中村うさぎの顔(1 整形前) [顔/美人論]
2007年2月30日(日)
中村うさぎ である。
1958年生まれ、49歳の小説家、エッセイスト。
同志社大学文学部英文学科卒業。
本名、中村典子(なかむら のりこ)。
『女殺借金地獄―中村うさぎのビンボー日記』 角川書店、1997
『さびしいまる、くるしいまる』角川書店、2002 のち文庫
この2冊しか読んでいないが、面白い。
文庫化した『さびしいまる、くるしいまる』を読んだが、これは「あとがき」まで含んで、
完成した《41流文学》で、素晴らしい書き物であった。彼女の愚行は、あくまでも執筆のために行われていて、だからこそ、41流文学として完成している。
中村うさぎの顔であるが、
想像界の眼で、21流のイメージ。
象徴界の眼で、41流の41流の41流
現実界の眼で、41流の現実
これはすごい。
象徴界の眼で、41流の41流の41流というのは、
今までにない顔。
これは地獄を生きている人の顔。
すごい。
希望も,展望も、夢も無い。
どこまで行っても地獄しかない。
精神的には,想像界しかない人。
だからラカン的な鏡像地獄に落ちてしまっている。
もうひとつ、気体分子人間。
脱ー近代の、現代的な人である。
現代の地獄の体現者である。
借金地獄、
ブランド地獄、
整形地獄、
男あさりの地獄
セックス地獄、
これを,中村うさぎ は文章で書くことによって他者に開かれているが、
無名の人々はただ地獄を生きて、無明地獄をさまよい、自殺している人の人数は多い。
そういう意味で、
現代地獄のルポライターとして傑出した文学者である。
尊敬!
桐野夏生の顔 [顔/美人論]
さて、いよいよ桐野夏生(きりの なつお)である。
1951年生まれだから、56歳。
石川県金沢市生まれ、成蹊大学法学部卒業の小説家。
想像界の眼で見て、《8流》のイメージ。
象徴界の眼で見て、〈41流〉〈超一流〉〈超一流〉
現実界の眼で見て、〈超一流〉の現実。
典型的とも言える、素晴らしい〈41流〉美人である。
彼女の小説は、確かに〈41流〉性がって、読むのを嫌う女性も多い聞いたことがある。
もっとも最近作の『魂萌え!』は映画化もされたが、主婦を主題に据えた、女性も読める小説ではあった。
〈想像界〉、〈象徴界〉、〈現実界〉という3界を持っている力量のある人格である。
固体、液体、気体の3様態を持った総合的な人格である。
実際、この人の小説が、ぐいぐいと成長していって、感動した。
女性探偵もののミロシリーズでは《8流》であったのが、
『OUT』(1998年、第51回日本推理作家協会賞)でのブレイクに驚かされ、それでも良いのは前半だけ。
『柔らかな頬』(1999年 第121回直木賞受賞)も素晴らしいが、最後の数節の終わりでこける。
しかし『逆光』では、最後まで見事に書ききり、
『グロテスク』(2003年 、第31回泉鏡花文学賞受賞)では、なんとも壮絶に純文学化してしまった。
『玉瀾』の美しさ、新しさは、珠玉の輝きであって、
さらに『残虐記』(2004年 、第17回柴田錬三郎賞受賞)では、見事に詩として昇華されていた。
この人は短編集も良い。
すごい成長を示す、偉大な女流文学者である。
この人と同じ時代を生き得たことを幸せに思う。
もう一度顔を見る。
非合法的顔、
さらに、非実体的な顔である。
もう一つの特徴は、柳美里とは違って
去勢されていない。
このことをどうかんがえるのか?
