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横浜アート&ホームコレクション展(加筆2) [日記]

横浜アート&ホームコレクション展に昨日行って来ました。

http://www.yaf.or.jp/yahc/#wrapper

京都のギャラリー16も出品していて、

インディペンデント・キュレターの坂上しのぶさんも手伝いをしているので、

応援をかねて、見て来ました。

 

アートマネージャーの山口麻衣さんを誘って行ったのですが、

入場料を1000円取るもので、

やたらに立派で、驚きました。


最初に行ったのはギャラリー16で、

坂上しのぶさんにご挨拶。

ギャラリー16のご主人の井上道子さんにもご挨拶。


会場は住宅展示場で、
全部を見る意欲は無くて、
数件しか見ませんでした。


住宅展示場なので、
壁にきちんとかけているものもありますが、
多くの作品が置いてあるのが、
気にかかります。
展示技術的には、面白くはないです。
まあ、しかたがないのでしょう。

私自身も、
12月に琴平の虎丸旅館でのインスタレーションがあるので、
その参考にするつもりで、
観察はしました。

基本は《サイト・スペシフィック》という考え方の問題です。

ARTSCAPEの現代美術用語集には次のようにあります。

サイト・スペシフィック Site Specific
美術作品が“特定の場所に帰属する”性質を示す用語。といって、美術作品にとって“特権的な場所”であるはずの美術館の機能を補完するのではなく、逆に批判するために用いられることが多い。展示空間全体をひとつの作品に見立てる「インスタレーション」や、「ミニマリズム」の純粋形式に対する反発として登場した「プロセス・アート」、公共空間における美術作品の意味を問う「パブリック・アート」といった新しい表現形態の本質とは不可分の関係にあり、1950年代末から60年代初頭にかけて台頭したこれらの形態は、作品の「場所」や「構造」といった問題を問いかけることになった。なお、場所の唯一性を意味するということで言えば、歴史的経緯は異なるものの、現象学的な問題を共有する建築用語、「ゲニウス・ロキ」との類似性を指摘することができる。(暮沢剛巳)

上記の解説の指摘にある美術館の機能を補完するのではなく」という部分が、この横浜の展示では不十分だったのです。適当で、ご都合主義という印象がありました。まあ、しかたがないのですが。

私の琴平・虎丸旅館と、琴平公民館の展示が、どこまで巧く行くのかは、分かりませんが、
出来るだけ、本来の《サイト・スペシフィック》の意味と価値を生み出したいと思っています。

 

会場でアーティストの秋元珠江さんに偶然にあって、

さらにアーティストの田嶋奈緒子さんが来て、

にぎやかになりました。


横浜美術館の中でのパーティにもでました。

パーティはかなりの人数が来ていました。


横浜美術館の天野太郎さんが声をかけて下さって、

お話をしました。

これはお話が面白かったです。


この後、ハードロック・カフェに行って、

2次会。

山口麻衣さんの友人のアメリカ人青年も合流。


ハードロック・カフェというのも、

初めて行きましたが、

山口、田嶋、秋元、アメリカ人と私の5人で、

ワアワア飲んで、

まあ、楽しい所でした。

しかし上映しているライブは、

《2流》の演奏ばかりでした。

そういうものなのでしょう。


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キャラバン [日記]

作品を4点作って、画廊に納品してきました。
本日の納品ですが、
別の用件で、昨晩家を出て、友人の家に泊まりです。

今日はゼロックスで、帝国美術館のカラーコピーをA3で200枚とりました。
その後、ギャラリーに納品。

さらにタマダプロジェクトのオープニングニに行きました。
小村希史展です。
これが《41流》で、なんともすごい。
レコード、CDではありません。
レコードが1万500円で売っていたので、買いました。
音楽もやっていて、絵画も買っているのです。
この音楽も《41流》です。
この絵画作品は、データーをもらって、別の日に書きたいです。

