアメリカがヴェトナム戦争で敗北する事で,近代という時代が、1回目の終焉を迎えます。そうすると近代が持っていた《象徴界》の芸術の時代であったモダンデザインの抑圧の構造が弱まって、彦坂の私見で言えば、《想像界》の美術が噴出してくるのです。このペインティング類は、しかし《想像界》の絵画であったゆえに、多くは万華鏡のようにたわいないもので、急速に衰弱して行きましたが、同時に多くのイラストレーターや、デザイナーに、芸術とデザインの分離の敷居が低くなったことを知らしめ、デザイナーのアート化が急速に進みます。

 その代表的なアーティストが、大竹伸朗であり、日比野克彦の台頭でありました。

 大竹伸朗の登場は、横尾忠則の画家宣言の1980年から2年後の1982年で、最初の個展を開催して、以後絵本、写真、立体、コラージュやパフォーマンスといった多種多彩な表現をみせ、一躍時代の寵児となります。

 日比野克彦の登場も、大竹伸朗とまったく重なって1982年に日本グラフィック展グランプリを受賞して、現れるのです。

 つまり1980年代には、こうしてデザイン系のアーティストが台頭する時代で、アートとデザインの区別は、従来の紋切り的区分が混濁して、それは同時に芸術の優越性という近代の構造の崩壊現象であったのです。


◆3◆去勢の拒絶◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 アートとデザインの区別というのは、実は人間の大人になる時のイニシエーションと深く関わっています。成人式での《私的歴史性》を殺す去勢的な作業が、デザインを生むのです。人間は生まれて成長して行きます。そして大人になった時に、つまり成人式を迎え、昔でしたら元服とか、褌祝(ふんどしいわい、へこいわい)、裳着(もぎ)とかいった幼児性を去勢をする通過儀礼を行う事で,成人になります。戦前の大日本帝国では、軍隊の徴兵検査が、少児性を去勢をする一種の通過儀礼の役割を果たしたと言われます。


 通過儀礼という言葉は、イニシエーションの訳語ですが、割礼や抜歯、刺青など身体的苦痛を伴うものである事が多いのです。なぜなら子供性の去勢だからです。メラニシアの通過儀礼であったバンジージャンプもそうした成人になるためのイニシエーションであって、こうした儀式を経ることによって、子供の時からの自我を一度殺して、そして急遽(きゅうきょ)、周辺にいる大人の自我を真似して、新しい成人の自我を、でっちあげて作る事が、大人になる事なのです。

 このイニシエーションによって、私性が殺されるのです。つまり、芸術分析的には《私》性というのは、子供時代の延長性なのです。ですから幼児性を去勢した普通の大人の人々は、すべてデザイン化した人格を持っていると言えます。


 ところが、社会の中には、もう一つの表現が成立しているのです。それが芸術表現です。ここには《私》性があり、私的な幼児からの成長の歴史性の保持があるのですが、こうした歌の代表は、美空ひばりです。

007.JPG

悲しき口笛の歌

《想像界》の耳で《超1流》の《真性の芸術》

《象徴界》の耳で《1流》の《真性の芸術》

《現実界》の耳で《1流》の《真性の芸術》

液体音楽、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

 美空ひばりの歌は大衆歌謡ですから、制度的な区分で見ればもちろん《ローアート》です。しかし彦坂尚嘉の《言語判定法》を使ったフロイト/ラカン的芸術分析では《ハイアート》になります。これに違和感を覚えられる方も多いとは思いますが、見る角度を変えると、違う判断が出てくるのです。

 悲しき口笛」という歌は、美空ひばりが最初に主演した映画「悲しき口笛」の主題歌ですが、「子供のくせに大人の様に歌って」という批判がなされましたが、実はここには幼児からの成長の過程を抱え込んで、成人になるイニシエーションを回避した歌唱があったのです。

 美空ひばりは、1937年(昭和12年)に神奈川県横浜市で魚屋を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれました。家にはレコードがあって、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けて、歌謡曲・流行歌を唄うことの楽しんで育ったのです。この最初の経験が、美空ひばりの才能を生む重要なものあのです。

 芸術の根底をつくるのは、こうした幼児の体験と経験なのです。そして幼児の経験に固着する性向が、アーティストを作り出すのです。逆に言えば、幼児体験の中に、自らの執着心を持つものが無い人は、芸術家としての才能が無いことになります。芸術家の才能は、幼児体験なのです。

