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気体/液体/固体/絶対零度の4様態 [アート論]

○自然採取社会・・・絶対零度の不動の固体社会

1.自然採取社会
 自然採取社会はオーストラリアのアボリジニーのように完全に自然状態で、市場が無いので動かない(進歩がない)社会です。それは真にコロジカルな社会です。
 自然採取社会での美術は気体まで凍って氷になったマイナス273・15度の《絶対零度の美術》であり、 この時代は、文明以前の自然社会で、アートの格付けで言えば《6流》の世界なのです。その美術は洞窟画、縄文式土器、アフリカの黒人彫刻などから「原始平面絵画」までです。「原始平面絵画」というのは《6流》なのですが、後で、述べます。
絶対零度美術の現在

○農業化社会・・氷河がゆっくり流れるような動く固体社会

2.農業化社会
農業革命が起きます。この農業革命と言う言葉は、アルビン・トフラーの『第3の波』という書物での用法によっていて、人類が最初に農業を始めた状態を言っています。普通の歴史学で「農業革命」というと、18世紀に産業革命と連動して起きた農業革命を言いますが、ここではトフラーの意味で使って、人類が農業を開始したことを指し示します。
 農業化社会は《農業革命》後のぶつぶつ交換から貨幣経済の開始による、ゆっくりと動く氷河のような動く固体状の社会です。ゆっくりと歴史が流れます。
 農業化社会は、その前の狩猟社会を全面的に否定することで成立した王朝文明の社会です。
 そこでの美術は、気体は気化して水が氷として固まって、ゆっくりと動いて(進化して)いる《固体美術》であります。基本は《1流》の美術です。原始平面の原始美術が、抑圧されると《1流》の美術が出現します。文明の中では《1流》の後に、《2流》や《3流》が出現します。最後に《21流》が出現するように見えます。文明の中でも、新たに自然性をもった《6流》も出現します。これは分かりやすく言えば文明的野蛮というべきパンクの出現です。実例を上げれば、中国の唐の時代に出現した書道である懐素の文字です。その作風は狂草と呼ばれる草書のなかでも奔放な書体を得意とし、張旭とは「顛張醉素」と並称され名を斉しくし、後世に多大な影響を与えた。
 《1流》の絵画の構造は「透視画面絵画」です。「透視画面絵画」では地と図は等価であり一体化しています。透視画面というのは、中国では五世紀にできたと言われているのですが、《書》で見ると四世紀の王羲之ですでに透視画面なのです。同様なことが西洋にも云えて、普通は透視画面というのは十五世紀のイタリアの発明だといわれていますが、しかしエジプト美術では、私の分析的な眼で見ると透視画面です。《農業革命》が起きて巨大古代帝国が成立した段階で、透視画面の基本は誕生していて、狩猟社会の原始平面とは違う段階に入ったと考られます。
固体美術の現在

○産業化社会・・水が早く流れる河のような流れる液体社会
3.産業化社会
 産業化社会は、一八世紀の《産業革命》の蒸気機関の登場以降の社会で、氷河が溶けて水になり、川が一直線状に流れるような液体状の社会です。だから「前」、つまり「前衛」が成立したのです。産業化社会へ、その前の農業化社会を封建的で因習に満ちているとして全面否定して、その一つ前の狩猟社会を肯定化し、流動して進歩する運動性の早い社会を作りました。  
 美術はゴヤのそれから始まったと考えられる「モダニズムの美術」と呼ばれた《液体美術》であり、ルネッサンス以来の描写芸術を次第に溶解しながら抽象芸術に向かったのです。しかしそこでの絵画は《液体美術》であっても「透視画面絵画」であり《固体美術》からの継続性を保っていました。
 多くのグラフィック・デザインや、インダストリアル・デザイン化された大量生産品も《液体美術》で、この「モダニズムの実用美術」を形成し、現代の社会の上層を覆っています。
 そしてまた戦前の日本画の優れたものは、油彩の失敗とは異なって近代化に成功した《液体美術》でありました。日本画出身の村上隆の絵画もまた近代的な《液体美術》であって、彼の作品が少し古く感じる理由は、今日の先端である現代的な《気体分子美術》ではないからです。それでも今日的な意味があるとすれば、それがかつての「純粋液体」ではなくて《不純液体美術》だからです。
液体美術の現在


