大琳派展/酒井抱一(最後に加筆2) [アート論]
◆◆酒井抱一◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒井抱一が風神雷神屏風を描いています。
宗達の原画を知らずに、尾形光琳の「風神雷神図」が宗達の模写であると知らず、オリジナルと信じて描いたものです。出光美術館の所蔵です。。
《想像界》の眼で《6流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の美術、固体美術
《気晴らしアート》《ローアート》
私はこの作品が嫌いできたのですが、今回は4つの風神雷神図が並んだせいと、私自身が成長して《6流》へのアレルギーが理性的に抑制できる様になったためか、この作品も落ち着いてみることが出来ました。酒井抱一なりに全力を尽くして描いた作品で、《6流》絵画として良く描けているのです。
酒井抱一は、神田小川町の姫路藩別邸にて、藩主世子酒井忠仰の次男に生まれています。
つまり江戸生まれで、姫路藩主の次男という、身分の高い侍なのです。
17歳で元服して1,000石を与えられるますが、次男ということで、長男のような家長としての意味がないので、若い頃から俳諧や狂歌、浮世絵等に才能を発揮しています。まあ、遊び人なのですね。
37歳で西本願寺で出家して、その後、尾形光琳に私淑したのです。
江戸琳派の創始者なのですが、光琳の事績の研究や顕彰に努め、彼の没後100年に当たる文化12年(1815年)に百回忌記念の光琳展覧会を催しています。江戸時代に開催された光琳回顧展なのです。その時の縮小版展覧図録である『光琳百図』上下は、後にヨーロッパに渡り、ジャポニズムに影響を与えたというのです。
江戸琳派こそが、現代アートの薄い世界の祖先と言うべきものなのです。そういう意味で酒井抱一をみると、なんというか、駄目さにおける一つの真実が見えます。分かりやすく言うと江戸の食事のようなものです。江戸の食事は質素であったと言うのですが、関西に比べれば、田舎で、新興の大都会であって、貧しかったのです。食事にあった美術が酒井抱一や鈴木其一の《6流》美術であったと言えます。
【出典】猪俣 公一/江戸の食事情http://www.med.nihon-u.ac.jp/home/bungeibu/no20/edo.html
奈良美智と比較すると、同じ《6流》ですが、
しかし、酒井抱一の方が芸術性は高いです。
奈良美智は、1959年12月5日生まれですから、
もうすぐ49歳です。
50歳、60歳、70歳になっても、
ああいう若い子が描くようなドローイングを描いているのでしょうか。
変な気はします。
下の図は、酒井抱一の重文 夏秋草図屏風 です。
これはこの風神雷神図の裏に描かれていたものです。
と、書いたのですが、これが私のまったくの間違った思い込みで、ghdさんがコメントで指摘してくれたのですが、光琳の描いた風神雷神図屏風の裏に、酒井抱一がこの夏秋草図を描いたのでした。この歳まで気がつかなかったのは、たぶん、この絵が嫌いだったからでしょうか(笑)。
最近の研究によると、この屏風が第11代将軍徳川家斉の実父にあたる一橋治済(はるなり)の注文によって文政4年(1821)頃に完成したとのことです。
表の光琳の風神雷神図の金地に対して、裏を銀地としています。金銀での対応なのです。
光琳の雷神の裏に酒井抱一の夕立に打たれて頭をたれる夏草を、光琳の風神の裏に酒井抱一の野分の風に吹きあおられる秋草を対応させたというのです。
この屏風の成立に、旱魃(かんばつ)と雨乞いという社会背景があったというのです。
そういう興味深い事実は、確かにこの屏風の価値を高めます。
すでに述べた様に、今回実物を見ても、酒井抱一は酒井抱一で、一生懸命に描いていて、彼らしい魅力のあるものとなっていることを認めるのに、私はやぶさかではありませんでした。
それでもなお、《超1流》の俵屋宗達と比較すると,《6流》の酒井抱一は落ちるのです。この落差が何を意味するのか?