 1943年、第二次世界大戦の戦時中に、父が出征となり壮行会が開かれ、6歳の美空ひばりは父のために『九段の母』を唄います。壮行会に集まった者達がひばりの歌に感銘し、涙する姿を目の当たりとした母・喜美枝は、ひばりの歌唱力に人を引き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊から、ひばりの唄による慰問活動を始めたのです。

 終戦間もない1945年、8歳になったひばりを引き続き唄わせるために、母親が「青空楽団」を設立します。近所の公民館・銭湯に舞台を作り、「美空」の名で初舞台を踏みます。 

 1946年、9歳でNHK「素人のど自慢」に出場し、予選で『リンゴの唄』を歌い、ひばり母子は合格を確信しましたが、審査員は「上手いが子供らしくない」、「非教育的だ」、「真っ赤なドレスもよくない」という理由で落選させます。

 1946年9月、9歳のひばりは、横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を踏みます。翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、審査員をしていた古賀政男のもとにひばり母子は駆けつけ、「どうか娘の唄を聴いてください!」と懇願して、ひばりはアカペラで古賀の「悲しき竹笛」を歌ったのです。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とはげましましたですが、しかし具体的な援助はしませんでした。リップサービスに過ぎなかったのです。

 1947年、10歳の時に、横浜の杉田劇場に漫談の井口静波、俗曲の音丸の前座歌手として出演して、以来、この一行と地方巡業するようになります。

 高知県に巡業した際、ひばり母子が乗っていたバスが前方からのトラックと激突し側転、崖に向かって落下。運よくバンパーが一本の桜の木に引っかかりとまったのですが、ひばりは左手首を切り、鼻血を流し気絶、瞳孔も開き仮死状態になります。たまたま村に居合わせた医師に救命措置をしてもらい、その夜に意識を取り戻したのです。家に戻った後、父は母に「もう歌はやめさせろ!」とどなったが、ひばりは「歌をやめるなら死ぬ!」と言い切ったというのです。

 1948年2月、11歳のひばりは神戸松竹劇場に出演し、暴力団山口組三代目の田岡一雄に挨拶に出向き、気に入られ、田岡一雄は美空ひばりを応援することを約束します。暴力団という反社会の側の人間が応援するところに、社会という《1流》領域と、その反対の《31流》の犯罪領域の構造の対称性が出ています。後に田岡一雄は、ひばりプロダクション副社長となります。

 同年5月、浪曲歌謡漫談で有名な川田義雄(のちの川田晴久)にその才能を見込まれ、川田一座に参加します。ひばりは師匠といえるのは父親と川田先生だけと後に語っており、こぶしは川田節から学んだと言うことです。

 そこで当時のスター歌手笠置シズ子の歌真似が非常にうまく、ベビー笠置といわれ拍手を浴びるのです。しかし「子供が大人の恋愛の歌を歌うなんて」という違和感を持つ人々もも存在して、詩人で作詞家のサトウハチローは当時のひばりに対し「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいるようだ」と、批判的な論調の記事を書いたのです。ひばり母子はこの記事を長く保存しサトウハチローに敵愾心を持っていたと言われます。

  【続きは下をクリックして下さい】

 同年9月、喜劇役者・伴淳三郎の劇団・新風ショウに参加し、同一座が舞台興行を行っていた横浜国際劇場と準専属契約を結ぶのです。この時、演出していた宝塚の岡田恵吉に母親が芸名をつけてくれるように頼み、美空ひばりと命名してもらいます。横浜国際劇場の支配人だった福島通人がその才能を認め、マネージャーとなり、舞台の仕事を取り、次々とひばり映画を企画することに成功することになります。12歳で、映画主演を果たします。それが『悲しき口笛』(松竹)で大ヒット、同主題歌も45万枚売れ(当時の最高記録)となり、国民的認知度を得るのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の美空ひばりの経緯に見られるのは、初期の幼児体験の歌に固執して、社会的理性が突きつけてくる子供らしさへの要求を拒絶し、自分の体験の成長を維持し続けた戦いなのです。それが芸術を成立させる道であったのです。《1流》の社会的理性領域は、美空ひばりの体験に見られる様に、個人の私的な才能の特異性を虐殺しようと、牙を剥いてくるものなのです。これに屈して、幼児体験の去勢を受け入れれば、美空ひばりは天才歌手にはならなかったのです。

 美空ひばりの歌とは無関係に見えますが、1968年前後を頂点とするヒッピームーブメントの波は、実は、社会という権力による成人になるための去勢のイニシエーションを拒絶する運動であって、ある意味で、自分をつらぬいた美空ひばりと、類似している精神の運動であったのです。それは、いつまでも子供のままでいるモラトリアム人間の大量発生であったのです。それがこの時代の全共闘闘争などの反権力闘争の隠された意味でありました。

