という意味なのですが、
私特有なボキャブラリーですので、
もう少し背景まで含めて
ご説明させていただきます。
◆◆全人類史という根拠◆◆
そもそもは椹木野衣氏の「現代美術は根拠が無い」という主張に同意できないものがあって、何とか説明できる概念装置が欲しかったのです。
「根拠」というのは、物事が存在するための理由となるもの。
存在の理由というものです。
現実に存在している現代美術を、根拠の無いものとただ言う、それを鵜呑みにするほど、私はナイーブでもないのです。
そもそも根拠とは何でしょうか?
ルネ・ジラールというフランスの文芸批評家の本に『世の初めから隠されていること』(法政大学出版局)というのがありますが、私たちの人生の根拠というのは、初めから隠されているのです。
アインシュタインの一番弟子といわれたデヴィッド・ボームは、「真の秩序は、人間の思考を越えたところに隠されている」と主張しています。
隠れた秩序というものがあると思います。科学者が知っているのは、すべて、表に出た秩序なのです。むろんその現れ方に、どういう法則があるかを、一定の範囲に限れば、知ることができます。しかし、それはすべて、隠れた秩序から出てくるものなので、『始まり』が、どうであったかを問うことは無意味なのです。たとえば、テレビ番組をストーリーの途中から見始めて、前がどうであったのか尋ねるようなものですね。ともかく、表に現れた秩序は目に見えますが、もっと深く理解するためには、それがどこから展開されているのかを、理解しなくてはなりません。科学を超えた存在の領域があるのです。
法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始したのは伊東忠太です。「根拠」というものを示すのは,一つは科学的な学問的な研究ですが、伊東忠太の説は、実は科学を超えたものであったのです。
円柱の中央部に膨らみをつけて立体感を付ける技法をエンタシスというのですが、伊東忠太は、法隆寺の柱に、ギリシャ・パルテノン神殿に端を発するエンタシスの柱の性格を見つけて、その軌跡を辿るために日本からギリシャへ逆行して調査行を敢行した人物です。
しかし3年間歩いてみたけれど証拠がないという結論になりました。
法隆寺につながる木造建築など一つもなく、石造から木造に変わった証拠はなかったのです。それ以降、伊東忠太は黙るのです。そして日本の建築史の中では、誰もこの説を支持するものはいないという事です。
井上章一氏の『法隆寺への精神史』(弘文堂)や藤森照信氏の『天下無双の建築学入門』(ちくま新書)では、否定的な見解のようですが、しかしお二人の本を少しですが読んで来た私としては、優れた方々ではありますが、しかし鵜呑みには出来ないものをお二人の著作はもっているのです。
つまりトロイの木馬で有名なトロイアを発掘したハインリッヒ・シュリーマンの業績は、今日では学問的には否定されていますが、しかし伝説として学問対象にもならなかったものを、シュリーマンの発掘は考古学に大きな影響を与える事に成功しているのです。そういう失われた環を追い求める情熱の問題で言えば、私は、シュリーマンや伊東忠太の系譜の人間なのです。常識人からは与太話と言われるような喪失の物語のロマンを、追い求めて行く人間なのです。
つまり私たちは、デヴィッド・ボームが言う様に、途中からテレビドラマを見ていて、始まりを知らないのです。そして『世の初めから隠されていること』というものがあるのです。その隠されたものへの探求抜きには、この世界の根拠や、自分自身の根拠も、現代美術の根拠も分からないことになるのです。
私は建築史の専門家ではないので、証拠を挙げる事はできません。まあ、建築史の専門家はすでにおやりになっているとは思いますが、中国や朝鮮の木造建築は燃えているものが多いので、絵画に描かれている建築を検証してみる必要はあります。証拠は無くても、様々な傍証から、エンタシスの影響が日本に伝わった事を否定する証拠も無いのではないかと、思っています。
ネット検索すると、建築史を途中で止められたEivisさんが、次の様に書かれています。
学説は絶えず新しい発見によって変化すべきものですが、、、『ギリシャ建築のエンタシスと法隆寺回廊などの日本のエンタシスと呼ばれているものは本当は別の(関連のない)ものです。』〜と言い切れるものか、あまりその論文を根拠にした話を聞いていないので疑問には思います。
私はエンタシス説の時代に教育を受けてはいますが、本当にそうなのだろうかと言う野次馬的疑問は持っていました。しかし、韓国の寺院にもエンタシスの例は多く見られ、石に描かれたレリーフ的な建築画像の柱など柱のフクラミが画かれた例は中近東から各地に案外多いのです・・・若い時に歴史関係の研究から別方面に鞍替えしたので証拠を出しにくいのですが。。。
しかし最近の例では[山田寺]の柱が法隆寺よりも30年も前にエンタシスの様相を呈していたと言う報告があるので、新しい研究結果が出るのは期待できます・・・問題は、ギリシャのエンタシスと無縁だと言う証明の方が現時点では難しいように思いますが?