情報化社会・・水蒸気の雲のような気象化した複雑な気体社会
4.情報化社会
 情報化社会はA一九四五年の原子爆弾と翌年の真空管を使ったコンピュータ「ENIAC」の登場以降の社会で、モダニズムは沸騰し気体分子状の社会を、超上空に浮遊させ、次第次第に、超上空文明に移行していきます。
 《気体分子美術》はポロック以降の「現代美術」で、産業化社会の美術を否定して沸騰させ蒸発化させる反芸術的衝動の上に成立します。しかし情報化社会の絵画は、ここでも「透視画面絵画」です。この「透視画面」の継続性は、今日のコンピュータ・グラフィック・アートに至るまで連続する芸術作品に固有の極めて重要な一貫性だと考えます。
 問題なのは、氷河(農業化社会)や河川(産業化社会)が線的な痕跡をのこして歴史を形成しやすいのに対して、気体分子(情報化社会)はブラウン運動で単純な痕跡を残さないので歴史を形成するのが難しいことです。ブラウン運動には「前」は無いから「前衛」はありません。
 完全に揮発した一九六八年~七二年以降は、《気体分子美術》と言うのは歴史を形成しないですから、早い遅いというのも相対的であって、注意しなければならないのは「気体分子」状態は極めて不安定で、温度が下がると水や氷に舞い戻って、雨や雪や雹(ひょう)になって落下してしまうということです。アーティストにとって問題なのは、むしろ気体分子化して、浮遊して、地に足のつかない、不安定なランダムな動きを続けるだけのエネルギーが維持していられるか否かです。椹木野衣氏が見落としているのは現代美術がこの《気体分子》であることの
姿なのです。 
 だから、今日のIT革命の始まった情報化社会の「現代美術」と呼ばれてきたものの中にも《気体分子美術》だけではなく、古い《液体美術》《固体美術》《絶対零度の美術》に落下し、退化したものが混在しています。これを鑑定して見分分類する必要があります。

●現在の中の絶対零度
しかし生物の進化で云えばウイルスや単細胞生物が滅びずに継続しているように《絶対零度の美術》の表現は、広告やイラストレーション、マンガ、ぬいぐるみ、人形などとして今日でも広い基底的領域を占めている。歴j的な《絶対零度の美術》が、しかし社会の表現の下層を形作っていて現在の表現でもあるというわけです。
 絵画で云えばソヴィエト時代の社会主義リアリズムの作品も《絶対零度の美術》でした。そこでの「原始平面」は完全に絶対零度で凍りついていて不変です。つまり地である平面が最低エネルギーの状態にあって、図と完全に分離している。あるいは遠くの風景が描かれていても、そうした背景は芝居の書割(かきわり)、【西洋では[バックドロップ]あるいは[バック・クロス]】のように背景を布に描いてカーテン状に下げる状態で、本当に手が画面の中に入るような深い空間が描かれていない。
 原初であるはずのウイルスが、様々に変化していくのと同様に、《絶対零度の美術》も様々な形で変化して現在形の新種を生み出してくる。森村泰昌氏の作品もコンピュータ出力で、大画面で、あれを原始美術とは云うはずのないものなのに、しかし作品構造的には透視画面にはなっていなくて原始平面上の作品で《絶対零度の美術》の構造をしている。それに対して、良く似て見えるシンディ・シャーマンの作品は、透視画面上の作品で、情報化社会の《気体分子美術》なのです。二つは似て非なるものと言わなければならない。
現在の中の固体美術
これら《固体美術》もまた、今日にまで継続して社会の中層領域を占めています。アマチュアの美術や、学生の作品、団体展の美術の大半は《固体美術》です。
 明治以降の日本の油彩画の多くは《固体美術》でした。西洋《近代》絵画(=液体美術)を輸入しようとしたにもかかわらず、日本人の描いた「洋画」は、例外はあるにしろ大半は《固体美術》に退化したものでした。つまり《産業革命》以前の前-近代美術でありました。西洋《近代》絵画の輸入は失敗したと私は考えます。
気体美術の現在

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