 そしてカウンターカルチャーの発生は、美空ひばりの歌った大衆歌謡のような下層文化の新しい台頭であり、従来の公私の分離を拒絶した《私》性の強い文化の台頭だったのです。

 こうした波は、1975年のアメリカのベトナム敗戦以降も世界的に進行して行って、自己愛性人格障害者を大量に発生させる様になります。これらモラトリアムを生きる自己愛性人格障害者たちは、アーティストたちときわめて類似した存在なのです。言い換えれば、アーティスト的な幼児性を継続する人間が大量発生して、《公》と《私》の区別を混濁させた社会現象を作り出して行きます。

 しかし《自己愛》性人格障害的な今日のアーティストたちとは違って、美空ひばりには、最初に幼児の時に聞き入って、真似をしたレコードの歌がありました。つまり先行文化があったのです。そしてまた、師匠となる川田晴久に出会って、彼を師匠としている事です。この師匠への出会いを持ち得た事が、天才芸術家になる事を、決定づけたのです。

 幼児体験だけでは、偉大な芸術家になる事はできません。先人である師匠を他者として持つ必要があるのです。他者のいないナルシズムは、偉大性には到達し得ません。偉大なアーティストというのは、幼児からの成長の過程を継続しつつ、さらに先人の偉大な芸術家の継承性を持ち得ている人間なのです。

  アーティストは、成人のイニシエーションを拒絶したために、普通の大人が作るメインストリームの社会の中に、入ることが出来ません。欧米の美術家は,普通の社会から離れて、美術家だけで村をつくって住む傾向が歴史的に見られます。ピカソが『アヴィニヨンの娘たち』を描いている時期に住んでいた洗濯船は、パリのモンマルトルにあった安アパートで、ピカソの恋人のフェルナンド・オリビエ、そして画家のモディリアニなどの貧乏なアーティストが住んでいました。その後、第一世界大戦が始まる1914年に以降には、多くのパリの美術家がパリセーヌ川左岸14区にあるモンパルナスに住む様になって、1920年代のエコールドパリを形成しました。

 日本でも池袋モンパルナスが、昭和の始めから第2次世界大戦開始まで、東京都豊島区西池袋周辺に形成されます。そこに集まっていた美術家というのは、靉光、寺田政明、長谷川利行、松本竣介、長沢節、浜田知明、古沢岩美、北川民次、福沢一郎、名井万亀、丸木位里、丸木俊などでした。

  後のアメリカのニューヨークのダウンタウンのソーホーに、1960年代から1970年代に掛けて美術家は集まり,一つの時代を作ります。ソーホー地域の地価が高騰すると、美術家たちは、ロウワー・イースト・サイド地区・トライベッカ地区・ノーホー地区・ノリータ地区・ハーレム地区へ移っていきました。それらの地区も高級化してしまうと、マンハッタンも出てブルックリンにまで移るようになっています。

 その他にもドイツではミッテ区に芸術家があつまり、中国の北京では798芸術区、上海では莫干山路50号に芸術家が集まっていますが、こうした事が起きるのは、芸術家というのは、成人になるイニシエーションを回避している故に、普通の大人の社会に参入する事が出来ないためなのです。

  しかし芸術家になることは、まったく子供のままでいることではありません。子供のままの人も多くいますが、しかし芸術家として成功するためには、先人の偉大な芸術家を崇拝し、芸術の構造を学習し、芸術の規律やルール、そして歴史に従う必要があります。芸術史/美術史に参入していくこと事で、別の次元の成人になるという、そうしたオルタナティブ  (代替物) な存在として生き方を選んだ人間なのです。

  だがしかし、今日の自己愛性人格障害者の大量発生と言うのは、この芸術の歴史や社会秩序をも拒絶して、本当の意味での、幼児性や小児性を、《自己愛》のもとに継続していく人々の増大を招きました。そこでは、伝統的な意味での文化の継承性や、芸術の高度化はなしえなくなります。《ローアート》が跋扈する,アートとデザインの区別の無い、新しい混濁したカオス時代になったのです

◆4◆欺瞞と混濁の構造こそが《アート》◆◆◆◆◆

 アートとデザインの区別の要諦は、人間が子供から成人になる去勢のイニシエーションの潜り方の問題にあったのです。そのために、一度幼児からの成長過程を殺してしまった普通の大人が、芸術という私性を孕んだ表現をする事は、事実上できません。芸術に憧れる多くの人は、見よう見まねで、贋(ニセ)の芸術をいろいろと作るのですが、そこには本当の意味での幼児からの継続した成長過程の歴史性が無いために、社会的な了解性の上で、表面的に芸術のふりをしたデザイン的エンターテイメント作品が、作られることになるのです。現在制作されている美術作品でも、その8割は、デザイン的エンターテイメントであって、ニセの芸術なのです。