建築史の研究からは手を引いたハミダシ者の意見ですからあまり役に立てなくてすみません。
Eivisさんがご指摘の様に、ギリシアの建築が日本にまで影響を与える事は、十分にあり得る事なのです。
たとえば仏像は、ギリシア彫刻の影響で生まれたと言われます。
紀元前330年頃にアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。その後も紀元前2世紀にはバクトリア王国のギリシャ人の支配を受けるなど、西方文化の流入は続いた。つまりガンダーラの仏教美術とは、仏教とギリシャ美術が融合した結果であったのです。
そのギリシアの影響が日本の仏像まで来ている以上、日本にギリシア建築の影響が伝わってくるということは、あり得たのです。
「石造から木造に変わった証拠」というのは、次に述べる尺八の例があって、この手の類推は可能です。エジプトの縦笛は、セピ(Sebi)と言うのですが、立って演奏する立奏で、足のスネの半ばまである長いものでした。管は芦茎で作製されていました。これはリード〔簫)を有しました。日本の尺八は気鳴管楽器てあり、又縦型唇笛属に類するものですが、東洋首楽研究家の間では、これが尺八の遠祖であると考えられているのです。つまり芦茎が、竹に換わるのです。
伊東忠太を先人として、そのような影響関係を見てみましょう。例えば、相撲ですが、日本の相撲だけを見ると特殊に思えますが、実は相撲は紀元前2000年前のエジプトで完成されていたスポーツで、ピラミッドの壁画に決まり手の四十八手がすべて描かれているのです。
エジプト相撲は、オリーブオイルを体に塗って取り組む、油相撲でした。それがトルコ、モンゴル、中国、朝鮮と、シルクロードを伝わって日本まで来ているのです。
【出典】NHKテレビが初代・若乃花とともに作ったドキュメンタリー・シリーズ。私はこれを全部見ています。この後、曙が初めての外人力士として横綱になります。
ですからモンゴルの相撲取りの出現も歴史的必然はあるし、そもそも人類文明の発生の起源に、相撲は根拠を持っているのです。ですから今日のグローバリゼーション化した相撲には、歴史的な根拠があるのです。
尺八や相撲に限らず、、直角定規や、なす(茄子)、そして√2の比例など、多くのものがエジプト、そしてローマ帝国から日本の来ているのです。ですから、日本文化というのは、特殊なものではなくて、古代エジプト文化の末裔であって、欧米文化と同じ文明の起源を持っているのです。
この文明の問題で、MIZUTIさんから、
『歴史の消滅から、過剰な《破れ》を求めて』というブログの時に、
下記のようなご質問をいただいています。
この、中世の再来という、西欧文明の歴史の延長としての流れは、世界レベルで逃れようのない、絶対的なものなのでしょうか?
私たちは西洋人ではありません。
にもかかわらず、
帝国主義時代(近代)に西欧が世界を凌駕したこととその残余、
事実上「近代化」とは我々東洋人にとってはほとんど「西洋化」であったこと、
さらには現代のグローバル化によって文化圏同士の境界線が曖昧になったこと、
等々によって、我々東洋人も、西洋の歴史過程である「中世の闇の再来」に、嫌でもご一緒しなくてはならないのでしょうか。
あるいは、東洋と西洋という「二元性」も融解してしまうのでしょうか。
などということが頭に浮かびました。
またいつか別の機会に、このような問題についてのお話もきければ幸いです。
by mizuti (2008-10-16 19:32)
私見を申し上げれば、私の視点は全人類史にあって、東洋と西洋という区分をとりません。
美術史も全人類の美術史というものを、考えています。皇居美術館空想に続いて、巨大美術館空想の第2弾作品が、この全人類美術館(帝国美術館)空想です。
何故に、全人類の歴史なのか?