この会場で武田さんと約束していて、会って、彼の家に来て、
今、彼のコンピュターで、このブログを書いています。

明日は、建築の松田逹さんの所に行って、
皇居美術館の模型を見せて相談します。
この模型が、高さ1000メートル、
さらにエベレストとの高さと同じア8800メートルの建築模型。
3番目は、高さ1万メートルの建築模型をつくりました。
この3つの模型を見せて、ご指導をいただくのです。
なにしろこれだけ高くなると、エレベーターをどうするのかとか、
柱の面積をどこまで大きくしないとだめかとか、
いろいろ考えなければなりません。

明日は、もう一件、集金に行きます。

その後、もう一軒友人の家に行って、泊まります。
結局、3泊の自動車旅行となります。

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全人類美術館、あるいはアメリカ帝国美術館の夢想(加筆1) [日記]

先日の火曜日と、
昨日の火曜日、
アートバイゼロックスに行って、
全人類美術館、あるいはアメリカ帝国美術館の夢想という作品のために、
小学館版の1册2万円もする世界美術全集の28巻を、全部チェックして、
《超1流》の作品を選び出した。

ブッシュが、ソヴィエトに勝った後の、アメリカ帝国を誇るために、
世界中から《超1流》の美術作品を強引にマンハッタンに集めて
巨大美術館建築したという、
過去型のSFの空想美術館作品プロジェクト
のためなのです。

それを高性能のカラーゼロックスで、厚紙にコピーしていったのだが、
独りではできないので、
山口麻衣さんに2日手伝ってもらった。
彼女は学芸員資格を取っている人で、
美術を見る目は良い人だ。

まあ、作業はきつかった。
それに《超1流》の美術/建築が出現するのが、
ヨーロッパの場合、ゴシック美術/建築まで待たないと、
出現してこない。
例外は、ロマネスク建築にひとつあって、
山口麻衣さんに見せると、凄いと驚いてくれて、
私もうれしかった。

しかし、何故にエジプト、ギリシア、ローマには
《超1流》美術・建築はなかったのか?

この疑問が私を苦しめて、
不安になった。

それとベラスケスのような画家の中の画家といわれる巨匠が、
《超1流》という視点に立つと、《1流》でしかなくて、
落とされる。
これもショックで、私の精神を不安にさせる。

しかし凄い作品と凄い美術家がたくさん採取できて、
本当に良い作品と良い作家が、人類の中には、
たくさんいたと言う、
その当たり前の事が、うれしい。

美術全集を見始めたのは小学生3年生からで、
そのころは、女性の裸を見ると言う、
そういうエロ写真的な面もありながら、
図書館で、美術全集を見ていた。

中学2年生で、講談社版世界美術全集と、
講談社版日本近代絵画全集を買っている。

それ以来、この還暦を過ぎてまで、
美術全集をめくることを続けているというのも、
なんとも感慨深いものがある。

こうした美術全集というのも、
現在の出版事情では、今後は出版できないだろう。
もはや書籍というもの自体が、伝統工芸のような古いものになって来ているのです。

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李郭系山水画の系譜展 [日記]

せっかく書いたのが消えると、

つくづくと嫌になるのだが、

ここで止めると普通だと思って再度挑戦することになる。

いつも同じ再挑戦を繰り返しているのだが、しかたがない。

旅館のコンピューターは使いづらい。やたらにミスる。とにかくウインドーズは嫌いだ。余計な動きをする。

もっとも最近気がついたことだが、他人も自分自身もすぐにあきらめるとか、挫折することも良くやってきているのだ。執拗にやるというのは、ブログに何かあるのだろう。

車で神戸から、

奈良の大和文華館に行く。

運転しているのは松下哲雄さん。学生時代からの友人です。

カーナビがついているのだが、それでもけっこう大変です。

大和文華館は、学生時代には良く来た美術館でした。

私の学生時代は、まだ1ドルが360円の時代で、

欧米の美術館を見に行けない時代で、そうした中で自分の眼を、どのようにして作っていくのかを考えて、学生時代に、日本の中で見られる最高の美術品を見ていこうと考えて、奈良や京都に通っていたのです。