  しかし重要な事は、それも含めて美術史は作られています。つまり純粋にデザイン的エンターテイメントである作品が、芸術という名のもとで、鑑賞され、賞賛を浴びます。この混濁の構造が、芸術の構造なのです。このアートとデザインの混濁は、実は昔からあったものなのです。

 たとえばマニエリスム期を代表する画家ブロンズィーノ随一の代表作『愛のアレゴリー』です。このブログの最初に図版を掲げておきました。

  彦坂尚嘉のフロイト/ラカン的芸術分析では、この『愛のアレゴリー』はデザインと言う事になります。この作品はロンドンのナショナルギャラリーにあって、私はしげしげと見ましたが、原始平面のグラフィックで、表出力の強いポルノ的な作品です。複雑な寓意を組み立てた作品で、極めて知的・技巧的で洗練された美しさに満ちていて、こうしたデザイン的作品としては頂点を極めた傑作と言えます。

 この作品はデザイン的エンターテイメントでありますが、しかし、これを《真性の芸術》として賞賛し、鑑賞するという欺瞞こそが、芸術という制度なのであり、芸術の不可思議な面白さなのです。

 ラカン派のジジェクは、あらゆる人間は自己欺瞞の上に生きていると言っていましたが、芸術というのは、人間の構造であるが故に、芸術ではないものを芸術の名において鑑賞することを、無上の喜びとする混濁のシステムなのです

  ブロンズィーノに対して、同じマニエリズムの時代のヤコポ・ダ・ポントルモは、《真性の芸術》なのです。実はこのポントルモの弟子が、愛の寓意を描いたブロンズィーノなのです。ですから共通性も、多くあるのです。だから比較の原則に当てはまりますから、比較してみてみたいと思います。

360px-Jacopo_Pontormo_004.jpg

ヤコポ・ダ・ポントルモ『十字架降架 1526-28頃

《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》

《象徴界》の眼で《超1流》〜《7流》の《真性の芸術》

《現実界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》

固体/液体/気体の3様態がある多層表現

《想像界》《象徴界》《現実界》の重層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

透視画面の絵画(本物の深いイリュージョンの絵画)

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

  両方を並べて、比較してみます。

 デザインと《真性の芸術》の、かすかな差を感じていただければと、思います。


ポントルモとブロンジーノ.jpg

 ブロンズィーノの作品の,原始平面特有の空間の浅さと、そして裸婦の肌が、目に直接的に飛び込んでくる直接性の効果性こそが、デザインのグラフィックな魅力なのです。

 日本の作家で見てみます。琳派の鈴木其一です。鈴木其一は、酒井抱一の弟子です。琳派の代表的な《真性の芸術》家と言えば、俵屋宗達です。この其一と宗達を比較してみます。

宗達其一.jpg

ここでも、其一の原始平面の空間の浅さと、目に直接来る感覚が、デザインのグラフィックな魅力なのです。

念のために、風神雷神図を芸術分析をしておきます。
《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超1流》から《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》

固体/液体/気体の3様態がある多層表現

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ重層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

透視画面の絵画(本物のオプティカルイリュージョンの絵画)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 さて、しかしアートとデザインを区別する方法は、実は2つあるのです。

 一つが、連載の1/2で述べた、制度的な区分です。そしてそれには実用美術をデザインとして、鑑賞芸術をアートとするという、目的別の区分も、重なっていました。

 もう一つのアートとデザインの区分が、彦坂尚嘉がやっているフロイト/ラカン的な芸術分析による分類です。そして絵画構造としては、《真性の芸術》が透視画面で出来ているのに対して、デザインは原始平面の上に描かれているのです。

 この2つの区分の方法があることで、実は、わけけの分からない、複雑な事態になるのです。この迷路を解く事は。普通の人には,出来ないし、美術史の専門家の多くも、出来ないものなのです。それに透視画面原始平面の区分も、見分けが専門家でないと出来ないむずかしさがあって、ここでは解説をする文字数がありません。

