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横浜トリエンナーレ(短く番外)中西夏之  [アート論]

横浜トリエンナーレ2008もあと10日となりました。

番外で、短く、中西夏之の絵画作品について触れておきます。

横浜トリエンナーレ出品作品の画像がないので以下の作品は、2003年のものです。

01.jpg
《想像界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント

液体美術、《想像界》の美術
《気晴らしアート》《ローアート》

この作品は芸術絵画としては駄目です。
《21流》というのはエロ写真の領域です。
荒木経惟の写真は《21流》、小林幸子の演歌も《21流》。

《真性の芸術》ではなくて、手描きの高級壁紙です。

埼玉近代美術館で、『アーツ・アンド・クラフツ{イギリス→アメリカ}』という展覧会を見て来ましたが、あそこに展示されていたウィリアム・モリスの壁紙が、同じく《21流》のデザイン的エンターテイメントでした。
williammorris460.jpg

WILLIAM-MORRIS-1882-zoom.jpg
21679-large.jpg
《想像界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、気体美術
《気晴らしアート》《ローアート》

中西夏之の絵画と、このモリスの壁紙が、
芸術分析的構造は同じなのです。

中西モリス.jpg
抽象と具象との差とか、
手描きの絵画とプリントものである差であるとか、
違いはあるのですが、
《21流》で、しかもデザイン的エンターテイメントでしかないということ。
そして両方とも《気晴らしアート》であり、
そして中西夏之作品も《ローアート》であると言う面で、同質性を
大きく持っているのです。

以前の中西夏之の作品は《6流》であったのですが、
何故に《21流》に落としたのか?

一つには中国現代絵画の影響というのがあるのではないのか?
と、私は思います。
1億円を超えるオークション価格になった中国現代絵画の、
ほとんど全部が、《21流》のデザイン的エンターテイメントなのです。
私の眼から見ると、こうした風潮に、
中西夏之も、
なびいたのです。

そして多くの人が《21流》のエロ写真や壁紙が好きな様に、
こうした絵画が好きなのです。

人間は、結局デザイン的エンターテイメントを歓迎するのです。

しかし《真性の芸術》と、
デザイン的エンターテイメントでしかないものの差は、
時間に耐える事です。

中西夏之が死んで、
時間が経って、
その晩年の壁紙絵画を多くの人が見る時、
何人かの人は、
中西絵画が、芸術と名ばかりで、
実はレベルの低い物でしかなかった事に気がつくでしょう。




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