この差の中には透視画面と、原始平面という、絵画の基本的な構造の差が横たわっているのですが・・・同時にそれは人間の精神の2つのスタイルをも意味していて、この落差の間には,なんとも言えぬ深淵が横たわっているのです。
人間の精神の2つのスタイルというのは、
世界を深く見るか、浅く見るかの違いです。
しかし、人間は、私自身を振り返っても、
結局、浅くしか見ていないし、生きていないのです。
私の料理は、圧倒的に《6流》が多い。
とても料理とは呼べない物です。
ただ、塩も入れずに茹でるとか、
それだけですから。
どうころんでも、浅くしか生きていないのに、
しかし酒井抱一の絵画には満足できない、自分が居るのです。
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料理でも、《6流》《8流》の普通の食事と、
《1流》の料理、
さらには《超1流》の料理と
幅が必要なです。
芸術も、実は《超1流》の大芸術だけでは、
人間の世界は成立しないのです。
多くの人には《6流》の美術作品で十分だし、
せいぜいが《1流》の芸術で良いのです。
たぶん《超1流》の芸術というのは、
芸術のための芸術と昔の芸術至上主義が考えた、
そういう芸術の自立したものなのです。
それは少数のマニア、あるいはエリートにだけ必要な種類の美術なのです。
琳派の歴史とは、
《超1流》の《真性の芸術》である俵屋宗達からはじまって、
鈴木其一の《6流》のデザイン的エンターテイメントに至る,
美術の全領域を成立させた、
大運動であったと言えます。
琳派において、私たちは、芸術の全領域を見る事ができたのです。
琳派の流れに芸術の全領域の基本が現れています。
それは《超1流》《1流》《6流》の3領域です。
夏秋草図屏風は“光琳”の風神雷神図の裏に描かれていたのではありませんでしたっけ。
by ghd (2008-11-18 01:11)
ghd様
ご指摘ありがとうございます。
私の先入観による間違いです。ご指摘のように光琳の風神雷神図屏風の裏に描かれた作品でした。気がつきませんでした。ありがとうございます。感謝します。本文は訂正します。
by ヒコ (2008-11-18 01:34)
多くの人は世界を浅く見る6流芸術で充分と考えている.
超一流の芸術は少数のエリートだけに必要という定式
のこと,この間ずっと考えてきました.
彦坂様の評論の2重の意味,すなわち一方では
宗達,光琳,酒井抱一の評価で有ると同時に,
他の作品をも含めた現在の作品や
制作することの意味を問う視線がそうさせるのです.
上記の定式は定式と言うよりはむしろ現実を観れば
事実とも言える峻厳さで否定しようがありません.
しかし,どこかでこの2分の交差点は有るのではないかと
いうのが僕には長年の悩みになっていました.
別の表現を採ると,超一流の芸術(僕の場合はこれを詩と
捉えていたのですが)を必要としない社会に
未来は有るのかということです.
少数の芸術的エリートを真に必要とする社会,
それは一種の緊張状態で6流の芸術
を絶え間なく揺り動かす社会でもあるような・・・.
by symplexus (2008-11-21 22:26)
symplexus様
コメントありがとうございます。素人だけでは、現在の複雑な社会は動いて行きません。現在の経済危機でも、対策をとっているトップの経済専門家は、アメリカの場合は《超1流》の人物です。
美術史というのもそうであって、アメリカで見る限り、《超1流》のアーティストは、依然として出現して、ホイットニーバイアニュアル展に出て来ています。
フランス美術の場合には、かなり絶望的で、優れているアーティストをつぶしている様に見えます。同じ事は日本の現代アートにも言えて、もう少し、異質なものを評価する社会になって欲しいと思います。
技術開発もそうですが、《超1流》性を持った人間がいないと、開発競争には勝てません。
四国に見つけたギャラリーARTEの梅谷さんは、小さいですが、すぐれた《超1流》のアーティストを多く見つけてきて扱っている方で、日本の中ではめずらしいギャラリストであると思います。
あと、現在タマダプロジェクトにいて、活動している長嶺さんも、《象徴界》の強い作家を取り上げるギャラリストで、これも日本の中では異質なめずらしい方です。
by ヒコ (2008-11-22 20:59)
>彦坂様
生きた情報ありがとうございます.
世の中のことに無関心というわけではないのですが,
本当に重要と思われる作品を探す努力が
自分には欠けているのでは,と反省しています.
ギャラリーARTEとかタマダプロジェクトの長嶺氏のサイト,
まめにアクセスするつもりです.
批評がどのように社会機能としてビルト・インされているのかを考えると
”優れたものはいつか必ず発見され,認められるはずだ”というのは
事大主義にすぎるのかもしれません.
批評もまた圧倒的多数のステレオタイプの嵐にさらされているのですから.
作家は自分の中に批評家を持つとよく言われるのですが,
それゆえ,作家は自分の中の批評家によって自滅する時もある.
と,ここまで書いてふとうすら寒い仮説にとらわれました.
科学技術や生産力の空前の進展と
卓越したアートの出現は並行するのかどうか?
一作の傑作アートも生み出せなかった社会はどういう社会なのか・・.
この根深い不信感を粉々にする作品に出会えたらと思います.
by symplexus (2008-11-28 23:27)