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長野重一の写真/外界を見る精神の被写界深度(加筆1) [アート論]

ピクチャ 10.png

昨日は、次回のアートスタディーズのゲストをお願いに、
世田谷美術館の高橋直裕氏にお会いして来ました。

その後、切符をいただいて、現在やっている美術展である


日本の自画像

写真が描く戦後 1945-1964

2009年5月2日~6月21日 1階展示室

 

を拝見しました。

高橋直裕氏がテキストを書いておられて、

かれが作ったと思われる良い展覧会でした。


その中で、長野重一の写真に強い感銘を受けました。

不勉強で、この写真界の重鎮の写真家を知らなかったのです。

41NIwuxibjL._SL500_AA240_.jpg

この写真集を会場の売店で買いました。

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090126_nagano.jpg

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1953_nagano.jpg

《想像界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い
《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い
《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い

《想像界》《象徴界》の2界をもつ重層的な表現《現実界》が無い
気体/液体/固体の3様態をもつ多層的な表現絶対零度が無い

《シリアス・アート》《ローアート》、《ハイアート》では無い。
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面の写真》『深いイリュージョンの写真』【A級写真】

gall05.jpg

こういう日常的な凡庸とも言える《ローアート》のスナップ写真が、

すばらしクオリティも持って制作されている事に、

驚きがありました。

41HCMEPD0ZL.jpg

この手の《ローアート》のスナップ写真と言うので、

日本で評価の高い写真は、何と言っても木村 伊兵衛です

木村 伊兵衛は、顔写真で見ると、《超次元》ですが、

写真の方は、《第1次元》なのです。

ピクチャ-10.jpg

木村 伊兵衛の写真

《想像界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》

《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現

《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面の写真》『オプティカル・イリュージョンの写真』【B級写真】

彦坂尚嘉の芸術分析からいうと、
木村 伊兵衛の写真というのは、あまりたいしたものではないのです。
《第1次元》だけですから、産業ロックのようなもので商業主義です。
そして《気晴らしアート》にすぎません。

木村 伊兵衛と長野重一を比較してみます。
KIMURANAGANO.jpg

この二人の写真の明度とコントラストを61づつ上げてみます。

KIMURANAGANO2.jpg
写真作品として、長野重一の方が、
空間構造として
圧倒的に骨格を持っている写真なのです。

土門拳にも同様のことが言えます。

顔では《超次元》なのですが、

初期の『筑豊の子供たち』などのスナップ写真は《第6次元》です。

下の図版は『筑豊の子供たち』ではありませんが、

これも1950年の撮影で《第6次元》です。

1950_domon.jpg

土門拳の写真

《想像界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》

《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現

《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《原始平面の写真》『ペンキ絵』的写真【B級写真】

純粋に芸術の問題としてだけ見ると、
昔の土門拳は低いのです。
ただし晩年は《超次元》の写真になるので、
あくまでも初期が《第6次元》の低いレベルの写真なのです。

土門拳と長野重一を比較してみます。

土門長野.jpg

二人の写真を明度を51上げて、コントラストを71上げてみます。

土門長野2.jpg

土門拳の《第6次元》の写真と、

長野重一の《超次元》の写真の構造の違いが見えるでしょうか。

土門拳の写真は、対象の傷痍軍人のオブジェクト性に集中していて、

長野重一の写真は、世界の構造を深く捉えているのです。


ここでは3人を単純化していますが、

長野重一は《超次元》の《超1流》写真家であると、

彦坂尚嘉の視点では、なります。

そして木村 伊兵衛は《第1次元》の《1流》写真家、

初期・土門拳は、《第6次元》の《6流》写真家なのです。

 

長野重一  《超1流》

木村 伊兵衛 《1流》

初期・土門拳 《6流》

 

しかし3人ともに、この段階で見ているのは、

すべて《ローアート》の写真にすぎません。

当然のように、《ハイアート》の写真があります。

日本の写真の主流の低さを自覚する必要があるのです。


例えばスティーグリッツの写真を見て下さい。

《ハイアート》です。

stieglitz_steerage.jpg

スティーグリッツの写真

《想像界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な写真
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な写真

《シリアス・アート》《ハイアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面》の写真、『オプティカル・イリュージョン』的写真【A級写真】

アルフレッド・スティーグリッツは、アメリカの写真家です。

画家のオキーフのご主人であり、

そしてデシャンの便器の作品の唯一の写真を撮った写真家で、

アメリカの写真を切り開いた巨人の一人です。


スティーグリッツと土門拳を比較してみましょう。

土門スティーグリッツ.jpg

日本人の多くが、土門拳の写真の方が良いというでしょう。

土門拳は、明快に子供を背負った傷痍軍人という、分かりやすい

主題を、分かりやすく撮っているからです。

それに対してスティーグリッツは、何を撮っているのか、

日本人の多くには理解が出来ないのです。


土門スティーグリッツ2.jpg

これは単に色調をモノクロに統一しました。

次には、明度を34上げ、コントラストを87上げて見たものです。


土門スティーグリッツ3.jpg

スティーグリッツの撮った橋は、移民船の舟の橋でしょうか。

橋を撮る事で移民の国アメリカを象徴し、

そして画面が橋で2分される事で、橋を挟んでの上流と下流の分解と、

人種の多様性を撮っていると言えるのかもしれません。

以上に私の不勉強なコメントに、次の様な訂正のコメントを、

いただきました。

スティーグリッツの写真はタイトルがSteerage
つまり、三等船室、というものです。
http://college.cengage.com/english/heath/harris.htm
を参考に書きますが、
三等船室が写真の下方、写真の上方は二等で、力関係で言うと
スティーグリッツは、その両方を上から見る位置にあります。
さらに、一般に、これはアメリカへ来た移民、という風に誤解されて
いますが、実は、帰国する移民なのです。