まず、問題なのは、人類の発生そのものの問題です。人類は東洋で発生したのでしょうか?
アフリカなのです。
ヒト属はおよそ200万年前にアフリカで、アウストラロピテクスから分化したと考えられています。いくつかのヒト属の近縁種がいたことが分かっています。エジプトから多くのものが日本に伝わっているのも、このアフリカにエジプトがあって、そのアフリカで日本人の祖先が生まれた事と、関連があるのかもしれません。
現在は絶滅しているのが確認されている中には、アジアに生息したホモ・エレクトゥスが含まれています。多地域進化説というのがあって、それを主張している科学者は、世界中に分散した単一のホモ属、おそらくホモ・エレクトゥスが、各地でそれぞれ現代人に進化したと考えているようです。もしもアジアに生息したホモ・エレクトゥスが、私たちの祖先であれば、東洋の歴史を、分離して考える事に意味があるかもしれません。しかし化石の証拠は、この多地域新仮説を立証するのに十分ではないということです。
ホモ・サピエンスは40万から25万年前に現れています。科学者の間で主流の見解は、アフリカで「最も近いアフリカの共通祖先(RAO)」が進化し、世界中に拡散してホモ・エレクトゥスとホモ・ネアンデルターレンシスに置き換わったというのです。
もしも私達の祖先が、アフリカで発生したアウストラロピテクスであって、それが全人類の共通の祖先であるのならば、全人類史という枠組みで考えてみる必要があると、私は考えたのです。
◆初めにすべてありき◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
とにかく、古いところから考えると、根拠の問題は、見えてくるのです。、
現在哲学を学のはむずかしいですが、昔のギリシア哲学を学ぶと、簡単に人間が思考する事がどういう事なのかが理解で来ます。古代インド哲学や、諸子百家の中国の古典思想を学ぶ事で、現在の哲学に至る入門を果たす事ができるのです。
芸術という事が理解できない人でも、昔の美術を見ると、理解しやすくて、たとえば本物のヤン・ファン・エイクの絵画の宝石の様な美しさを見ると、芸術というものが単なる仮説ではなくて、本当に存在するものであることが、理解できる様になります。
ヨーロッパの油彩画は、15世紀になってヤン・ファン・エイクが、クルミ油などで顔料を練り合わせて使って、本格的に始まったとされています。
この油絵の具の起源は、東洋の漆にあって、漆の透明性のある色の輝きのフェイクとして、油絵が開発されたというのです。漆の漆器は、ヨーロッパでは「ジャパニーズ」と言われます。ですから日本の漆器と、油絵の具は、大昔に、影響関係があったのです。
漆器は中国が発祥地で、中国の殷(いん)(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)の遺跡から漆器の一部が発掘されたこともあって、漆器の技術は大陸から日本へ伝わったと考えられていました。
ところが、北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から、中国の物を大幅に遡る約九千年前の漆器が見つかりました。また漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認されたのです。このことから、漆器の日本起源説も主張されています。何故に「ジャパニーズ」と言われたのかを含めて、日本起源説は、油絵への波及もあって、私には興味深いのです。
せっかちにならずに、古典を学び、教養を身につければ文化の根拠というものは、理解できる様になります。
ですから現代美術も、長い歴史の中で見ると根拠があるのです。『歴史の消滅から、過剰な《破れ》を求めて』というブログで書いたように、歴史の中で空虚や、無化が発生して、現在には多くのものが失われていても、それでもなお、古いこうした文化の存在は、現在の空虚や無意味性を超えて、現在の私たちの生きる意味を再構成してくる力があるのです。
今日の現代アートには、古典には無かった根本的な変化がありますが、その変化の構造を大局的に捉えれば、理解することが出来ると、私は思うのです。
椹木野衣の主張というものは、情報革命にともなうリエンジリアニング的思考を拡大したものに過ぎません。さらには単に、現在の無知無能の教養の無い多くの人々のリアリティを基盤とした戯言なのです。確かに彼らには受けるかもしれませんが,この無知無能の人々の空虚性を超えて行く必要があるのです。それには過去に学ぶ必要があり、そしてこの過去との大きな連続性を把握する枠組みが必要なのです。
◆新しい大きな物語、
あるいは小さな物語の集合による巨大化◆◆◆◆◆
古い友人の中上清氏は、平安時代の日本人も、現在の日本人も、目が2つあって、鼻が一つ、口も一つであって、同じである。だから人間は変わらないものであって、普遍は一つであると言います。
しかし、平安時代の人が急に現在の東京にタイム・ワープして来ても、山手線の電車に乗る切符は買えないし、もちろん自動車も運転できない、電話すらかけられないし、メールも打てない。現代社会には適応できない無能者であるし、ある意味での身体障害者となってしまいます。つまり目は2つで鼻は一つで、身体的な特性は同じでも、道具を使いこなす能力では、違いがあるのです。
何故にこういうことになるのだろうか?