実は、このブログでもきちんと書いていないが、
実は哲学者の顔は、去勢されていなかった。
この発見から逆照すると、
桐野夏生は、哲学者のように去勢されていない人格として、
興味深い存在であると言える。
柳美里の顔 [顔/美人論]
『柳美里全不幸記録』を買った。
中学3年の下の娘のクリスマスプレゼントである。
むかし友人に無理矢理勧められて、
柳美里の『水辺のゆりかご 』は読んだが、
在日朝鮮人の自伝的な内容は、確かに心を打つものがあるが、
私はこの人の文章は良いとは思えない。
自分では読まないが、
娘には随分と買って来ている。
『命3部作』も娘は読んでいる。
彼女の顔は、《一流》の美人である。
象徴界、想像界、現実界の3界を持っている人。
そして固体・液体・気体の3様態を持っている人。
つまり、なかなかの人物である。
しかも非実体的で、非合法的である。
さらには、去勢されている。
つまり、彼女はプロの文筆家の顔を持っているのである。
シンディ・ローパーの顔 [顔/美人論]
2007年11月8日(木)
シンディ・ローパーのファースト・アルバム《Blue Angel /ブルー・エンジェル》を
持っていないことに、
今回気がついた。
私のイメージは、セカンド・アルバムの《She's So Unusual /シーズ・ソー・アンユージュアル》が、圧倒的であった。
すごい歌手で、すばらしい!
ジャニス・ジョップリン クラスの大歌手である。
その後の、落ち着いた歌になっても、
私は大好きである。
ASADAは、裏切り者よばわりをして、評価しないが、
そんなことはないのである。
DVDは3本とも買っている。
In Paris -1987年
Twelve Deadly Cyns...And Then Some -1994年
Live...At Last -2004年
何と言っても《In Paris -1987年》だが、
しかし《Live...At Last -2004年》もすばらしいものだ。
さて、彼女の顔だが、
まず驚いたのは、ネット上に良い顔写真が少ない。
そもそも彼女の顔写真が少ない。
〈象徴界〉の眼で、〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉
〈想像界〉の眼で、《8流》のイメージ
〈現実界〉の眼で、〈2流〉の現実。
〈象徴界〉、〈想像界〉、〈現実界〉の3界同時表示
固体・液体・気体の3様態同時表示。
まあ、たいした才能である。
ジャニス・ジョプリンの顔 [顔/美人論]
2007年10月24日(日)
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)、本名Janis Lyn Joplin
1943年1月19日 生まれ。
1970年10月4日死亡、享年27歳。
彼女の孤独は胸を打つ。
これほどの歌手は空前絶後だ。
真性の偉大な歌手。
彼女を美人とは言わないだろうが、
典型的とも言える〈41流〉美人。
〈想像界〉の眼で、〈21流〉のイメージ
〈象徴界〉の眼で、〈41流〉の〈超1流〉の〈超1流〉
〈現実界〉の眼で、《16流》の現実
《16流》というのは、崩壊の美。
彼女は壊れていたのだろう。
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人間はすべて壊れていると言えば言えるわけで、
ものぐさ精神分析の岸田秀氏の主張はそういうものだ。
すぐれたアーティストが、深い傷を負っていたり、
壊れている人がいるのも、いくつも例があるように見えるので、
芸術というものが、幸せに生まれて育った人には、難しいという
のも、まあ、言えるように思える。
しかし最終的には音楽を聴いているので、
音楽としてすぐれているものに、ひかれる。
ジャニスの歌は、40年近く聴いているが、
飽きない。
すごいものだと、思う。
アンジェラ・ゴソウ(アーク・エネミー)の顔 [顔/美人論]
2007年10月16日(火)
アーク・エネミーのアンジェラ・ゴソウ(Angela Nathalie Gossow,アンゲラ・ナターリエ・ゴソー)を初めて見たのは、昨年のラウドパーク2006であった。
金髪を振り乱し、目の下に黒い線を入れて歌う真性のデス・ヴォイスには、心打たれた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
10代の頃からいくつかのデスメタルバンドで活動を始める。1999年頃、アンジェラは雑誌記者の仕事をしていたが当時ドイツをツアーで回っていたアーク・エネミーのリーダーであるマイケル・アモットにデモテープを渡したのがきっかけでバンドに加入した。彼女を前任ボーカリストのヨハン・リーヴァの後任に推薦したのは弟のクリストファー・アモットだったと言われる。
〈想像界〉の眼で、《8流》美人。
〈象徴界〉の眼で、〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉の美人
〈現実界〉の眼で、〈21流〉美人。
ずいぶんと、見る眼によって、判断が変わるものだなぁ〜。
改めて驚く!
私は、〈象徴界〉の眼で見ているので、その〈41流〉美人性にしびれる!