久しぶりに来て、ある種の感慨があります。

もっともこういう考え方自体が、伝統的過ぎるのかもしれない。自分の天然の未熟な眼のままで良いとする美術家は、今の若い人に限らす、私の世代にもたくさんいたし、先輩の美術家にも多くいたのです。つまり自己愛性人格障害のアーティストたちです。なのになぜに私はこうして、良い美術を見ようとするのだろうか? 私 の場合、自分は嫌いですが、美術は好きなのですね。それに対して多くの美術家は、自分が好きで、美術はたいして好きでないように、私には見えます。まあ、人それぞれで良いのですが・・・。

さて、今回は李郭系山水画の系譜展を見に来たのです。

日本人で美術を学ぶことをはじめると、どうしても至高の存在としてぶつかるのは、宋元院体画です。その中でも李成や、郭キの崇高なる山水画の存在は、西洋で言えばレオナルドダヴィンチの存在のようなもので、規範としてあるのです。

とは言っても、私の中国絵画の教養は浅いものでして、台湾の故旧美術館も1度行って、失望していかなくなっています。むしろ日本の美術家を通して、宋元院体画と向き合ってきたと言えます。たとえばアイ光とか、若チュウとかを通してです。

 今回の美術展は、こぶりながらも良くまとまっていて、勉強になりましたが、驚いたのは、6流の駄画というべきものがずいぶんとあることでした。つまり昔から6流の自然領域の駄画が、多く生産されてきているのです。

 こういう事実を歴史的に見ると、現在の日本の6流美術の多さに、あまり悩んでも、しかたがないと思うようになりました。

歴史的な展開の中で、6流の美術作品というのは、避け得ない必然なのでしょう。

崇高なるものというと、カントの美学であり、そしてバーネットニューマンを思い出す人も多いと思いますが、日本の伝統の中では、なんと言っても郭キの山水画に代表されるものなのです。それにニューマンは、多くの人が好きなのは知っていますが、あれはデザインであって、芸術としては駄目です。

私の中には元的なグロテスクな哄笑の表現を好む傾向が傾向ありますが、しかしそうしたものが他人に通じないのも頻繁に感じるので、嫌になっているところがあります。笑いや、ウイット、ユーモアというのは重要なのだけれども、それが他人に通じない。そうした時に、笑いを抑制して、崇高さに焦点を合わせるというのも必要なのかもしれない。

この後、松伯美術館に行きました。

日本画家の上村松伯の美術館で、チラシを見ると、

入江波光が出ているようであったので行ったのですが、

残念ながら後期に展示されるようで、

見られなかったのです。

波光は好きなのですが、残念!

徳岡神泉はあったのですが、先日東京国立近代美術館で見た「狂女」のような良いものではなくて、がっかり。

この美術館の後ろに上村松伯の私邸があって、この建築が良かった。

この後、車で吉野に。

このドライブが凄かったです。霊気漂う山林を、しかも細い山道で、急な坂道をだひたすら登っていく。松下さんの自動車が四輪駆動なので登れるのですが、それでも自動車があえいでいるのがわかります。さらに手掘りの石の細いトンネルが出現して驚かされました。ぎりぎりでくぐり抜けて、ようやく、今度は下りの道で、ガソリンのことが不安でしたが無事に温泉街に到達。これが山伏のための宿屋郡で、趣のあるところ。

吉野は、昨年も来ていて、2度目です。

皇居美術館という作品をやる以上、どうしても見たかったのが吉野で、昨年は電車で来たのです。日本の優れた歴史書というのは皇国史観であって、皇国史観で重要なのが、南北朝の分裂のい時であって、そのときに南朝が逃げたのが吉野であったのです。