 その、実例を挙げます。
 誰でも知っている作家を上げます。その代表がフェルメールの絵画です。
girl_with_the_wine_glassINTRCTV.jpg
ヨハネス・フェルメール《ワイングラスを持つ娘》 
《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の美術、固体美術
《気晴らしアート》《ハイアート》
原始平面の絵画(ニセの深いイリュージョンの絵画)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 この作品は今年日本に来ていて、東京美術館で展示されたものです。
 この上の図版の床を見て下さい。床が水平の空間で統一されていません。赤いスカートの手前の床と、スカート向こう側の床で、矛盾しています。実は、こういう矛盾が、フェルメールの絵画にはたくさんあるのです。その原因は、絵画を大きな空間構造ではとらえていなくて、細部に捕われて描いているからです。スカートの描写を見ても、絵画全体の中で描かれていなくて、問題があるのです。人体にも背骨がきちんと通っていないような感じがあります。

このフェルメールと同時代の17世紀オランダの画家が、
レンブラントです。
ですから、比較の原則である類似性近縁性からは、可能な比較なのです。

Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_014.jpg
レンブラント
Deutsch: Artemisia (also described as Sophonisbe )

《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超1流》〜《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》

固体/液体/気体の多層的な表現
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界のある重層表現
《シリアス・アート》《ハイアート》
透視画面の絵画(本物の深いイリュージョンの絵画)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この両者を並べてみます。
フェルメール/レンブラント2.jpg
どうでしょうか?
レンブラントの《超1流》《41流》の絵画の凄さと、
フェルメールの《6流》のデザイン的エンターテイメントの差が、
見えるでしょうか?
大空間性が、圧倒的にレンブラントにあります。
フェルメールの絵画は、原始平面で、欺瞞に満ちて矮小ですが、
しかし、だからこそ多くの人の人気を博しているのです。
人間と言うのは矮小であり、欺瞞に満ちているのですから、
そういう絵画が人気があるのは当然と言えます。
清水誠一さんもフェルメールを見に行っていて、感動していました。
困ったものですが、ひとそれぞれで、致し方ありません。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

長谷川等伯松林図.jpg
長谷川等伯 松林図 国宝
《想像界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の美術、固体美術
《シリアス・アート》《ハイアート》
原始平面の絵画(ニセのオプティカルイリュージョンの絵画)
フェルメール/レンブラント.jpgフェルメール/レンブラント.jpg
 日本美術ですと、長谷川等伯の松林図です。国宝ではありますが、これは純粋の原始平面上のデザイン的エンターテイメントなのですが、それが多くの人々の人気を得て、有名な《真性の芸術》の芸術作品として信じられているのです。
 この長谷川等伯が模倣している先生の作家が牧谿です。牧谿は中国の宋末から元初、つまり12世紀後半の画僧です。この作品を見て下さい。
牧谿2.jpg

牧谿.jpg
牧谿「漁村夕照」(2枚に切られてしまっています)
《想像界》の眼で《超1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超1流》〜《41流》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《41流》の《真性の芸術》
固体/液体/気体の多層的な表現
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界のある重層表現
《気晴らしアート》《ローアート》
透視画面の絵画(本物のオプティカルイリュージョンの絵画)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お手本の牧谿と、
模倣した等伯を比較して見ます。
牧谿と等伯.jpg

さらに、両方の全図を見てみましょう。

牧谿全図.jpg

松林図全図190.jpg

この全図を比較してみます。

牧谿等伯全図.jpg
さて、どうでしょうか?
牧谿と、等伯の空間の質の違いが分かっていただけるでしょうか?

等伯は原始平面ですから、霧の向こう側の空間に深みが無いのです。
長谷川等伯の松林図が、《6流》の原始平面のデザイン的エンターテイメントであると断ずる彦坂尚嘉の主張にも、一理はあることを認めていただけたでしょうか。

 もちろん国民的な名画となっているこの作品を、排除しろと言っているのではありません。こうした原始平面のデザイン的作品を、《真性の芸術》として賞賛する錯誤と欺瞞の構造こそが、芸術という構造であり、そして人間と言うものの欺瞞性なのです。自己欺瞞や芸術欺瞞を悪いと、一方的に批判しているのではありません。私たち人間は、こうした欺瞞性という構造においてしか、生き得ないし、社会を構成できないし、そして芸術を所有できないと言っているのです。

ですから欺瞞を正そうとして指摘しているのではなくて、このまま欺瞞を続けようと言っているのです。人間はこうした錯誤から逃れ得ないのです。

 繰り返しになりますが、すでに述べている様に、芸術の名において、芸術ではないデザイン作品を、芸術として鑑賞し、賞賛するという、芸術欺瞞システムの代表的な例が、フェルメールと、長谷川等伯という、今日の大人気の作家たちなのです。ここにこそ、アートとデザインの区別の不可能性と、そして真の覚醒の可能性があるのです。

 



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。