それは進化というのが身体変形であるからです。キリンは首を長くし、象は鼻を長くしていった様に、動物は身体を変形して進化してきたのです。そして人間は脳を大きくし、前頭葉まで大きくして、身体の変形の極限にまできたのです。
それ以上の身体変化が出来なくなった時に、人間は道具という形で、身体を外部に出して、それを進化させる事で、道具進化を新たな進化領域として展開して来たのです。ですから平安時代の日本人よりも、現在の日本人の方が、多くの道具を使う事で進化を果たしているのであって、同じ進化段階ではないのです。
爪や歯は、人間の自然に備わった武器でした。
この爪や歯を、道具として身体の外に出すと、石器になります。
石器をさらに発達させると、青銅器や鉄器になります。
日本刀も、もともとは爪や歯という身体の外化したものなのです。
そして鉄砲や大砲、機関銃や大砲、ミサイルや原爆もまた、
人間の爪や歯の発達したものなのです。
大陸弾道ミサイルに搭載された水爆が、
実は爪や歯の進化したものであったということが、
理解される事が重要なのです。
水爆の起源が、爪にあったことは、重要なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、こういうわけで、人類の長い歴史的な変化を、大枠で理解する必要があります。
◆◆様態変化をしてきた人類社会◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そこで液体の水が「沸騰」すると水蒸気の気体になる、
というという変容のイメージから、
次のような誰にでも簡単に理解できる基準で、
全人類の歴史を四つに分類して《水の比喩》で組み立てたんです。
原始社会・・・・氷の社会(固体社会)
農業化社会・・・氷の社会(固体社会)
産業化社会・・・水の社会(液体社会)
情報化社会・・・水蒸気の社会(気体社会)
《水》という物質は固体でも液体でも、気体でも、どの段階も普遍 的に《水》であって変わらないのですが、しかし温度が変わって、水が凍ると、氷になります。「融点」を越えると氷は水に、「沸点」を超えれば、水は水蒸気にというように違う状態を示します。
氷、水、水蒸気と、H2Oは、固体、液体、気体と、変化して行きます。
こういう変化を様態変化と言います。
【続きは下をクリックして下さい】
今回も不勉強な私の質問に、たいへん御丁寧な説明を頂いて恐縮です。
美術を全人類史という壮大な視点で捉え、進化論(文明の利器も進化の延長として捕らえる視点)も加味した考察には感服させられました。
漆と油絵の関係は初めて知りました。
どうもありがとうございました。
by mizuti (2008-11-09 13:00)
追伸ですみませんが、
科学の視点についても論じられていますが、この「隠れた秩序」の問題も興味深いものがあります。
量子論などでも、
ベルの定理とアスペその他の実験によって、アインシュタインの局所的因果関係(古典的な因果関係に基づいた宇宙像に相対論の枠をはめたもの)が、事実上否定されました。
その後は、「非局所的」な因果関係を考える人達と、
表に現れてくる、全くの蓋然性の世界しか認めない人達に、
見方が分かれているように思います。
科学と、それを支える学問的思考(哲学?)についての、考え方の根本的な違いが、これらの人達の間に見られると思います。
by mizuti (2008-11-09 14:28)
ギリシャのエンタシスが法隆寺で見られるとすると、当時の建築技術は導入技術のように思いますので、建設者はギリシャから来ているのでしょうか。法隆寺などの時代に見られる外来の文化的なものはギリシャ以外どのようなものがあるのでしょうか。その辺りを総合的に解説されているものは何かありますか。
古代西ローマ帝国の滅亡との関係などにも興味があるのですが。
by 石山みずか (2009-03-17 15:01)
g1@=KswP, boin.ex-navi.biz, パイパンで素股をするエロ動画, http://boin.ex-navi.biz/paipan/68.html
by パイパンで素股をするエロ動画 (2011-10-28 00:46)