とにかく彼女のデス・ヴォイスと、アーク・エネミー(アーチ・エネミー)の、激しいドラムの上に強靭なギターリフ、さらに叙情的なリードギター壮絶な「泣き」の音色を組み合わせた独特のスタイルの音楽は、まあ、すばらしいものである。
メガデス、スレイヤー、アンスラックスとはひと味ちがった北欧の叙情的ラウドロックを堪能させてくれる。
ケイト・ブッシュの顔(1) [顔/美人論]
2007年10月15日(月)
若いときには、彼女のような女性を恐いと思ったものだ。
〈想像界〉の眼で、《8流》のイメージ。
〈象徴界〉の眼で、〈1流〉の〈41流〉の〈1流〉
〈現実界〉の眼で、〈1流〉の現実
〈想像界〉の人の眼では、《8流》に、本当に見えるかどうか、
知りたくは思う。
非常に完成度の高い音楽家に展開して、
私は好きだった。
とは言っても、ディスコグラフィーをチョックしてみると、
10枚中6枚しか持っていなかった。
一番好きなのは、HOUNDS OF LOVE。
○THE KICK INSIDE(天使と小悪魔)(1978)
○LIONHEART(ライオンハート)(1978)
○NEVER FOR EVER(魔物語)(1980)
×THE DREAMING(ドリーミング)(1982)
○HOUNDS OF LOVE(愛のかたち)(1985)
×THE WHOLE STORY(ケイト・ブッシュ・ストーリー) - ベストアルバム
×THE SENSUAL WORLD(センシュアル・ワールド)(1989)
×THIS WOMAN'S WORKS(ディス・ウーマンズ・ワークス) - ベストアルバム(1990)(8枚組)
○THE RED SHOES(レッド・シューズ)(1993)
○AERIAL(エアリアル)(2005)(2枚組)
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レム・コールハース(Rem Koolhaas)の顔
〈想像界〉の眼で、〈21流〉イメージ
〈象徴界〉の眼で、〈21流〉〈21流〉〈21流〉
〈現実界〉の眼で、〈21流〉の現実
後藤武さんの『反転する崇高:レム・コールハース論』(建築文化, 1997年8月号, 10月号, 12月号) 3本を読んだ。
大変に刺激的な論考で、多くを学んだが、自分の追いかけてきた事とも、重なる部分が多くて、重要なもので、興奮した。Rem Koolhaasは、1944年うまれだから、2歳上のひとだから、同じ時代を生きては来ているのだ。
コールハースは、シアトル中央図書館 (シアトル,米国,2004)と、
〈想像界〉の眼で、《8流》のイメージ
〈象徴界〉の眼で、〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉
〈現実界〉の眼で、〈1流〉の現実
〈象徴界〉の建築。
カーサ・ダ・ムジカ (Casa da Música、ポルト,ポルトガル,2004)
〈想像界〉の眼で、《8流》のイメージ
〈象徴界〉の眼で、〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉
〈現実界〉の眼で、〈1流〉の現実
〈象徴界〉の建築。
の2つを見てきている。
後藤武は、偽装した模型のような建築と言っているが、
それは〈想像界〉の眼で見ているからで、
むしろちゃんとした気体建築だ。たいしたものだと思う。
本の方は、怠けてきていた。
彼は、実際の建築物より著作物の方が知られている。
代表作である『錯乱のニューヨーク』を、今日、アマゾンに『錯乱のニューヨーク』を注文した。
〈21流〉の顔を持っているというのは、彼の思想を理解する助けになることだ。
〈21流〉というのは、人生の溝ドロの世界であって、
そういう錯乱の中を生きている人なのだろう。
錯乱の世界をコントロールするのは、不可能だという。
そこでいくつかに分割して、その中で、勝手に動かすことを考えてきているらしい。
シシー・スペイセクの顔 [顔/美人論]
2007年10月3日(水)
シシー・スペイセクという女優は好きだ。
典型的な〈41流〉美人である。
杉山旭さン的には、もちろん美人ではない。
むしろブスというべき女優だろう。
〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉
〈想像界〉〈象徴界〉〈現実界〉同時常時の美人
固体・液体・気体の3様態同時表示の役者
まあ、女優として、凄いはずだ。
ずいぶん見てきたつもりであったが、
リストアップしてみると、半分くらいはまだ見ていなかった。
新人賞をとった「地獄の逃避行」も見ていなかったので、
今日、DVDをアマゾンで注文した。
地獄の逃避行:1974年
監督テレンス・マリック(「天国の日々」の監督のデビュー作)
出演:シシー・スペイセク、マーティン・シーン、ウォーレン・オーツ、 テレンス・マリック
キャリー:1976年
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演: シシー・スペイセク、ジョン・トラボルタ、パイパー・ローリー
歌え!ロレッタ愛のために:1980
監督: マイケル・アプテッド
出演: シシー・スペイセク, トミー・リー・ジョーンズ, ビバリー・ダンジェロ, レボン・ヘルム]
「歌え!ロレッタ愛のために」で,
アカデミー主演女優賞をとっている。
ミッシング Missing (1982)
ザ・リバー:1984年
監督: マーク・ライデル
出演: シシー・スペイセク、メル・ギブソン,
ロンリー・ハート Crimes of the Heart (1986)
JFK:1991年
監督: オリヴァー・ストーン
出演: シシー・スペイセク 、ケビン・コスナー,
スリーウイメン:1996
監督: ケビン・ダウリング
出演: シシー・スペイセク、デミ・ムーア、シェール、 アン・ヘッシュ
白い刻印 Affliction (1997)
ストレイト・ストーリー:1999
監督: デイヴィッド・リンチ
出演: シシー・スペイセク、ハリー・ディーン・スタントン、リチャード・ファーンズワース、
タイムトラベラー/きのうから来た恋人 Blast from the Past (1999)
イン・ザ・ベッドルーム:2001年
監督: トッド・フィールド
出演: シシー・スペイセク, トム・ウィルキンソン, マリサ・トメイ, ニック・スタール
ザ・リング2 The Ring Two (2005)
スタンドアップ North Country (2005)
サラ・ジェシカ・パーカーの顔 [顔/美人論]
2007年10月2日(火)
サラ・ジェシカ・パーカーというのは、
実は、美人かどうかで、ギャラリー手の杉山旭さんと、
ぶつかった、記念すべき女優なのである。
私は、サラ・ジェシカ・パーカーを、〈超1流〉の美人だと言ったのだが、
杉山旭氏は、「ヒコサカさん、ああ言う女を、美人とは言わないのですよ」と言うのである。
この杉山氏の意見も、すごくまともで、
私も同意せざるを得なかった。
つまり、美人というのは仲間由紀恵のような〈1流〉の美人を、
美人というのであって、
〈超1流〉になると、美人であることを越えてしまうので、
美人では無いことになる。
それはごもっともな意見であって、
確かに美人というのは〈1流〉であるのかもしれない。
美人というのは〈1流〉の美人だけを美人というのかもしれないが、
それは分かるのだが、
それでもなお、〈超1流〉の美人とか、
〈41流〉の美人という、
多くのひとが美人とは呼ばない美人が、
私は美人だと思って、好きなのである。
さて、サラ・ジェシカ・パーカーが不動の地位を築いた
アメリカの艶笑喜劇シリーズ『セックス&シティ(SATC)』だが、
もちろん、全部見たが、
最後はひどい終わり方だった。
『アリー my Love』でもそうなのだが、
現在の女のセックス・ライフを描くのは、むずかしいのだ。
完全なフリーセックスにすると、ちっとも面白くなくて、
やはりどこかで純愛とか、男女の運命的な結びつきを追求しないと、
ドラマが面白くなくなる。
しかしだからといって『セックス&シティ(SATC)』で、
サラ・ジェシカ・パーカーが演じるところのキャリーが、
しつこく関係するビックという男が、私は嫌い。
とにかく、煮え切らない男で、腹が立つ。
と言うわけで、ひどい終わり方のドラマで、
私は、空しい思をさせられたのであった。
サラ・ジェシカ・パーカーの顔だが、
〈超1流〉の〈超1流〉の〈超1流〉
気体美人、そして〈想像界〉の美人。
〈想像界〉の役者だから、
まあ、大女優というものではなくて、軽い。
面白くないと言えば、面白くないのだが、
でも、面白かった。