20世紀の初頭には、移民の17%が帰国したそうです。
スティーグリッツのようにユダヤ人、またアイルランド、ドイツ
スカンジナビア系はアメリカにい続ける率が多かったのですが、
そのほかの民族は、帰る人も少なくなかったということなのですね。

スティーグリッツ自身もユダヤ人のアイデンティティ問題には敏感で、
しかも、アメリカで財をなした両親が、ちゃんとしたドイツ人になるように
と子供のスティーグリッツをドイツの学校に送るなど、複雑な心理が
あったようです。

単なる移民ではなく、貧しい移民が、焦点
ということですね。 
by NY GAL (2009-05-10 10:52)  

こうした外部を深く見る眼差しで、スナップ写真が作られる。

貧しい移民が帰る船の三等船室を撮る写真の真ん中に橋を持って来て、

二等船室と三等船室の両方を見下ろす位置から撮影して、

しかもこの橋を一番明度的にも明るく撮影している。

写真のコントラストを81まで上げて、明度をー11にまで落とした

写真です。

土門スティーグリッツ4.jpg

スティーグリッツが撮影しているものは、

夢破れて帰国する貧しい人々を直に撮る事ではなくて、

その主題を背後化して、橋を取る事で、この夢の破産と失意と、

そして貧困という階層化という、言葉では言い得ないほど複雑な、

現実の深さを撮影しているのです。

とは言っても、画面上部の二等室人々は、シルエットで写っていて、

下の三等室の人々には光が当たっていて、撮影されているという

対比も描かれている事が分かります

しかもそれが写真表現の深さとなって、パーフェクトな、

最高水準の写真になっている。

 

この視線の深度の深さは、見事なものです。

外界の構造を、スナップによって、いかに深く捉ええるのか?

写真家の精神の、外界を見通す被写界深度の幅が問われるのです。

外界の深さを理解する視点が、同時に写真というメディアを理解し、

コントロールする深さになるのです。

スティーグリッツの写真は、写真表現の構造としても優れているのです。

スティーグリッツの写真の凄さと比較すると、

土門拳は駄菓子に過ぎません。

外界の複雑な構造を見通す眼が浅く、単純です。

それは同時に、日本の民衆の眼の浅さと、

単純さでもでもあったのです。



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コメント 5

NY GAL

スティーグリッツの写真はタイトルがSteerage
つまり、三等船室、というものです。
http://college.cengage.com/english/heath/harris.htm
を参考に書きますが、
三等船室が写真の下方、写真の上方は二等で、力関係で言うと
スティーグリッツは、その両方を上から見る位置にあります。
さらに、一般に、これはアメリカへ来た移民、という風に誤解されて
いますが、実は、帰国する移民なのです。

20世紀の初頭には、移民の17%が帰国したそうです。
スティーグリッツのようにユダヤ人、またアイルランド、ドイツ
スカンジナビア系はアメリカにい続ける率が多かったのですが、
そのほかの民族は、帰る人も少なくなかったということなのですね。

スティーグリッツ自身もユダヤ人のアイデンティティ問題には敏感で、
しかも、アメリカで財をなした両親が、ちゃんとしたドイツ人になるように
と子供のスティーグリッツをドイツの学校に送るなど、複雑な心理が
あったようです。




単なる移民ではなく、貧しい移民が、焦点
ということですね。
by NY GAL (2009-05-10 10:52) 

丈

丁寧に比較分析をしてくださったおかげで、長野順一の写真が非常にクリアな調子と構造を持っている事がよく理解できました。

NY GAL様
20世紀の初頭に17%の移民が帰国したとの事、参考になりました。

この中に日本人もいた訳ですが、
広島出身の金光松美は家族とともに4歳で帰国したのち、

17歳の時に一人で再度アメリカに渡り、鉱山労働者や軍隊の経験を経た後に60年代には抽象絵画の画家として大成しています。

再チャレンジした人がいたという事ですね。
by (2009-05-10 12:00) 

ヒコ

丈様
コメントありがとうございます。
いつもながらですが、凄い事を良く知っておられますね。
金光松美は知りませんでした。
《超一流》の作品をつくっていますね。
by ヒコ (2009-05-12 10:24) 

ペイラックのジョフレ

土門さんの写真を、コピーしてURLを、記載させていただきました。
御礼申し上げます。
by ペイラックのジョフレ (2012-07-11 23:59) 

ペイラックのジョフレ

http://blogs.yahoo.co.jp/pekopokoetsuko/9855599.html
たびたび、申し訳ありません。URLのUPがなかったので。
PCのことは、よくわかりませんが、置いていきます。
どうぞ、ご健勝で。
by ペイラックのジョフレ (2012-07-12 00:06) 

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