芸術とビジネスの基本/ビル・ゲイツと小松安弘の顔(加筆2校正1) [アート論]
沈黙交易は、取引をする双方が,言葉も用いることなく行うビジネスのことです。
沈黙交易は、異なる共同体の交易方法としてあります。
つまり、共同体の内部での取引ではなくて、共同体の外部での交換が、
商業の発生の起源なのです。
ですから、ビジネスは、最初から外国貿易なのです。
共同体の内部というのは秩序がありますが、
共同体の外部には、秩序が無くて、カオスです。
このカオスの中での物物交換が、ビジネスです。
ある決められた場所に品物を置き、合図をして姿を隠すと、
取引相手が現われて等価と思われる品物を、相手の品物の傍に置いて去る。
取引の両者が相手の品物に満足すれば、相手の品物を持ち帰り、
交易が成立する。
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無言の物物交換にこそ、ビジネスの起源があります。
そして貨幣の起源は、この物物交換性にあります。
江戸時代にも貨幣はありますが、しかし物物交換性は残っていて、
米で給料をもらっていたのです。それが禄です。
藩主から給料として米をもらい、余った分は、
お金と交換して、いろいろなものを買っています。
貨幣は、モノではありません。
貨幣は、《信用》なのですが、
しかし、その根底に物物交換と、それを可能にしたカオスが
存在しているのです。
つまり物物交換という、モノの世界が基本としてあって、
それを抑圧否定して、モノではない《交換価値》に転化しているのです。
同時に、貨幣の基本には、出自の空間であるカオスが潜在しています。
このカオスを抑圧して、《信用》に転化しているのです。
つまり貨幣というのは、モノの、「まがいもの」なのです。
そして、カオスの「まがいもの」なのです。
ですから貨幣を《交換価値》という抽象的なものと信じ、
《信用》という秩序と見る事は、深層を見誤ることになります。
経済の実体は、モノのカオス世界です。
物欲と無秩序が経済世界なのです。
この「まがいもの」というのを、今の言葉で言えば、
ボードリアールが提唱した概念である《シミュラークル》ということに
なります。
つまり貨幣というのは、モノの《シミュラークル》であり、
カオスの《シミュラークル》なのです。
つまりビジネスという経済世界を生きるというのは、
《シミュラークル》にではありますが、
モノとカオスの世界を生きる事なのです。
つまり無秩序な物欲の世界を生きる事がビジネスです。
無秩序な物欲の世界を生きるというと、
思い当たる事がたくさんあります。
ディラーが見せる、餌を前にした犬のような目や、
作品をブツとしてしか扱わない感覚。
芸術への不感症性や、社会的風評からの自立性の欠如。
ビジネスで成功するための基本は、
コスモス=村の外の無秩序に出る勇気です。
物欲の動物的欲動を正視する、主体的強靭さです。
弱者にビジネスは、できないのです。
ビジネスの世界は、弱肉強食の世界です。
私にビジネスが分からなかったのは、弱者であったからでしょう。
幼い時から体が弱く、生死をさまよいながら生きて来たゆえに、
物欲の無秩序世界に、裸で入って行く勇気が無かった。
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さて、あいかわらずの悪口を言いながら、
世界は、こうした無秩序な物欲の世界に変貌してしまっています。
《シミュラークル》といいながらも、
モノのカオスの世界が、今日の私たちの生活世界なのです。
そこでは、根源的な秩序=コスモスの感覚が、抑圧されているのです。
こうしたビジネスの世界に、芸術家も生きなければならないという、
そういう主張が、村上隆の芸術起業論であり、
そしてその根元には、ジェフクーンズの存在がありました。
さて、遅ればせながら、ビジネスについて考えなければと
思うようになりました。
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