吉野の霊気というのは、日本的な崇高性を孕んでいます。

この旅行中に世界的な経済危機は続いていて、株価の下落は止まりません。前にも書いたように来年の1月のオバマの新大統領の就任までは、少なくとも底を打たないでしょう。日経新聞にアジアのアートバブルがはじけたという記事もあって、読みましたが、見通しそのものは甘いと感じました。結果そのものは正確には見えないにしても、トップであった作家も画廊も中腹にまでは転落して、時代は画されます。この変化は、美術史的には大きなものになります。


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神戸の夜 [日記]

 自分のエアマックが電波を拾えなくて、

 昨日は友人のコンピューターでブログを書こうとしたのだが、

ひらがなにできなくて、書けなかった。

昨日は、鵜島をフェリーで出て、

車で神戸まで来た。

運転しているのは友人の松下哲雄さん。

ホテルにまず入ったのだが、ネット環境が無くて、

驚く。

今朝、書いているのは、その松下さんのコンピューターが電波を拾ってくれたので、

またまた他人のコンピューターで書いています。

昨日はギャラリー島田に行って、木下進さんの個展を見ました。

木下進さんは、鉛筆でごぜの老婆やハンセンシ病のたちばな氏を描いている。

美術教育は受けていない方で、ある種のアウトサイダーアーティストです。

初期のころは油彩を描いていて、それでアメリカにチャレンジして、

駄目だったことから、鉛筆画になったそうです。

その後、

三谷誠さんと会って、

松下さんと3人で飲みました。

今日はこれから奈良に、自動車で向かいます。

大和文華館に行って、奈良の花屋徳兵衛という古い旅館に泊まる予定です。


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船宿 鄙(ひな) [日記]

新幹線では

スムーズな旅行でしたが、

福山からの高速バスでミスってしまって、

それでも無事に鵜島に来ました。

古い友人が和船を作っているのです。

実物を見ると、思ったより大きいので驚きました。

和船を使った展覧会の可能性を模索しています。

前に大八車を使った作品を考えて探して、それは見つからなかったのですが、

先日、ひとつ見つけました。

まあ、実現するかどうかはわかりませんが、

鄙は、プライベートビーチがあって、

やたらに良いところです。

ネット環境はむずかしくて、

これは友人のコンピューターで書いています。

建築も友人の設計でつくった和風建築で、

お風呂も3つあって、昨日は丸い浴槽で泡の出るタイプに入りました。


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帰宅(加筆1) [日記]

無事、広島から帰って来ました。
新幹線ののぞみは、早いし、素晴らしいですね。
行きも、帰りも良く眠りました。

学会の発表も、彦坂も新堀学さんも無事に出来ました。
日本建築学会というのは、日本の学会の中でも大きな方であります。
会員が3万にを超えていて、
この大会にも9000人が参加し、
整理のための学生アルバイトも300人と言う規模です。

9000人といっても、
全員が一つの会場にあつまるのではなくて、
もの凄い数の分科会にわかれての発表です。

私たちの参加したのは、
今年からできた建築のデザインの発表会で、
従来無かった様々な内容の発表が行われたのです。
私たちの皇居美術館を巡っては、
短時間ではありますが、4回ほどの質問が出て、
答えました。

新堀さんとも、久しぶりに話せたし、
南 泰裕さんとも話せて、良かったです。
そしてまた、名古屋の建築家の山田幸司さんともお話が出来ました。

琴平の公会堂は、素晴らしい建築で、
この大空間をどう使えるのか、基本プランができたので、
ひと落ち着きです。



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徹夜 [日記]

学会の準備が、予定しなかったものも出て来て、
追われていて、さすがにブログが書けません。

ヴェネチア旅行は、大変充実していたので、
そのことも書き込みたいし、
認識も新たになって、
それも書きたいのですが、
時間に追われています。

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日本ラカン協会 第6回ワークショップ [日記]

日本ラカン協会の第6回ワークショップが開催されたので、行ってきました。


日時:2008年7月27日(日) 14時〜17時

場所:東京大学駒場キャンパス18号館4Fコラボレーションルーム1

(京王井の頭線 駒場東大前駅下車)


タイトル ラカンと日本の現在

○提題者 遠藤不比人(成蹊大学)

「空虚な日本」という表象の精神分析 ——死の欲動の美的/想像的解消について


○提題者 樫村愛子(愛知大学)

ポストモダン日本社会におけるイマジネールと症候


なかなか楽しい会合でした。

遠藤不比人さんは、福田和也批判を軸にした、論議。


樫村愛子さんは、今の日本のイマージナルな症候、つまり《想像界》に捕われた病気状態の、分析というよりは、多様なその状態の報告でした。


レクチャーに対する質問では、私も質問しましたし、

終わった後の懇親会も楽しかったです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日は、浜松まで1泊で行きます。

浜松の奥の天竜に、天竜厚生会という施設があって、

そこに弟が収容されています。

55歳ですが、重度の脳性麻痺で、

さすがに、衰弱して来ているので、見舞いに行くのです。


 


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谷 新氏 [日記]

昨日は、月島のタマダプロジェクトの私の個展会場にいたのだが、
谷 新氏が来てくださって、久しぶりに、
長くお話しすることが出来た。

谷 新氏は、美術評論家で、現在、宇都宮美術館館長でおられる。
2000年光州ビエンナーレ・アジア部門コミッショナーをなされた。
著書には『北上する南風ー東南アジアの現代美術』

おつきあいは古くて、1972年頃からで、
文章も美術手帖や、みずゑなどで、長文の彦坂尚嘉論を書いていただいている。

国際展では、1981年か2年頃の
ヴェベチアビエンナーレのコミッショナーで、
私を出品作家として連れて行ってくれている。

◉◉◉

そういう意味で、
私に同伴してくださった代表的な美術評論家であって、
今回も見に来てくださって、
2時間を超えるお話をしてくださった。

実は、谷 新氏は、病気をなさっていて、
心配していたのだが、驚くほどに元気になられていて、
病気のお話もずいぶんとしてくださったのだが、
それも驚く事ばかりの話で、
お元気になられて、本当に良かったと思う。

現代美術の、それも1970年代と言う、
私も属している旧派の代表的な評論家でおられて、
そういう古い付き合いは、
最近の私は、あきらめて来てしまっていただけに、
懐かしくて、楽しい時間を過ごすことが出来た。

古い人間関係を大切にするというのは、
基本であると思う。
古い人間関係で、特にお世話になった恩義のある方には、
最近出版した拙著もお送りしている。
私自身は、義理人情を大切にする古い人間である。


◉◉◉

しかし最近はそれが難しいのも事実で、
せっかく会合に出かけて行っても、
喧嘩を売られて殴るはめになったり、
嫌な思いをさせられるのが積み重なるから、
避ける様になってしまっていた。

私自身は、たくさん悪口を言われ、
いじめられ、阻害されてきた人間であって、
今も悪評の中を生きていると思っている。
また被害妄想も激しくて、
だから過剰な防衛にも走る。

出る釘は打たれるというが、
私は打たれ続けて来た。

現代美術界という画壇の中での同調性では、
作品も創造性も発揮できないし、
文章も書き得ないのである。
だから溢れて来た。

◉◉◉

谷 新氏にも、
私は、日本の現代美術の洗い直しの会を、
提案した。

たとえば、高村光太郎の彫刻は大きな影響を与えたものであるが、
それは近代彫刻として、本当に優れているのかどうか?
実物の作品を前に見ながら、
それを複数の彫刻家や、美術評論家で議論討議をする。

過去には、一度だが、岸田劉生の回顧展会場で、
そういう議論の会をしたことがある。
美術史家の富井玲子さん。
東京画廊社長の山本豊津氏。
美術家の堀浩哉。
それと担当学芸員であった原田光、
そして私であった。

日本の近代/現代の美術の有名な作品の中には、
本当に良い作品なのか、悪い作品なのかが、
疑問であるものが多いのである。
これを洗い直したいである。
谷 新氏も元気になられたので、
また、そういう会を企画して、
ご参加をいただければと思っている。


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